フォー・ウィメン〔Four Women〕〜宇部100年物語〜 第1幕
フォー・ウィメン〔Four Women〕〜宇部100年物語〜
「この町には石炭がある。あたしらがおる。きっとなんとかなるっちゃ!」
100歳のボランティア・藤川市子は、誕生日を期に、小学校での読み聞かせをやめる心づもり。けれど子どもらに、「100歳って、どんな気分?」と尋ねられ、思いは時をさかのぼる……
大正10年11月1日、市子の生まれた日、宇部村では、汽笛やサイレンが鳴り響き、鐘や太鼓が打ち鳴らされた。その日は、宇部村が「市」になった誕生日でもあったのだ。
成長した市子は、宇部高等女学校で、上野時江、杉岡タキコ、若木友美という親友に恵まれる。
そんなある日、世の中が軍事色を強める中、渡辺翁記念会館に、世界的舞踊家・石田漠がやってきて――
それぞれの夢を追い求め、4人の女性〔フォー・ウィメン〕が駆け抜けた、大正・昭和・平成・令和の宇部100年史。
「みんな、誓って! うちら4人は、何があっても、100歳まで、友だちでいます!」
4人の女性がかけぬけた、宇部100年の物語。
宇部市制100周年を記念したオリジナル創作劇。宇部100年を駆けぬけた4人の女性の物語。
2022年3月上演。多人数。145分。
宇部市制施行100周年記念事業 演劇フェスティバルin宇部 公演
フォー・ウィメン〔Four Women〕 〜宇部100年物語〜
作・広島友好
※この芝居は、史実を基にしたフィクションです。
※【 】内の台詞は、初演の際には時間の都合上カットしました。
☆1 『100歳の読み聞かせ』
オープニングの音楽。劇作家・広島友好の登場。
舞台では、この芝居を演じる役者たちがそれぞれにポーズを取っている。
広島 宇部のシェイクスピア、広島友好です。
これから、宇部100年の物語をご覧いただきます。波瀾万丈、涙と笑い。(同じく舞台に立っている役者たちを示して)この仲間たちと演じていきます。役を取っかえ引っかえ……終演は、100年後のきょう――というわけにもいきませんので……
小学校のチャイムの音。
藤川市子(100歳)、小学校の廊下を一生懸命に歩いてくる。足元が少しおぼつかない。手作りの冊子を入れた布袋。
「わーいっ!」。さっき紹介された役者たちが、小学生の子どもたちになって藤川を助けにいく。
広島 ここは宇部市。琴芝小学校。(役者を示して、大人が子どもを演じる面白さに微笑んで)小学生(6年生)の子どもたち……そして、読み聞かせのおばあちゃん。毎週木曜日の朝は、読み聞かせの時間。
藤川を前に、子どもたちは半円になって座る。
子ども きょうはなんのお話? 城山(じょうやま)の宝くらべ?
子ども 厚狭(あさ)の寝太郎?
子ども あれじゃ、あれ、梶返(かじがえし)の天神様の話じゃろ?
墨田 (役者の一人が担任の先生・墨田を演じて)はーい、聞いてみんな。楽しい読み聞かせの前に、藤川さんから大事なお話があります……
藤川 みなさん、おはよう。きょう11月1日はね、わたしの誕生日。100歳になります。
子どもたち (驚き、どよめく。「おぉっ!」「100歳!」「すげぇ!」などなど)
藤川 (さびしく微笑んで)ふふ。……それでね、だんだん足腰も弱ってきて、階段を登るのも、みんなに助けてもろうて……じゃから、ええ区切りじゃからね……きょうでこの読み聞かせを――
子ども (質問の手を挙げて)はい! 100年前から読み聞かせやっちょったんですか?
子どもたち (「ええっ?!」「マジ?!」「んなわけないじゃろう?!」などなど)
子ども (質問の手を挙げて)はい! 100歳って、あの……どんな感じ?
藤川 (ぱっと笑顔になって)とっても不思議! 100年経ったって信じられんほ。ふふ、初めっから100歳じゃなかったほよ。
子ども 100年前はどんな子どもでしたか?
藤川 (秘密めかして微笑んで)ふふふ。わたしの生まれた日は、そりゃあ宇部じゅうが大騒ぎじゃったほ。町じゅうのサイレンや汽笛がいっせいに鳴って。みぃんなが、わたしが生まれたのをお祝いしてくれたんよ、うふふ。
子どもたち え、え?! なんでなんで?! サイレンが?!
