道端に今年もすみれ
アスファルトの隙間から今年も。長い歯ではあるけれど、これも西洋すみれの一つかな?
こうした花に出会うのが嬉しいもの。忙しい毎日ホッとする。
花粉症で嫌いになりそうな春だけど、やっぱりこうした花と出会うと。春はいいもの。今年は彼岸花(曼珠沙華)より早い。
子供の頃ならこうしてすみれの咲く頃 土手の土筆をとったり、蓬を摘みに行って草餅を作ったりしたなと思う。都会の中で住むこの街は自然がある方ではあるけれど、流石にそうしたことはできない。 で 香りで食で春を楽しむ週末にした。 酒の趣に一色添える。
花といえば。ベランダの小手毬。いつの間にやら蕾が出てきていた。
寒い時期に枝振りを剪定したおかげで、今年の枝の景色はなかなかいい。一人悦に入る
鉢植えだった花もいつの間にか自然の花のように可憐な花としてベランダにひそり咲くようになった。これはなかなか根がしぶとくて。元々はこれがこの花の本領なのだろう と思ったりして。
整えながら あるように自然に。人の生き方もそうかもしれない。
先日突然思ったことがある。
齢重ねてきて、このところ一年ごとに変化がやってきているように思う。すると今までを随分向かい風に逆らうように生きてきたようだ。それはそれ 大事な時期ではあったけれど、だからこその現在でもある。
それでもこの春を迎えて
整えながら あるように自然に。そうありたいと思う。阿ることもせず。示唆はしたとしてもジタバタと躍起になることは所詮不自然なことで。特に人に関わる仕事をしていると、なにやらむきになることが多いものの。所詮業に執着しているために身を滅ぼすのは執着する者の勝手。関わる以上最善は提案するも、変えようとするのもまた私の執着かもしれないと思うようになった。
すると
憑き物が落ちた様に、今までのこだわりも遠くに引いていった。
残したものがある。これからはその集大成。そこに集中する。
そして毎日を自然にあろうと思う。
さて次の春に私の中に何かが咲くのだろうか。