市民と行政を議会という場で繋ぐ(2023.3.16)
2期目を迎え、迷ってきたことがある。
議員の役割とはなんだろう・・・・。
こんなことを書くと市民の皆さんに叱られるかもしれないが、多分、多くの議員が2期目冒頭ぐらいにに迷ってきたのではないかと思う。
市民の皆様方には、様々な不満を背景にしたご意見やご批判があると思う。
しかし、限られた予算、人員というものが、案外ピンときてないのではないだろうか。
無駄遣い・・・。
これもよく聞くが、私の印象では無駄遣いはない。
しかし、昔からの契約や利害に縛られたものなどは、できるだけ改革したほうがよい。
市の職員の裏の努力とか、批判を受けなければならないプレッシャー。
限られた予算と人員ゆえに、ベストではない、ベターな選択。
どんなことにも、完璧などない。
ベストは目指しているが、決してベストにはならない。
それが人間界だ。ある意味、多様性ゆえにといえよう。
また、かなり裕福な自治体以外は、財源は国や県にたよるしかない。
補助金などは、使い道が決められている。また、行政なので国の法律に沿ったものでなければならない。公共とは公益性と平等は必ず担保しなければならないもので、偏った利害関係を避けなければいけない。
ご意見は理解できますが、法律に反しておりまして・・・。
こんな会話も珍しくはないだろう。
世の中とは、一種の綱引きで成り立っている。
文明の流れを見れば、常にやじろべいのような波のようなゆらぎの繰り返しだ。
右に傾き過ぎれば、今度は、左へ。上がり過ぎれば、今度は下降に転じる。
100人いれば100の違う要望があり、その中で、1を選択しなければならないのだ。
だから、意見交換や議論が必要で、落とし所を探すのである。
俺の声だけを聴け!!!は、独裁である。
地方の田舎町には、プレイヤーが少ない。
もっと少ないのは、現代に活かされるべきノウハウや経験である。
大きな利益を生み出し、次世代にまちの明るい未来を手渡そうとするならば、
例えば、経済の場合、大きな企業、今の人気産業を誘致するなどの政策が必要である。
そんな企業を誘致するためには、ハード整備はもちろん、魅力あるプレゼン力、あとはコネクションが必須となる。人付き合いを大切にする日本は、意外にこのコネクションというのがモノを言う。
これは民間となんらかわらない。
東京には大手企業の本社がゴロゴロある。
東京のすごさは、ぞこだ。そして、人材も若いパワーも満ち溢れている。
何かの拍子でつながり、新しいビジネスとなり、シナジー効果は、あちらこちらで起こる。
そして、新しい刺激や要素を振りまきながら日本を牽引していく。
進化や深化は毎日起こっている。
だからこそ、田舎はいかにそうしたノウハウや経験を有する企業を呼び込むか?
それは、今後の安定した地方経済、人々の暮らしを支える意味でも、積極的にアプローチしていかねばいけない。閉鎖的なら簡単に廃れていくだろう。
(田舎にある特有なものを研磨し、最高の付加価値まで高めるという選択も悪くはない。)
話が脱線した。
市の職員は、市長という、市民が選んだ政治家の方針で日々、業務に邁進する。
また自治会(住民による団体自治の基礎)要望も多いだろう、道路の修繕や改良などなど、限られた財源で優先順位をつけて計画的に行ってている。
職員はスーツばかり着ているわけでない。田舎の市の職員の多くが、作業着を着て、時には軽トラで出て行く。女性職員の中にもそうした方もみえる。
ただ、業務も忙しく、行政的な事務作業を膨大にこなさねばならない中、私たち議員のように自由に歩き回ることは難しい。また、議員の多くが民間企業の出身であったり、自営業者であったり、主婦であったりするから、より市民目線に近い暮らしを送ってきた。また、私のように、行政ができない部分を埋めるための市民活動に尽力した経験を有する者もいる。
市の職員では見えない部分を、市民の声を聞きながら、それを、行政に持ち込むのではなくて、議会に持ち込み、会派や委員会等でもみ、政策提言に結びつける。
それが議員の仕事ではないだろうか。
市民や団体の御用聞きは、選挙の票につながるかもしれないが、前提として、市からの便宜を引き出さなければならない。それは、倫理的にどうかのかとも思う。
それが政治家の力だ!議員の力だ!
とおっしゃる方もいるかもしれないが、本当にそうだろうか。
優先順位をひっくり返えすこと。
ある地区や団体のエゴを優先すること・・・。
それが力というならば、やはり、力のないものは、絶対に主役にはなれない。
完璧でないが、よりベターの方向にみんなが進むためには、
みんなが公共を意識し、譲りあい、支え合い、そうした不完全な世界観を愛することが大切だと思う。
その世界観を市民と共に分かち合うためのリーダーが地方議員なのだと思う。