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ZIPANG-7 TOKIO 2020沖縄の伝統的な髪型「沖縄からじ結い」と頬杖土偶の共通点を考えるー国際文化学園の美容考古学研究所

2023.03.21 11:15


   ~定例サロンを2023年3月22日(水)に開催~


学校法人国際文化学園の美容考古学研究所では、土偶、埴輪のヘアメイクから縄文、弥生、古墳時代の美容を研究、歴史的遺物から当時の髪型や化粧を類推して再現することを主とする活動の一環として、毎月末の最終水曜日に定例サロンを無料開催しています。


首里城 守礼門 王妃(沖縄からじ結い)と琉球王           編集局イメージ


今帰仁城跡 石門 王妃(沖縄からじ結い)と王            編集局イメージ


今帰仁城跡 王妃(沖縄からじ結い)と王               編集局イメージ


今月のテーマは「沖縄からじ結い」です。沖縄にはからじ結いという独特の結髪法があります。からじ結いとは、頭頂に髷(まげ)を作り、その根元に残りの髪を整えて巻きつけ、簪(かんざし)で差し留めたものや、左右のビンを少し非対称にまとめるものなどがあります。


身分や職業、生活習慣などによって様々なバリエーションがあり、髪の結い方が異なっていました。


沖縄からじ結い                             


今帰仁城跡 王妃 沖縄からじ結い                  編集局イメージ


   頬杖土偶


からじ結いの髪型には、縄文時代中期の土偶にそっくりなものがあります。重要文化財にも指定されている風張1遺跡(青森県八戸市)から出土された頬杖土偶は、まさにからじ結いとも捉えられるような土偶髪型ではないかと思います。


沖縄と縄文との関連性はよく言われることですが、髪型からも、その深い結びつきが考えられるのではないでしょうか。


今月のサロンは、3月22日(水)16:30より国際文化学園美容考古学研究所(渋谷区神泉町1-4 国際文化理容美容専門学校渋谷校 6号館B棟4F)にて開催です。


ゲストに、玉木流琉装からじ結い研究所師範の久保頼野さんを講師に招き、会場で実際にモデルの髪を結い実演します。


沖縄の伝統装束と共に、琉球文化と縄文との関係について、会場の皆様で一緒に考案します。無料で参加できるので、お気軽に体験をしてみてください。


玉木流琉装からじ結い研究所 東京支部

解説 久保頼野(玉木流琉装からじ結い研究所 師範)

アドバイザー:譽田亜紀子(文筆家)


                 沖縄からじ結い


【開催日時】

第21回 美容考古学勉強会

日時:2023年3月22日(水)16:30~

会場:国際文化学園美容考古学研究所 ※会場が変更になる場合もございます

   (渋谷区神泉町1-4 国際文化理容美容専門学校渋谷校 6号館B棟4F)

費用:無料


▼参加希望の方はこちらより▼

国際文化学園 美容考古学研究所

主任研究員 篠原博昭

電話   : 03-6416-5348

Mail  : shinohara@kokusaibunka.ac.jp



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


協力(敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


今帰仁城跡(大隅城壁)

琉球の古謡集は、今帰仁のことを、このように詠っています。

聞こえ今帰仁(きこえみやきせん)

「名高い今帰仁城は」

百曲がり 積み上げて(ももまがり つみあげて)

「曲折した(曲線美の)城壁を積み上げて」

珈玻羅寄せ御ぐすく げらへ(かはらよせおんぐすく げらへ)

「玉のような石が寄せられ、城(グスク)が築城された」

鳴響む今帰仁(とよむみやきせん)

「名高く鳴り響く今帰仁よ」

※昔、今帰仁は『みやきせん』と呼ばれていました。

琉球列島は日本列島南端に位置します。14世紀中頃には三王国が分立していましたが、15世紀前半にこれらを統一して琉球王国が成立しました。中国・朝鮮・日本・東南アジア諸国との広域の交易を経済的な基盤とし、当時の日本の文化とは異なった国際色豊かな独特の文化が形成されました。その特色を如実に反映している文化遺産が城(グスク)です。

今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城は、いずれも三国鼎立期から琉球王国成立期にかけて築かれた城であり、首里城は琉球王がその居所と統治機関を設置するために築いたものです。これらの城壁は、主として珊瑚石灰岩により造営されており、曲面を多用した琉球独自の特色を備えています。さらに、王室関係の遺跡として円覚寺跡、玉陵、識名園(別邸)が残り、王国文化をうかがうことができます。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~世界文化遺産 今帰仁城跡~ 「聞こえ今帰仁 百曲がり積み上げて 珈玻羅寄せ御ぐすくげらへ 鳴響む今帰仁(1)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6539473/




