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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

近代アジアの動乱31-ベトナムから清仏戦争へ

2023.03.14 11:35

やはりフランスはやってきた。1883年8月20日、クールベ提督の指揮下で、ベトナムに正式侵攻。阮朝はあっさり降伏する。続いて黒旗軍に攻勢をかけるが、激しい抵抗を受ける。83年12月、1万を越える大軍でソンタイ川の戦いが始まった、対する黒旗軍は3000人である。

この戦いでは一時黒旗軍が優勢に立つが、火力の優位を生かしたフランス軍が押し戻し、黒旗軍は半数を失って退却した。黒旗軍首領の劉永福は、清国が動かず捨て駒にされたと憤ってこの後黒旗軍を動かさない。84年3月、バクニンの戦いでは仏軍1万、清軍2万だったが、清軍はあっさり撤退してフランスが占領した。

清国の態度はフランスと戦うか曖昧で撤退を続けた。宮廷内でも反発が強まり、責任を問う上奏文が出された。事実上トップの西太后はこれを利用して、恭親王以下うるさい敵対勢力の首を切って自分の子飼いの凡人達にすげ替えた。西太后は宮廷の勢力争いばかり考えていた。

西太后は李鴻章にフランスとの和平交渉をすすめさせ、コーチシナ、トンキンの植民地化を認めた。しかし追放された武闘強硬派は、全面戦争を望んで清軍を撤退させなかった。現地では小競り合いが起こり、84年6月、フランス軍が清軍を攻撃したことで、ついに清仏は激突する。