それぞれの旅立ち(2023.3.8)
この数日で、それぞれの旅立ちがあった。 北海道の義理の父が他界し、そして、長く家にいた長女が、上京をした。
妻は、北海道で、偲ぶ会や火葬のために残り、私は、議会の公務があり、義父の顔だけ見て参り、三重県に戻った。 長女も同じく、前々から引っ越しや借りる部屋の鍵の受け取りなどの都合があり、私と同じく1日だけの北海道の滞在で、義父に別れを告げた。
旅立つ娘と二人きり。ささやかながら送別会をやり、夜行バスでいくため、夜に桑名駅まで送る。
その前に、「写真を撮ろう」と誘われ、二人で写真を撮る。
キャリーカートを引きながら駅に向かう長女の後ろ姿を見おくる。
元気で、頑張れ・・・・。
一人の家に帰る。 ふと、思い出すのは、3人の子どもたちが、この家に毎日いた光景。
私は仕事が忙しく、基本、妻が、今流の言い方をすれば、ワンオペ。
よくぞ、親類縁者ない三重県で、3人の子どもたちを育ててくれた。
私が知らない、母と子どもたちの思い出は、限りなく、また、濃いものだろう。
だから、できるだけ、男性も子育てをしたほうが良い。
いろんなことがあった。
妻は、実家がある北海道で長女と長男を出産したから、あの当時は、今と同じように、私は一人の家にいた。
自分に子どもができる・・・。
やはり、そんな人生の大事件を前に、今までの自分の足跡を振り返った。
みんな大きくなった。
まだまだ、これからだが、自分の足でこの家を出て行った。
長女へ、東京での一人暮らしは大丈夫か?
「いずれ、出ていかなければいけないと思っていたから・・・」
そうか、そんなふうに考えていたのか。
あの日、私も、山梨の実家を出た。
私は、大学が三重県にあったから行ったのだ。
君のような覚悟を持っていなかったし、
今思えば、そうした覚悟も大切にすべきだった。
そして、ついに、私は、山梨へ帰らなかった。
父や母は、どう思ったのだろう。
今の私と同じようだったろう・・・。
父さん、母さん、
自分が親にならねば、やっぱ、わからんね・・・。
ごめん。
明日の一般質問を前に、疲れが出て、ヘトヘトである。
頭が、ぼーっと、心地よくもなくはないが、
明日、いなべ市のために、頑張ろう。
このそれぞれの旅立ちの2023年は、 多分、いろいろなことがあり、また、何かが変わる予感が尽きない。
政経塾にも通い、今までの自分を嫌でも振り返らねばならない環境に導かれた。 これも、2023年の大いなる出来事になろう。
今まで以上に、家族を、人を愛したい。
頑張れ、子どもたちよ。父も、まだまだ、飛躍を目指す。
義父様、こんな素晴らしい家族をもたせていただき、
心から感謝いたします。
安らかに、安らかに、お眠りください。