Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

T125/T90 1969.05

2018.05.15 10:20

T125 (T90)

(リード)

1968年のモーターショーといえば今日、ホンダからナナハンがデビューした年として知られているが、スズキのブースにも素敵な小型ロードスポーツが展示されていた。この年のショーにスズキは、従来のロードスポーツの概念を一新するような、斬新なデザインのモーターサイクルを発表したのである。ハングリー・ウルフ、つまり飢えた狼をイメージしたデザインといわれるこのロードスポーツは、『ウルフT125 』と命名されて、若者を中心に熱狂的な支持をうけることになった。

(本文)

 ウルフは、CB125 、AS1といったライバル・メーカーの小型ロードスポーツを打ち負かすために投入された、スズキの秘密兵器だったのである。当時、世界GPの125ccクラスで圧倒的に優位に立っていたスズキとしては、もっとも得意とするクラスに於いて、いつまでもライバル達の後塵を拝しているわけにはいかなかったのだ。モーターショーの会場でスポットライトに照らしだされたウルフは、2サイクル・メーカーの旗手を目指す、スズキの意地を感じさせるロードスポーツであった。

 ウルフは、今日の視点でみても、まったくユニークなモーターサイクルだった。先ずエンジンだが、ほぼ水平にまで寝かされた並列2気筒エンジンは、クランクケースまで一体化した特異なフィン形状と相まって、ウルフに独特の凄味をあたえていた。また、トリホームタイプと呼ばれたパイプ・フレームは、倒立したトラス状に組まれたダウンチューブに、この個性的なエンジンを誇示するかのように吊り下げる、懸垂構造となっていた。そのため、シリンダーヘッドは走行風に充分にさらされる位置に突き出していて、安定した冷却効果が期待できた。また、前方にむき出しとなるシリンダー部は、メインテナンス性に優れるという、副次的な効果も持ち合わせる、とメーカーは説明していた。

 43×43áoというスクエア・タイプのボア・ストローク比を持つ2サイクル・ツインは、ピストンバルブ方式によって、最高出力15馬力を8500rpm で発生した。また、スズキが絶対的な自信を持つCCI方式ももちろん採用されていて、コンロッドのビッグエンドへの強制給油潤滑システムによって、ウルフは焼付きの不安から解放されて、躊躇することなく高回転域を満喫できた。一方、件のシリンダー配置の結果、ウルフのエンジンには、ダウンドラフト・タイプのキャブレターを採用されていたが、このキャブレターはなかなかの曲者で、ベスト・セッティングには独特なノウハウが必要とされたといわれる。

 こうした斬新なメカニズムに相応しく、ウルフはデザイン的にみても、他に類をみない個性を発揮していた。まず、シートと一体感を持たされた細身のロングタンクが目を引いた。このタンクは、125ccモデルが8ℓ、90ccモデルが7.5ℓと容量に差があり、フィラーキャップの位置をはじめ、ニーグリップの形状など、デザインには多少の相違点があった。いずれにしても、シートの全長よりも長いタンクというのは、市販レーサーを除くと既成のロードスポーツでは前例がなく、ウルフにレーサーに近い精悍なイメージを与えることに成功していた。

 ウルフには、短い一文字ハンドルが標準で装備されていたため、ロングタンクと相まって、独特なライディング・ポジションを強いられた。また、高めにセットされたステップ位置も、はじめてのライダーには違和感を与えたかも知れない。しかし、こうしたポジションは、いったん馴れてしまえば問題とはならなかった。むしろ、18インチ・タイヤやアップマフラーのためもあって、ウルフのバンク角は、レーサー並みに確保されていたのである。反面、前傾姿勢をとったライダーにとって、どうしても受け入れられなかったのがメーターパネルのレイアウトだった。せっかくクラス初のセパレートタイプのメーターが標準装備( 125cc) されていたにもかかわらず、このメーターの取付け角度が適切とはいえなかったために、ライダーの不評をかうことになったのだ。

 実際、ウルフをそれらしく駆るためには、常に6000rpm 以上にタコメーターの針を躍らせておく必要があった。そうしたテクニックを駆使してはじめて、ウルフは悍馬になりえたのである。しかし、実際問題として、ビギナーにクロスレシオの5段ミッションを自在に操ることは難しく、ウルフの高性能を満喫できたのは一部の腕利き達だけであったと想像できる。スタイルだけに魅せられてウルフを購入したライダーは、ウルフの気難しさに失望を味わうことになった。また、こうした一般的なライダーの中には、件の前傾したライディング・ポジションに違和感を持つ者もいたようで、メーカーでは、セミアップ、アップ、ブリッジといった、およそウルフには似つかわしくないタイプのハンドルも用意していた。

実用モデルが、まだ主流だった時代に、ロードゴーイング・レーサーのように過激な性能のウルフは、やはり異端児だったのだろうか。一部のマニアには、熱狂的に支持されたウルフだったが、生産はわずか3年で打ち切られる運命にあったのである。