「虫に食われて」
使徒の働き 12章18―25節
18. 朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間で大変な騒ぎになった。19. ヘロデはペテロを捜したが見つからないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じた。そしてユダヤからカイサリアに下って行き、そこに滞在した。20. さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対してひどく腹を立てていた。そこで、その人々はそろって王を訪ね、王の侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方は王の国から食糧を得ていたからである。21. 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座に着き、彼らに向かって演説をした。22. 集まった会衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。23. すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。24. 神のことばはますます盛んになり、広まっていった。25. エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。
礼拝メッセージ
2023年3月12日
使徒の働き 12章18―25節
「虫に食われて」
これから春そして夏の時期になりますと、様々な虫が出てきます。その中には、私たちをかんだり、血を吸ったり、傷を負わせる虫たちもいますよね。夏の蚊(か)、家の中のダニ、屋外にいる蜂(はち)など。お腹の中に入って来て、悪さをする虫もいます。私たち家族も昨年夏に山奥のキャンプ場で過ごす中で、足の至る所をぶよにかまれました。かゆくてかゆくてたまりませんでした。子どもの足はきれいになりましたが、大人の足に付いた傷跡は、いまだに消えません。そして中には、命の危険につながるような危ない害虫もいます。小さな虫が媒介する恐ろしい病気もたくさんあります。
今日の聖書個所に出てくるヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ一世)は、虫に食われて、命を落としました。おじいさんのヘロデ大王は晩年、猜疑(さいぎ)心(しん)に支配されていました。誰かが自分を暗殺し、王位を奪おうとしているのでは…、と周りを疑い、実の子たちの命までも奪ったとされています。その孫のヘロデ・アグリッパ一世ですから、日々、それなりの警護体制を敷いていたでしょう。絶えず王の身辺を警護する親衛隊がいたでしょうし、王に謁見(えっけん)するまでにはその人の身元調査がしっかりと行われ、刀などを隠し持っていないかと、厳重な身体チェックもなされていたでしょう。
鍛え上げられた兵士たちに絶えず護衛され、襲撃されないように守りを固めて作られていたであろうカイサリアの王の別邸において、ヘロデは突然、命を落とすのです。ちっぽけな虫の歯によって。人の手による二重三重のセキュリティなど、簡単にすり抜けて、虫はヘロデをかんだのです。
人の命の尊さなど、屁とも思わない王でした。部下の兵士の失態をとがめ、その兵士の命を簡単に奪い取る残忍な王(22:19)でした。自分の人気取りのために、キリスト教会の指導者、使徒ヤコブの首をはねさせ(12:2)、さらにペテロの命も取ろうとしていた王(12:4)でした。人を虫けら同然に扱っていた王が、小さな虫にかまれて死んだのです。笑ってはいけないでしょうが、大逆転劇でした。
聖書は、この王死亡の背後に神様の御手を見ています。「すると、即座に主の使いがヘロデを打った。」(22:23)と。
先週は、このヘロデ王の命令で逮捕されたペテロが、厳重に警備されていた牢獄から御使いに手引きされ、脱出することができた場面を見ました(12:1-17)。翌朝、ペテロが牢獄から消えていることが明らかになり、監視していた兵士たちは驚き戸惑います。突然、牢獄の奥から重要人物の姿も形も消えていたのです。兵士たちはみなパニック状態に陥ります。
ヘロデ・アグリッパ一世は激怒します。ヘロデにとって、ヤコブやペテロを殺すことは、ただ自分の人気取りのためでした。利用しようとしていたペテロを逃したヘロデは、その責任を番兵たちになすりつけ、番兵たち全員を処刑させます・・・。兵士の誰かがペテロを逃がしたに違いないと決め付け、全員にその罪を負わせたのでしょう。または、今後、同じようなへまをしたら、今度はお前たちの命も無いものと思え、という他の兵士たちへの脅しとする見せしめの処刑だったでしょうか?残忍な王による残酷な出来事です。
このヘロデ王は、この時、それほど絶大な権力を握っていたのでしょう。続いて沿岸部に住むツロとシドン地方の人たちが、ヘロデ王に、こびを売りにやって来ます(20節)。何とかして、ヘロデ王の敵意を和らげ、食糧の輸出を再開してもらおうと、画策しに来たのです。
現代の世界とまるで同じですね。食糧危機、エネルギー危機の時代。生き延びるために、何とかしてそれらを確保しよう、輸出してもらおうと、各国の指導者たちやビジネスマンたちは、あの手この手を使って、動き回っています。
