主を信じる者の生き方
「全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」「動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」「愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。」 ヘブル10: 22,23,24
TVの宣伝に、「そこに愛はあるんか」というのがあります。「もしこの世から愛がなくなってしもたら、ア行には、ウ~とエ~とオ~だけになってしまう」という宣伝です。馬鹿々々しくて笑えてしますのですが、きょうの「みことば」に照らされて言うならば、決して笑い事では済まされません。、、、「もしクリスチャンから、、、キリストの愛がなくなってしもたら、、、天国に行ける保証は、、、なくなってしまう」ということになります。
イエスさまが流された血潮で罪赦され、イエスさまという確かな「救いの道」を歩むクリスチャンに求められることは、信仰と希望と愛です。主を信じる「信仰」と、主を信じることで約束される「希望」と、主を信じることにより(自然に)身に着く「キリストの愛」、、、クリスチャンに求められるのは、本日の箇所を通して、この3つであると示されています。
まず初めに、主の救いを信じる(私たち)クリスチャンに求められ第一のものは「全き信仰」です。「神に近づく」とは「主のようにされていく」ということです。そのためにクリスチャンに求められる大切なことは「全き信仰」です。「全き信仰」とはどのような信仰でしょうか。強い信仰とか、弱い信仰ということではありません。ただ主を信頼して神さまにつながっている信仰のことです。ライトの明かりをつけるのに力をいれてスイッチを押す必要はありません。大切なのはスイッチを入れるだけです。単純に主を信じてつながっていれば(信仰の)明かりはつくのです。それが「全き信仰」です。
主の救いを信じるクリスチャンに求められる第二のことは「(主を信じて与えられる)希望」です。私たちの信仰生活には試練があります。ときには「失望すること」があります。それは悪魔が主からあなたを引き離そうとする時でもあります。人は希望がなければ生きることがでません。ですから、私たちは動揺せず、常に(主にある)希望をもって生きることが大切です。聖書に「約束された方は真実な方ですから」とある通り、神の約束は必ず実現します。その最大の約束は、私たち信じる者たちが「天国に行くことができる」ということでしょう。私たちは、その希望を持ち続けることが大切なのです。
主の救いを信じて歩むクリスチャンに求められる第三のことは「キリストの愛を実践する」ということです。信仰や希望もそうですが、クリスチャンの愛は(クリスチャン自身の中にあるもの)ではありません。それは、キリストを通して神さまから与えられるものです。神は愛のお方であり、その愛の表われとしてキリストを私たちに与えて下さいました。すなわち、私たちの罪をすべて赦すために、独り子のイエスさまを十字架につけられたお方です。私たちも(その)主の愛を戴いている者として、(主としっかりとつながって)喜んで主の愛を与える者になり、奉仕も(主のために)喜んでささげ、困っている人にも手を差し伸べる者になりたいと思います。