今帰仁城跡とは

今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。

世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離にあります。

今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。

堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。

攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「伝説と国宝『宝剣千代金丸』(2)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6548657/



今帰仁城跡・今帰仁城内の御嶽と祭祀



ウンジャミ(海神祭)



旧盆の明けの亥の日をはさみ三日間「ウンジャミ」の祭祀(さいし)が行われます。一日目はウーニと呼ばれる土盛で船漕ぎの行事を、二日目には「グスクウイミ」と呼ばれ城内のハサギ跡(北殿跡)で五穀豊穣、無病息災、家内安全、子孫繁栄を祈願し、さらに主郭の「火神の祠」「カラウカー」「ソイツギ」「テンチジアマチジ」の各拝所を廻って祈願をします。

それから平郎門を出て城外旧道の小道(ハミミチ)を通り、シバンティーナ浜で御願します。神人を率いる先頭はトウシンケージの旗をかかげ、最後は今帰仁ノロ殿内近くの小高い丘(プイヌモー)で今帰仁城跡に向かって拝み、グスクウイミの終わりを告げます。

最終日三日目はシマヌウイミといい、今泊区内の旧親泊・今帰仁の両シマの神ハサギで執り行われます。

現在では、これらの祭祀も昔から行ってきた神人達(かみんちゅたち)の老齢化等から、祭事そのものが簡略化して古式にのっとった祭祀はほとんど失われているのが現状です。

国選択無形民俗文化財平成4年2月25日

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「今帰仁村の海と今帰仁城跡の祭祀(3)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6556323/



今帰仁まつり 伝統の衣装に髪型をご覧あれ・・・

ぬーんねしが今帰仁村

「ぬーんねしが」とは沖縄方言で「何もないけど」という意味。
今帰仁村にはショッピングモールもファミレスも大型娯楽施設もありません。
だからこそ、手つかずの大自然や昔ながらの風景が残っている。

「何も無いけど満たされる。」それが今帰仁村。

今帰仁村では、一年を通じ各集落において沢山の祭やイベントが開催される。
本号では、その中から特に地域に根ざした「祭り」をご紹介!

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「ぬーんねしが 今帰仁村19の集落と祭り(4)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6564987/




グスクの造営と按司(あじ)の誕生

十世紀から十二世紀頃、琉球列島にはシマ(村)を統率するリーダーが登場します。彼らは「按司(あじ)」あるいは「太陽」や「世の主(ユヌヌシ)」と呼ばれ、やがて緩やかな地域統合がなさされる中、沖縄本島には三つの政治的領域が築かれました。山北・中山・山南として中国の史書にも登場する三山がこれです。各王は中国(明)と朝貢(ちょうこう)を行い富を得るとともにその支配権を強めていきます。やがて15世紀はじめに尚巴志(しょうはし)によって三山統一が進められ琉球王国が誕生します。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「琉球王国のグスク及び関連遺産群(5)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6571862/



今帰仁村 今泊のフクギ屋敷林及集落景観

(なきじんそん いまどまり)と読みます。

フクギが立派な天然の門となっています。家はフクギに守られてその奥に!

したがって、豊かなフクギ並木屋敷林や、伝統的な地割を保全し、建築物や工作物はフクギ並木の高さを越えない高さを基本とします。さらに集落内道路については、排水溝の設置の仕方や、海を守るための下水処理対策を検討し、フクギに囲まれたのどかな集落道として相応しい道路景観の形成を図っています。

また、今帰仁城跡からの眺望に配慮し、大規模な屋根や派手な色彩の建築物など眺望に影響を与えるようなものは避けるよう努めています。 

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020  文化庁 重要文化的景観選定 「今帰仁村 今泊のフクギ屋敷林及集落景観(沖縄編)」~あなたは、もうご覧になられましたか~
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6523216/




生命の神秘をたどるガンガラーの谷

ガンガラーの谷は、数十万年前までは鍾乳洞だった場所が崩れてできた、豊かな自然が残る亜熱帯の森。約1万8000年前に生きていた「港川人」の居住区としての可能性も高く、今も発掘調査が行われ、「自然」や「命」に思いを巡らせながら体感していただくことをコンセプトにしています。

谷の広さは約14500坪、歩行距離は約1㎞。足を踏み入れて初めて分かる、広大な太古の世界が広がっています。



あなたは何時しか太古へタイムスリップ

ガンガラーの谷に息づく豊かな自然や、考古学的・民族学的にも価値ある場を守るために、また、各地から訪れる旅人に多くの体験・体感を楽しんでいただくために、谷の”旅”には専任のガイドがついています。