ごまをすり、こびを売りに来た人々を前に、上機嫌になったのでしょうか。ヘロデ王は大演説をぶちます。自分の偉大さ・功績を誇るような内容だったでしょうか。最初からご機嫌取りやって来た人々ですから、接待ゴルフで「よっ社長!ナイスショット!」とほめたたえるように、聴衆は「神の声だ。人間の声ではない」と大喝采を上げるのです。独裁者の登場や演説に対して、一糸乱れずに拍手をし続ける某国のようです。
神様の声のようだ、神様のようだともてはやされ、本当にそうかもと、内心ほくそえんでしまったヘロデ王。彼はその瞬間、命を取られます。御使いに打たれ、虫に食われて。
ここで大事なことは何でしょうか? キリスト教会を迫害し、教会の指導者たちを痛めつける宿敵が消えてくれて、めでたし!めでたし!で、終わりではありません。ルカは、この一連の出来事がもたらした結果が素晴らしかったと伝えるのです。24節の「神のことばはますます盛んになり、広まっていった。」使徒の働きの中で、たびたび登場する表現です(6:7、19:20)。
ペテロはじめクリスチャンたちの命が守られた。そして教会が大きくなった・教会員が増えたということが一番大事なことではなく。神様のみことばが本当であることが皆に明らかにされ、イエス・キリストの福音のメッセージが、ますます宣べ伝えられ、信じる者が起こされ、広まって行ったことが一番大事なのだと、最初のクリスチャンたちは分かっていたのです。
ただの人間の声に過ぎないのに、「神の声」だともてはやされた偽りの神が倒され、まことの神様の声・ことばが残った、勝ったのです。まことの神がどなたなのかが明らかになったのです。その結果、「神のことばはますます盛んになり、広まっていった」のです。
この出来事も通して、キリスト者たちは、「私たちには生けるまことの神が、いつもともにおられ、私たちを確実に守っていてくださる」と確信したはずです。この世にあって、自分たちは虫けらのように弱く、小さくても、ともにいてくださる神様は絶対的なお方だと確信できたのです。さらに「正義の神が、すべてを知っていてくださり、たとえどんな試練の中を通らされても、神様はそこに最善をなしてくださる」ということを体験したのです。
主の守りと導きを体験したクリスチャンを通して、神様のみことばはますます広まっていったのです。
この時、ヘロデは自らの力を誇示しようとしました。生殺与奪(せいさつよだつ)の権を握っている自分の偉大さを誇り、自らの栄光を追い求めました。ツロとシドンの人たちは、そんな権力者にへつらい、自分たちの身の安全を確保することだけを企てました。
けれどもクリスチャンたちは、自分の栄光ではなく、神様のみことばと栄光を求めました。どんなに権力者に迫害され、脅されても、自分の損得を省みずに、主イエス・キリストへの信仰を貫き通したのです。
私たちクリスチャンは、ときに自分たちを虫けらのように小さく感じてしまうかもしれません。この国では超少数派の私たちクリスチャンです。無視・無関心・無理解・警戒・誤解・偏見・ときに迫害や攻撃にさらされます。
聖書の信仰者たち、あのダビデ王もそう感じていました。詩篇22篇6節から、
6. しかし 私は虫けらです。人間ではありません。人のそしりの的(まと) 民の蔑(さげす)みの的です。7. 私を見る者はみな 私を嘲ります。口をとがらせ 頭を振ります。
8. 「主に身を任せよ。助け出してもらえばよい。主に救い出してもらえ。彼のお気に入りなのだら。」
9. まことに あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。
10. 生まれる前から 私はあなたにゆだねられました。母の胎内にいたときから あなたは私の神です。
さきほど交読したイザヤ書41章にも、「恐れるな。虫けらのヤコブ」と呼びかけられていました。
自分を「神のようだ」と思い上がったヘロデ王のように、私たちもときに、調子に乗りやすく、別のときには、自らを「虫けら」のように無力で愚かだと感じてしまう存在です。
そして「私なんて地のチリに等しい、虫けらのような存在です」と、口では謙遜ぶりながらも、実際に人から「ゴミ扱い・虫けら扱い」されたとしたら、「人権侵害だ」、「尊厳を傷付けられた」と腹を立てる心には大きなプライドを持つ存在です。
そんな人や自分の評価ではなく、偉大で聖なる神様の御前に立った時、私たちは罪人であり、本当にみじめで、弱く、小さな虫けらのような存在なのでしょう。それでも、そんな私たちを「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と言ってくださる神様なのです。我が子としたあなたを何があっても守るよ、助けるよ、救い出すよと約束してくださり、そうしていてくださる神様です。
「恐れるな、私がともにいるから」
「心配しなくてもよい、私があなたを助け、日々の必要を与えるから」
神様のこのみことば、この御約束だけ信じ、主とともにずっと歩み続けてまいりましょう。
祈りましょう。
みことばへの応答
以下、自由にご記入ください。
1. 自分自身を「虫けら」のような存在だと感じてしまったことがありましたか?
2. そんな「虫けら」のような私を「高価で貴い」と見ていてくださる神様の愛を感じていますか?
お祈りの課題