何でもない自分を認めるとき、痛みが伴う
こんにちは、
精神科医の諸藤えみりです。
「解離性障害」
という疾患があります。
心的外傷への自己防衛として、
自己同一性を失う疾患です。
・ストレスをきっかけに記憶をなくす
・気づいたら知らない土地にいた
・自分が誰か分からない
・てんかん
・複数の自己を持つ
・歩けない
・手足が震える
・見えない、聞こえない
・声が出ない
など、
さまざまな症状があります。
今回は
解離性障害になることで
どんなメリットがあるかという
お話です。
外来に来られる方で
解離性障害の方がいます。
(特定されないよう配慮しています。)
この方は
急に歩けなくなりました。
身体科で精査を受けても
異常はありません。
30代前半の女性で
松葉杖で来られています。
歩けなくなる前に
仕事で大きな挫折をしたそうです。
順調だった人生で、
初めての挫折です。
心の傷が
歩けないようにしています。
つまり、
心理的葛藤が身体症状へと
転換されているのです。
歩けないのは困る。
でも、復職しなくていい。
現実と向き合わなくていい。
歩けないことで
利益があるのです。
無意識に
自分で病気を作り出しています。
現実の自分と向き合うとき
痛みが生じます。
「自分はもっとできるはずだ!」
と、プライドが高いと
大したことない自分を
認められません。
わたしも過去、
休職した自分を
認められませんでした。
「わたしはこんなもんじゃない。」
と、あがきました。
仕事ができない自分、
カッコ悪い自分を
認められませんでした。
自分が
何でもない人間だということを
認めるのはつらいです。
自分は特別だと思いたい。
わたしは苦しみながらも
現実を受け止めましたが、
行程は楽ではありませんでした。
この方の逃げたい気持ちも
分かります。
わたしが彼女に
何をするのかと言うと、
「受容」。
根本的解決に向き合わず、
「病気だから優しくしてね。」
と無言で訴える彼女を
叱責、鼓舞しない。
現実に直面できない心のつらさ、
弱さにただ寄り添う。
愛とは相手を許容すること。
変えないこと。
こちらにも忍耐が求められます。
わたしは
彼女がまた歩き出す日を
待っている。