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人生道半ば

閑話休題

2018.05.17 00:00

皆様にとってはどうでも良いことですが小生の好きな音楽感に対して今日は投稿します。

小生の先祖は北海から明治時代に蝦夷地(北海道)からキリスト教を布教させるために西へ西へと向かい、理由は知りませんが兵庫の地に落ち着いたのが小生のお爺ちゃんです。

そのため小生は北海道や東北に親せきが多いのです(ほとんど疎遠ですが)

お爺ちゃんが生きてた頃の記憶は僕にはありません。

うっすらと覚えているのがお爺ちゃんが亡くなった(癌と聞いてる)時小生は九州に住んでいたので兵庫の実家に戻り、お爺ちゃんをみたらすでに冷たくなっていて和室の布団でこじんまりとひっそりと永眠していました。

その時の感情は思い出せないのだけど、実家には仏壇の代わりに祭壇があり、十字架やキリストの絵や像に囲まれていました。子供心にあの絵や雰囲気は何だかコワイ感じがして

いたずらっ子だった小生も祭壇の前ではシュンとして神様に祈る普通の子供でした。

子供のころは何も疑わず、日曜日の朝は教会に行ってミサに参列し、賛美歌を歌い、祈りを捧げ帰りには唯一外食できる親子丼ぶりを食べさせてもらうのがうれしかったのです。


小学校2年生(8歳)のある夏の日、どこかの高原に教会主催の夏季林間学校のようなものがあり、小生は公共の宿のようなところに一泊しました。その時はなぜか外国の教会の子供たちも数人きてて(白人も黒人も)初めて遭遇する外国人の同年代の子供に興奮したのをはっきりと覚えています。

夕食後神父様(黒人)を囲んでの祈りとキャンプファイヤー・・・・

この瞬間に小生の幼心は揺さぶられ、シェイクされ(笑)電気に打たれたようなショックを感じたのであります。

配られたミルクを片手に賛美歌を日米の子供たちが交互に歌い、外国の子供たちはスウィングし本当に天国と交流しているかのような感動的な星空と炎・・・あの時ぐらい感動した星空はいまだに経験がありません・・・

宴もたけなわキャンプファイヤーの日もパチパチと小さくなりかけたころ黒人の神父様がクラシックギターを宿で見つけてきて小さくなった火の近くでポロンポロンと軽く弾き始めたのです。歌ってました。もちろん英語で(笑)何言ってるか全くわからなかった(当たり前だ)歌い終わったとき最後の一言・・・これはしっかり覚えているんです。

「・・・ハレルヤ・・・」

って言った。

当時は意味もなあんにも理解できていなかったのですがっ教会に出入りしてるとしょっちゅう「ハレルヤ」という単語は耳にするんです。あ、まあ「ハレルヤ」はどうでもいいです(笑)

とにかく何言ってるか不明でしたが「ハレルヤ」という単語だけ聞き取れ(意味はわかってないけど)その瞬間、小生はガーン!となってしまったのです!

今思い起こせばあれは絶対 THE BLUESだったはず!なんにも難しい指の動きでもなった。

ですがそこに子供心を揺さぶる魂は絶対あった。いや、神父様はきっと「子供にええとこみせたろ」と思って演奏していたのではなかった。むしろ僕らの存在を忘れ、ギターつま弾きながら火を寂しげに見つめ天と交信しているかのようだった。

いいですか?ここ大事なとこ。初めて生ギターの音を聞いたのがこの夜なんですよ。

しかも神父様が弾いた。そしてBlues。

もちろん、当時はBluesなんて言葉も知らないんだけどあのころ小生の周りの音楽といえば「およげたいやきくん」ですからね(笑)

どれだけ心震えたか・・・

続く・・・

・・・・・ち・・・・・