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年次総会について語るときに僕の語ること2018

2018.05.16 00:25

そのとき、彼はほんの少し開いた障子の隙間から、じっと外を見つめていた。彼が何を見つめていたのかは僕にはわからない。これから訪れるであろう人生の岐路についてぼんやりと考えていたのかもしれないし、この1年で起きたさまざまなできごとについて、自分なりに何らかの意味を見つけようとしていたのかもしれないし、あるいはそのいずれでもないのかもしれない。ここからでは彼の表情を読み取ることはできないのだから、これ以上勝手な想像を巡らせたとしても、それは結局意味をもたないことなんだろう。僕は彼の肩にそっと手を置くこともなく、その場を去った。2018年5月13日午後2時をまわった頃のことだ。


そんな彼の苦悩(なのかもわからないが)をよそに、会場は大変な盛り上がりだった。僕はまるで日経新聞「私の履歴書」に掲載されていたジャパネットたかた社長の若い頃のように、宴会に出入りして撮った写真を翌朝お客さんに売る宴会カメラマンのごとく、OLYMPUS PEN Lite6(妻から借りた!)で、盛り上がる宴会の風景を何かに取り憑かれたように切り取っていた。写真というのはずいぶん不思議なものだ、と僕は思う。タイヤを外した車のように、それは文脈も時間性も失い、いつまでも、それを見た人がどう感じるかを期待しながら、じっとそこに留まり続けている。

この楽しそうな笑顔の数々とは対照的に、「青いポロシャツ」の彼はまだ外を見つめているのだろうか。振り返って、彼に声をかけたい衝動に駆られながらも、もしかしたら彼の「青いポロシャツ」が僕に大切なことを伝えようとしてるのではないか、言い換えれば~この宴会場という喧騒の中で~僕の人生にとって何らかの重要なメタファーが「青いポロシャツ」として啓示されているのではないかという考えがふと浮かんだ。その間も、宴会は盛り上がり、1月の新年会であいさつをしたのに再びあいさつをすることになった新入会員たちに、万雷の拍手喝采が送られていた。

外は、相変わらず雨が降っている。

「青いポロシャツ」と「雨」。…僕にとってそれがいったい何を象徴しているのか、相変わらず推し量ることができずにいる。「結局、人は自分がどこにいてどこに向かっているかなんて、そのときにはわからないものなんだよ」。大学時代、よく覚えていないけれど、本で読んだか、誰かにそう言われたことを思い出す。「人は死ぬとなぜあんなにしっかりして見えるんだろう」。たぶんこれは小林秀雄が言っていたことだ。今、自分をつき動かしているものを、そのときは自分では気づくことができないのということが人間の精神構造の本質だとしたら、今、僕が考えたり感じたりしていることは単なる幻想なのだろうか。今、もし目をつぶって、もう一度目を開けて振り返ったら、あの「青いポロシャツ」を着た彼はまだそこにいるのだろうか、そして「雨」はまだ確かに降っているのだろうか...。


そんな思いを断ち切るかのように、僕は思い切って振り返ってみる。すると、そこには「青いポロシャツ」の彼だけではなく、「赤いTシャツ」の彼が一緒に笑っていた、それはもうゴキゲンなくらい意味ありげに。

この(いささか年齢の違う)双子のような二人を仮にビルとマイクと名付けるとしよう。どちらがビルでどちらがマイクかは大きな問題ではない。ビルはマイクかもしれないし、マイクはビルかもしれない、と僕は思う。このビルとマイクのすてきな笑顔を僕は一生忘れないだろう。この二人の笑顔こそ、僕の人生にとって最も重要な啓示だったのだ。この二人の笑顔を見ながら、僕はこの二人とトリオを組むために生まれてきたのだと確信した。そう、僕はジョナサンだ。ビルとマイクとジョナサン。3人でバンドを組もう。バンド名は「セレンディピティー123」。曲はもうできている。曲名は「年次総会について語るときに僕の語ること2018」(なんだか、村上春樹みたいだけど)。ビートは8ビートで、もちろん僕はリードギター。マイクがベースで、ビルがドラムだ。


外の雨はより一層強さを増していたが、たぶんすぐに止むことになるだろうと、僕は確信していた。


(I東さん、newA野さん、勝手に登場人物にしてしまってごめんなさい。お二人が寛大な心の持ち主であることを心から祈ります。ぜひ3人でバンドを組んで、来年の総会でみんなを感動の渦に巻き込みましょうね^^;)