知の巨人ドラッカー自伝
企業経営において「マネジメント」という概念を確立した、日本人ビジネスマンに人気の経営学者、ピーター・ドラッカーさんの自伝で、日本経済新聞に連載された「私の履歴書」を文庫化したものです。ドラッカーさんの著書を読んだ方はすぐわかると思いますが、彼の本来の文体は、学者らしい少し凝った文体です。一方、本書「知の巨人ドラッカー自伝」は、彼と日経新聞の担当記者とのファックスのやりとりを日本語にし、さらに毎日の新聞の連載枠に収まるように再構成する、或いは、(日経の担当記者が)彼の語りのわかりにくいところに注釈をつけ加える、という工夫のせいか却ってとても親しみやすいものになっていると感じます。
ドラッカーさんは、第一次世界大戦が始まる5年前の1909年11月19日、オーストリアの首都ウィーンで生まれました。お父さんはオーストリア・ハンガリー帝国の主要政府高官、お母さんは当時は珍しい医学を専攻した女性で、「夢判断」(精神分析)で有名なジークムント・フロイトの講義を受講した唯一の女性聴講生でもありました。奇遇ですがドラッカーさん自身も後年フロイトとの出会いを体験します。彼が8,9歳の頃、ウィーン市内のレストランで家族で昼食を取っていた時のことです。お父さんに促されて同じテーブルに偶然座った別の一家の主と握手をしたのですが、この相手こそフロイトだったのです。この時お父さんは彼にこう告げます。「ピーター、今日のことを覚えておくのだよ。今の人は欧州で一番重要な人だから」「(オーストリア・ハンガリー帝国の)皇帝よりも重要な人なの?」(ドラッカーさん)「そうだ。皇帝よりも重要な人だよ」
このフロイトに限らず、彼は幼少の頃から、御両親が主催するホームパーティーを通して、同時代にヨーロッパで活躍する有名人と接する機会を持ちました。そこには、高名な経済学者ヨーゼフ・シュンペーター、フリードリッヒ・フォン・ハイエフ、後の初代チェコスロバキア大統領トマーシュ・マサリク、トーマス・マンなど政治家、学者、銀行家、俳優達が集まっていました。また、大学で博士号を取得後、就職した新聞社の記者時代には、取材を通してナチスの党首アドルフ・ヒトラーや、その右腕、ヨーゼフ・ゲッペルス等、当時の著名人とのインタビューも行った、ということです。
本書のはじめの方で、「基本、自分は文筆家で、時間のある時には本を読んでいる」、と答える読書家のドラッカーさん。実際ハンブルク大学時代は講義には出席せず、近くの公立図書館でドイツ語、英語、フランス語、それにスペイン語の本を手当たり次第に読みました。そして「それこそがわたしにとっての本物の『大学教育』だった」と、話します。
1933年、ナチスがドイツの政権を掌握。彼は、取材に行った街頭先でゲッペルスから次の演説を聞き呆れ果てます。「農民は農産物の値上げで所得を増やし、労働者はパンの値下げで生活費を減らし、パン屋と食料店は利益を拡大するだろう」。このようなナチスの嘘や矛盾に満ちた公約を鵜呑みにする聴衆や、ナチスの危険性に無頓着な政界、産業界のリーダー達に幻滅したドラッカーさんはドイツ脱出を決意。行き先はアメリカでした。
アメリカ移住後は、経済雑誌の記者などの仕事をこなし、数々の記事を書きます。やがて、企業の調査報道をこなすようになり、そこからIBMやGM(ゼネラルモーターズ)経営者連中との交流が始まります。そういった大企業との関わりから学んだ調査力や分析力を活かして、他社の経営に関するコンサルタントを引き受けます。今でこそ、企業コンサルタントという仕事は花形ですが、第二次大戦が終わり、戦後の経済成長を迎えいろいろな産業や企業がその規模を拡大していた当時、資本家たちは、企業経営を任せる「経営のプロ」を探していたのですが、一方企業経営の手法についての調査・研究という分野は(誰もやってない)手つかずの市場だったのです。この分野にいちはやく切り込み「マネジメント」という経営概念を確立したドラッカーさんはその後、経営の権威、経営学の大家として名声を馳せることになるのです。
そのドラッカーさんがアメリカで「経営の権威」としての地位を確立した頃、極東の日本でも製造業を中心に経済成長が起こります。戦後の荒廃から立ち直ろうと必死だった日本の経営者連中は、「マネジメント」という経営概念を確立したドラッカーさんにいち早く注目し、彼の著書を通じて経営学の猛勉強をします。一方のドラッカーさんも自書から「マネジメント」を学ぶ日本人経営者に好意を持ちます。その後、日本財界の招きで幾度となく日本を訪問。彼の日本文化の愛好と研究が始まり、日本と相思相愛の関係となっていきます。(実際、日本文化の講義でアメリカの大学の教壇に立ったこともあります。)
(このブログの最初にも書いた通り)彼の書著には通常、気合の入った独特の言い回しや、やや凝った文体が多いのですが、この文庫本では、そういった文体は見当たらず、内容の濃い一方簡素な文章になっています。また生真面目で、勉強家、私生活を大事にするドラッカーさんの性格やドラッガーさんと日本人との相思相愛的な想いも本書の文面からひしひしと伝わってきます。(そのせいでしょうか、本書表紙のドラッカーさん、知性的で、温厚とても良い年の取り方をしている表情に見えます。)どうしてドラッカーさんが今でも日本の経営者に人気があるのか。。? その秘密を知りたい方には是非お勧めです。