見学や見物を超えて、いつしか谷の世界にのめり込む道のりは、まさに太古の世界へ引き戻されます。ガイドツアーならではの期待以上の収穫の多い体験にはきっと驚かされることでしょう。タイムスリップの所要時間は約1時間20分です。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020~ 生命の神秘をたどる旅とは ~「 あなたはもう行きましたか ⁉  今、世界が注目する  ガンガラーの谷へ」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6373788



大石林山 流石南国の夜空。星の輝きが断然違いますね〜名古屋辺りだとこのレベルの輝きを拝めるのは木曾御岳山くらいかな〜?いや、そう言えば飛騨荘川はこれと同じくらいだったかも…?

大石林山は聖なる地

聖地・安須杜(アシムイ)

島建ての神、アマミキヨが降り立ち沖縄最初の聖地、安須杜※を創ったという。

琉球王国時代には王家の繁栄、五穀豊穣、航海安全をこの地で祈り今も四十箇所以上ある御願所(拝所)に神人の祈りが捧げられています。

2億年前の石灰岩層が隆起し長い歳月をかけて侵食された四連の岩山。

地元の古老たちは安須杜の四峰をシノクセ、アフリ、シジャラ、イヘヤと呼ぶ。

大石林山は聖なる地、イヘヤ、シジャラの杜をめぐる自然と対話する場所。

大石林山がある安須杜には40を超える御願所(拝所)があり、断崖絶壁や立穴の洞窟など非常に危険な場所にもつくられていることから、その信仰の深さがうかがえます。 安須杜は長老の杜、峰に名付けられたアフリは天帝の差す傘、シジャラは女性の乳房を意味しています。

※安須杜(アシムイ)

17世紀に編集された琉球最初の歴史書『中山世鑑』(ちゅうざんせいかん)では、祖神アマミキヨによって一番に安須杜が創られたと琉球開びゃく神話を伝えています。 また、12〜17世紀に琉球王府がまとめた沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』には、国王の命で安須杜の湧水が王家の長寿を祈る若水として用いられたと詠われています。


大石林山 には「バリアフリー対応」の東屋あり。途中ご年配たちの一服ヤスミへの優しい配慮。つい、山形での月山登拝を思い出す。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020昔から伝わる聖なる地 大石林山「~琉球神話の杜に広がる自然と対話する場所〜」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6351478



太陽と海と緑の本部町「瀬底島」

戦後間もなく建てられた築60年の琉球古民家をオーナー含む地元ボランティアの方々がリノベーション。新たに土地を切り開くのではなく、島に眠る地域財産に命を吹き込んだアップサイクルな宿泊施設です。地球と島に敬意を表し、環境を尊重した新たな宿泊スタイルを提案します。

琉球文化独特の風情ある外観を生かしてリノベーションされた琉球古民家貸別荘「美ら民家(ちゅらみんか)」。まるで沖縄のおばあの家に帰省したような昔ながらの島暮らしを体験することができます。


琉球古民家貸別荘「美ら民家(ちゅらみんか)」アプローチに植えた沖縄の植物がお出向かへ

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 太陽と海と緑の本部町~瀬底島~「ここには都会はありません!」  琉球古民家貸別荘 美ら民家(ちゅらみんか)開業
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/7129645/




木曜芸能公演 ~百花繚乱~

木曜芸能公演~百花繚乱~は、沖縄伝統芸能の普及を目的とし、那覇市の中心地、国際通りにあるテンブスホールで毎週木曜日に開催されている伝統芸能公演です。組踊(くみおどり)・琉球舞踊・沖縄芝居・沖縄民謡・離島芸能など、毎週異なるジャンルの芸能を開催。

県内のお客様だけでなく、県外/海外のお客様にもお楽しみいただくため、日本語/英語の字幕を付けた組踊公演や、沖縄独自の所作や衣装が楽しめる琉球舞踊・離島芸能公演など、沖縄方言がわからない方でもお楽しみいただる内容となっています。また、館内はバリアフリーで点字ブロックや多目的トイレも設置。ハード面だけでなく、車椅子の方優先公演を年数回開催するなど、多く方に沖縄芸能に親しんでいただける公演創りを目指しています。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG TOKIO 2020「2020年に向けて、あなたの文化プログラムを発信!!沖縄伝統芸能の普及を目指し『木曜芸能公演 ~百花繚乱~』文化庁」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4188617



