3月5日 主日週報と説教要約
さらに大きなことを見る
You will See Greater Things than These 【ヨハネ1:43-51】 2023.03.05. (四旬節第二主日)
序論
ヨハネの福音書には、イエス様が弟子たちを選ばれた過程について、比較的に詳しく書かれています。ヨハネの二人の弟子が、先ずイエス様の所に行きました。その内の一人はアンデレで、アンデレは兄弟ペテロをイエス様に導きました。翌日、イエス様がピリポを見つけて「わたしに従って来なさい」と弟子にされ、ピリポはナタナエルを見つけてイエス様に導きました。ナタナエルは後にバルトロマイと言う名前で活動したと、伝えられています。
今日の御言葉では、ナタナエルがイエス様の弟子となった詳しい過程が記されています。ナタナエルを弟子とされたイエス様が、既に弟子となっていた者たちに言われた御言葉が51節です。
1:51 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」
ヨハネの福音書1章で、私たちはイエス・キリストの九つの称号を、つぎのように見る事が出来ます。
1.御言葉(1) 2.いのち(4) 3.真の光(9)
4.神の小羊(29) 5.ラビ、先生(38) 6.メシヤ、キリスト(41)
7.神の御子(49) 8.イスラエルの君、王(49) 9.人の子(51)
1.ヨセフの子ナザレのイエス(45)
(1)ベツサイダ出身の弟子たち
ベツサイダは漁師の家という意味です。ピリポとアンデレとペテロはベツサイダ出身でした。町の名前からわかるように、ベツサイダは漁村でした。彼らはイエス様の弟子たちの中でも、いち早く呼ばれた人々です。ベツサイダは後にイエス様が、五つのパンと二匹の魚のしるしを見せた有名な場所でもあります。
(2)ピリポの証言
1:45 彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」
5節の証言は、律法と預言書に預言されたそのお方を、発見したと言う意味です。旧約聖書に預言された、預言者、王、大祭司、即ち救い主を意味する証言です。
(3)ナタナエルの懐疑的発言
1:46 ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」
ナザレと言う名は旧約聖書には出て来ません。ですから「ナザレから何の良いものが出るだろう。」と言ったのです。
ところがイザヤ9章には、ガリラヤがイエス・キリストを通して栄光を受けたと言う、預言の御言葉が記されています。ナザレはイザヤ11:1節に次の様に記されています。
11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。(イザヤ11:1)
根とはヘブル語でナツァールと言い、ナザレと同じ意味と思われます。
2.ナタナエルとイエス様の出会い(47-48)
(1)本当のイスラエル人
1:47 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」
1:48 ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」
イエス様は「外なる人」のみを知っておられるのではなく、「内なる人」の心までも知っておられたのです。
(2)ナタナエルの質問
48節で「ナタナエルはイエスに『どうして私をご存じなのですか。』」と質問しました。イエス様の宣言にナタナエルは驚いて、質問してしまったのです。どのようにして、いつ私をご覧になったのかと尋ねたのです。イエス様はナタナエルもペテロもご存じで、スカルの井戸の女の事情も全てご存じでした。イエス様は私たちの立場や境遇、状況もみなご存じです。私たちが捨てるべき事もご存じで、持っているべき事もご存知です。
(3)いちじくの木の下
1:48 …イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」
ミカ書に次のような御言葉があります。イスラエルでは種々のいちじくの木の下で黙想し、イスラエルの回復について祈る場所として使われました。
4:4 彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下にすわり、彼らを脅かす者はいない。まことに、万軍の【主】の御口が告げられる。(ミカ4:4)
ナタナエルは神様に文句を言いながらも、イスラエルの回復のために神様に切に願い求めたようです。イエス様はそれをご覧になって、ナタナエルを呼ばれたのです。
3.これよりも大きな事を見る事になる(49-51)
(1)ナタナエルの告白
1:49 ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエ
ルの王です。」
このナタナエルの告白は、旧約聖書に預言されたメシヤ、即ちキリストに対する告白です。キリストは生きておられる神の御子です。キリストはイスラエルの王です。ナタナエルの告白はペテロの告白と一脈相通じている告白なのです。
16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリスト
です。」(マタイ16:16)
(2)イエス様の宣言
1:50 イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」
イエス様はナタナエルを弟子として受け入れらたようです。イエス様は弟子たちに四福音書に記された、50余りのしるしと不思議なわざを見せられました。ですから「それよりもさらに大きな事を見ることになります。」と言われたのです。更に一歩進んで、天の門についての御言葉を通して与えて下さった教訓、教えがあるように思われます。
(3)イエス様の再臨
1:51 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」
天が開けた記事は創世記章にあります。ヤコブが家を出てハランに行く途中、べテルで夢を見た時に天が開けた記事があります。
イザヤは天を裂いて降りて来られるようにと切に求めました。
64:1 ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動く
でしょう。
64:2 火が柴に燃えつき、火が水を沸き立たせるように、あなたの御名はあなたの敵に知られ、国々は御前で震えるでしょう。
イエス様が地上での働きを終えて昇天される時、天の門が開かれました。
1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使1:11)
黙示録4章と19章に、天の門が開かれた場面が出て来ます。天から下って来られたイエス様以外には、天に上った人は誰もいません(ヨハネ3:13)。
3:13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
イエス様は天の門を開いて再臨される事でしょう。
結論
今日の御言葉は、イエス様が弟子たちを一人ずつ呼ばれた草創期の記事です。バプテスマのヨハネの二人の弟子が、まずイエス様の弟子となりました。アンデレとペテロが弟子となり、ピリポも弟子となり、そのピリポがナタナエルを伝道して、イエス様の所に連れて来ました。彼らが主軸となって12弟子となったのです。
このような過程でイエス様は、必ず必要な12弟子を作られ、公生涯の間みなと苦楽を共にしながら、天国の福音を伝えられました。今日の御言葉から重要な教訓を、全て受ける事が出来ますが、やはり重要な戒めの一つは、イエス様の再臨にまで言及した事実でありましょう。
次の質問に答えてみましょう。
(1)イエス様は誰として知られていましたか。
(2)ナタナエルはどのように変化しましたか。
(3)これよりも大きな事とは何ですか。