自分の人生に自ら意味と価値を与える
一指李承憲@ILCHIjp
その他 Life is nothing.
人生に何ら意味がないということほど大きな祝福はありません。あなたの人生には定められた運命や意図なんてものは存在しません。だから、あなたは自分の人生に自ら意味と価値を与え、その価値を実現するための創造活動に専念すればよいのです。
世間には幸せや成功に関する、よい言葉があふれています。しかし、それは人の言葉に過ぎません。人の考え、人の提示した答えに従って生きるのではなく、自ら問いかけ、選択し、その選択に最善を尽くすことによって人生のあるじとして生きましょう。
FacebookAyuka Mizoguchiさん投稿記事
どの情報を信じれば良いの?ではなく、どの情報も信じなくて良いだろう。自分はどうありたいか?ハートに聞いてみよう。思考は正しさを求めるけど、ハートは真実を思い出させてくれる。真実(愛)に立てば、真実(愛)に呼応し、それが答えと分かる♪
Facebook近藤裕子さん投稿記事🍀🍀禅語とわたし🍀🍀 「不識」ふしき
人はどうでもいいことに拘って自分を見失う事があります。
例えば 学歴とか年収とか容姿とか知っているとか知らないとか。。
けれど考えて見れば 私たちの人生は、わからないことだらけです。
明日の事も。自分のことも。命が何かということも。死んだらどこへ行くのかも。
だいたい、分かることがよい、分からないことが駄目ということ自体が思い込みであり 分からないことはすばらしいと思えば、周りはすばらしいことに満ちあふれていることになります。
大慧禅師の「不會如金。會得如屎」という言葉があります。
「不会」は分からないこと「会」は分かることです。
分からないことが金で、分かることが屎。ということになります。
「「不知」はダルマ大師が武帝の執着心に対して答えた「不識」と同意語です。
知る、知らない、分かる、分からないを超えた自由な心にこそ 人生の楽しみ方があるのかもしれません。
言葉・名言-ミライノシテン-@mirainoshiten_2
いつ考えるかでも変わってくる
マノマノ稲穂@manomano_farm
いくら自分が正しいと思っても、相手を一方的に「間違ってる」と叩かないことです。正論は正しければ正しいほど鋭くなります。相手に正しさを振りかざすのではなく、優しさを振り分けられる人のように「なにを伝えるか」よりも「どう伝えるか」の意識を大切にしたいなと。あ、おはようございます
満月のりこ【心理セラピスト@東京】@mitsukinoriko
あの人がこうだったらいいのに意識がいつも外側を向いている
相手を変えたいのはそれだけ不安だから
あの人のせい あの人が悪い そう思っていれば 自分の問題にも 触れなくてすむ
人を変えることは できない 変えられるのは自分だけ
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事 地球の用事
みんなが同じものを見ていたとしても、同じものを「見て」いるわけではないですね。
私にしか見えないものがありますし、それぞれの人にだけ見えるものがあります。見えるものだけを頼りに生きる、といっても、こんなふうに「見える」ものすら、それぞれなのですし、ましてや「見えない」世界がまた重層的にあるわけです。
それを交感したり共有できるのが人の感性というもので、だから「芸術」と言われるようなものも成立するのだと思います。
子どもの頃、葉っぱの筋(葉脈)と血管が似ていて、それはまた川が支流になっていくカタチにも似ていると気づいたとき、なにかすごいことを発見したように思いました。相似形とかフラクタルという言葉を知りませんでしたが、「いのち」とか宇宙は入れ子式になっているのだとぼんやりと感じたように思います。
見えないものでも見えたり感じたりするのですし、聞こえないものもまた聞こえてきます。子どもは、見る、聞く、の名人、大天才ですね。その芽を伸ばしていくのが大人の責任です。
見る、聞くの名人といえば、まどさんもそうです。久々にまどさんの詩をひとつ。
「地球の用事」 まど・みちお
ビーズつなぎの 手から おちた 赤い ビーズ 指さきから ひざへ ひざから ざぶとんへ ざぶとんから たたみへ ひくい ほうへ ひくい ほうへと かけて いって
たたみの すみの こげあなに はいって とまった
いわれた とおりの 道を ちゃんと かけて いわれた とおりの ところへ
ちゃんと 来ました と いうように いま あんしんした 顔で 光って いる
ああ こんなに 小さな ちびちゃんを ここまで 走らせた 地球の 用事は なんだったんだろう
Facebook相田 公弘さん投稿記事
久しぶりに百田尚樹さんの「永遠の0」を読み返し、涙がとまりませんでした。
その中から少しご紹介させて頂きます。特攻を言い渡された男のお話です。
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鹿屋に着いたその日、二日後の出撃を言い渡された。動揺はなかった。
ただ母に会って別れを告げることが出来ないのが心残りだった。その夜、母に遺書を書いた。
次の日、私は基地の外を散歩した。集落を離れ、山の方を歩いた。
暑い日だった。しかし流れる汗さえ心地よいと思った。もう明日からは汗をかくことさえない。目に入るすべてのものがいとおしかった。
何もかもが美しいと思った。道ばたの草さえも限りなく美しいと思った。
しゃがんで見ると、雑草が小さな白い花を咲かせているのが見えた。小指の先よりも小さな花だった。
美しい、と心から思った。
その花は生まれて初めて見る花だったが、この世で一番美しい花ではないだろうかと思った。
小川があった。靴を脱いで、足を流れの中に入れた。水の冷たさが心地よかった。
両足を水に浸したまま川縁に寝そべった。瞼を閉じると、蝉の声が聞こえた。
蝉がこんなにも美しく鳴くものかと初めて気がついた。
この蝉の子どもたちは七年後の夏にも同じように鳴くのだろうなと思った。
その時、日本はどうなっているのだろうかと考えると、たまらなく切ない気持ちになった。
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「永遠の0」百田 尚樹 著 講談社文庫より
http://amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406276413X/andkei-22/
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雑草さえも、この世で一番美しい花ではないだろうかと思える。
いつも見ているもの、いつも近くにいる人、あたりまえじゃなく、有り難い存在なんですね。
そういえば子どもの頃は、雑草や葉っぱや虫さえも、ワクワク、キラキラ、見ていたなぁ~。
今、生きていること、生かされていることに感謝します♪
※魂が震える話より