沖縄 中城村 子供中心で伝統の組踊

新しい行政区である南上原地区には、伝統芸能がなかったことから、地元に伝わる物語を題材にして創作された「糸蒲の縁」。

沖縄の代表的な伝統芸能「組踊」で、子どもたちが中心となって上演する本活動は、優れた若手の指導者らによって、高い芸術性が表現され、多くの公演が行われている。

伝統芸能にもとづき、地域文化を創造する取り組みは、新旧住民や世代間の連帯を促進し、新しいコミュニティ形成が進められている。


ZIPANG-6 TOKIO 2020地域の文化・自然遺産を未来へと守り伝える未来遺産運動 “プロジェクト未来遺産” 無形分野の「オンライン交流会」を開催!
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/23935157



伝統的染織物の宝庫・沖縄

陶芸や織物、染物など、数多くの伝統工芸が根付く沖縄。なかでも染織物は、10種以上が現在でも受け継がれています。

「沖縄の染物といえば、華やかな色彩が印象的な『紅型』が有名ですが、織物も豊富です。素材は、『芭蕉』、『苧麻(ちょま)』、『木綿』、『絹』などがあり、『花織』、『かすり』などの多様な技術が彩られます。 沖縄本島でも北部、中部、そして南部にそれぞれ特徴のある織物があります。また離島でも、宮古島や八重山諸島には『上布』と呼ばれるものが、久米島では『久米島紬』が作られています。日本でもトップクラスの多さですよ」と話す篠原さん。

各地域に多彩な織り方があるのが特徴。例えば、那覇で織られている『首里織』には、浮き糸で模様を織りだす「花織」や、平織に経糸(たていと)だけを浮かせた「ロートン織」など7種以上の織りがあります。地域によって素材も織り方もさまざまです。

沖縄の染織物13種 美しい仕上がりで多くの人を魅了する沖縄の染織物。

沖縄で生まれ、受け継がれてきた13種をご紹介します。

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 古代染色奄美大島紬&琉球の彩りあふれる染織物
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/8296756



首里城とは

首里城は沖縄の歴史・文化を象徴する城であり、首里城の歴史は琉球王国の歴史そのものである。


首里城 正殿

首里城は小高い丘の上に立地し、曲線を描く城壁で取り囲まれ、その中に多くの施設が建てられている。いくつもの広場を持ち、また信仰上の聖地も存在する。これらの特徴は、首里城に限られたものではなく、グスクと呼ばれる沖縄の城に共通する特徴であった。他のグスクは首里城との競争に敗れ滅んでしまったが、首里城はグスクの特徴を保持しながら新たな発展を遂げたのである。

首里城は内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。正殿をはじめとする城内の各施設は東西の軸線に沿って配置されており、西を正面としている。西を正面とする点は首里城の持つ特徴の一つである。中国や日本との長い交流の歴史があったため、首里城は随所に中国や日本の建築文化の影響を受けている。正殿や南殿、北殿はその代表的な例である。


首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもあった。また、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて、王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。さらに、首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍していた。首里城は文化芸術の中心でもあったのである。

1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われた。1930年代には大規模な修理が行われたが、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼した。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、大学移転後に復元事業が推進され現在に及んでいる。復元された首里城は、18世紀以降をモデルとしている。2000年12月には、首里城跡が世界遺産に登録された。 ~首里城公園より引用~

(詳細は本文にて・・・)


ZIPANG-4 TOKIO 2020「首里城火災を経て一県民が感じたこと」・・・【寄稿文】知名 佑樹
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7412652


奄美大島


ZIPANG-3 TOKIO 2020 伝泊The Beachfront MIJORA 「奄美の伝統的・伝説的な建築と集落と文化を次の時代に伝えるために!」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/7032477/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 もうひとつの伝泊 高倉のある宿 海外から福来たる!
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/7042607/


ZIPANG TOKIO 2020

「自然と共生する島人 奄美の魅力は古来から育んできた文化や営みである」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4071381


ZIPANG TOKIO 2020「古来より、海の彼方からやってくる来訪者『まれびと(稀人)』を歓迎しもてなす文化を持つ奄美の人々とは(その弐)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4086061/


ZIPANG TOKIO 2020「奄美群島国立公園  生命にぎわう亜熱帯のシマ~森と海と島人の暮らし~(その参)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4094364/


ZIPANG TOKIO 2020「阿室(あむろ)・屋鈍(やどん)・平田(へだ)三集落、宇検村の精神とは!『結い』の心でみんなでむらづくり 」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4041118


ZIPANG TOKIO 2020

「 奄美固有のドロ土から産まれた『大島紬』漆黒色の魔力 寄稿文 Vol.1 」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4228065/



※現在、2000件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


新サイトの記事をご覧いただけます。

ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


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ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
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ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
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235件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
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200件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
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ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
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