藤川 それはね……
時をさかのぼる時計の秒針の音……役者たちは秒針の音に合わせてタイムスリップするように舞台を去る。
広島 100年前に時をさかのぼってみましょう。
日本が近代の夜明けを迎えた明治維新から半世紀。白砂青松(はくしゃせいしょう)、白砂の浜辺にクロマツの生える海辺の村にしかすぎなかった宇部ですが、海の底に眠る宝、石炭によって栄えていきます。日清・日露の二つの戦争によって、石炭は時代の花形産業。「黒ダイヤ」と呼ばれ、掘れば掘るほど売れる時代。炭坑に人が集まり、商店ができ、産業が興り、宇部村は急速に発展していきます。
【町村制が施行され、宇部村が発足した明治22年の人口が6500人。それが、32年後の大正10年には37000人に。なんと5・7倍! 今でしたら、宇部市の人口が16万人ですから、それが90万人の大都市になる感覚でしょうか。】
けれどいつの世も、時代は浮き沈みを繰り返しながら進んでいきます。
【藤川のおばあちゃんが生まれる3年前、大正7年には、スペイン風邪が世界的に大流行。今のコロナに似ています。宇部村も全学校が休校したと記録に。】
藤川のおばあちゃんが生まれる2年前、大正8年には、宇部を揺るがす「大事(おおごと)」、米騒動が起こります。当時、第一次世界大戦による好景気で、石炭産業は活況を呈していましたが、しかし、儲かるのは炭坑主ばかり。料亭から帰るときに、暗いので、お札に火をつけて、下駄を探したなんて話も。
それに引きかえ、炭坑夫の生活は、インフレによる物価高で苦しさが増すばかり。その苦しみが、日本全国を飲み込んだ米騒動の嵐と結びつき、賃金値上げを求めての抗議行動となってわき起こります。宇部の村は大混乱。ついには軍隊が出動し、実弾を発砲。死者13人、検挙者1677人を出す大惨事に。(起訴373人)
その米騒動の余波を恐れ、宇部村は都市機能の整備を急ぐことに。学校教育、上下水道、道路交通、郵便局、そして警察……とにかく町の大きさに見合った形に整えるべく、米騒動から2年後の(1921年)大正10年11月1日、宇部はついに、村から町を飛び越え、一気に――んん?
正子 (いきんでいる)ああーッ!
☆2 『誕生』
藤川家の奥の部屋。藤川正子が赤ちゃんを産もうとしているところ。布団の上でいきんでいる。浴衣姿。そばに姉さん被りに割烹着の助産婦・松山。そのそばに着物にたすき掛けの姑・とよ。布団の横に熱湯を入れた大きな盥(たらい)。
朝、六時少し前。夜明け近し。(部屋を仕切る障子を、黒子役の役者が持って支えている)
正子 あっあっあっ、ああーッ!
とよ 正子さん、しっかり。
松山 もうすぐですよ〜。はいっ、頭が見えてきた!
正子 ああーッ。んんーッ。ハっ、ハっ、ハっ。
松山 がんばって!
正子 もう駄目っ、死ぬぅ〜〜ッ!
とよ 何言いよるそかね。いきんでいきんで!
正子の夫の藤川作造、急ぎ足で帰ってくる。背広に帽子。障子越しにやり取り。
作造 (遠くで)おーい、今帰ったぞ! (近づいてきて)生まれたか?
とよ 作造。山(炭坑)は大丈夫じゃったかね?
作造 やっと収まったわ。
とよ 天井がほげたんて?
作造 また婆さんは、大げさな。
松山 がんばって、若奥さん。いきんでいきんで!
正子 んんーッ。ああーッ。ハっ、ハっ、ハっ。あ~ッ!
作造 (思わず両手をこすり合わせて)おお。正子、丈夫な子を産んでくれよ。
正子 死ぬ〜〜ッ! 殺して〜〜ッ!
とよ (あきれて)赤ちゃん生むたんびに、死ぬ死ぬ言いよる。
正子 ああッ、ん〜〜ッ!
とよ (作造に)あんたぁ、もう山には戻らんでええそかね?
作造 (正子のいきむ声に気をもみながら)おおっ、大丈夫じゃ。天盤を支えちょった梁木(はりき)が折れて、水がちょんびりしみ出しただけじゃ。ポンプでかき出して、もう収まったわ。先山(さきやま=最前線で石炭を採掘する炭坑夫)の者らも気が立っちょるけえの。迅速に事に当たらにゃ、ちょっとしたことで不満が爆発する。米騒動の二の舞は、はぁこりごりじゃ。わしゃ上(うえ…炭坑の上層部)と炭坑夫の板挟みで、夜も寝られん。
とよ それで渡辺様からお給金もらいよるんじゃから、文句は垂れんさんな。
作造 だれも文句など……おお、それより男の子か、女の子か?
とよ 相変わらず気が早い。
作造 んなこと言っても母さん、わしゃ今度こそ男の子を――
正子 あーッ、ん〜〜ッ! あッッッッ!!!
赤ちゃん (黒子役の役者の一人が泣く)オッンギャーっ! オッンギャーっ!!!
赤ちゃんが生まれる。天に響くような産声。
とよ あはぁッ、生まれた! 生まれた! ありがたや、ありがたや!
松山 手の指も、足の指も。丸々肥えて。こりゃ立派な……
作造 (期待して身を乗り出して)おおっ?
松山 女の子じゃわ!
作造 (瞬時、落胆するが)ああっ……いや、ようやった。ようやった。(障子越しに)正子、ありがとう!
とそのとき、町じゅうの工場や石炭の積込船からいっせいにサイレンと汽笛の音が鳴り響く。お寺や神社からは鐘や太鼓を打ち鳴らす音。朝の六時。朝日が昇る。輝く陽の光が赤ちゃんを包む。
正子 なんの騒ぎ?
とよ (障子を開けて)この子の生まれたお祝いみたいじゃね?!
作造 はっはっは。まさに、お祝いじゃお祝い。宇部の村が「市」になったんじゃ。朝の六時になったら、いっせいに汽笛やサイレンを鳴らすっちゅうことになっちょるんじゃ。
松山 (赤ちゃんの体を盥の湯で洗いながら)何が目出たいんかねえ。新川の山に炭掘りのバラ(他から移入してきた炭坑夫)の連中がようけ増えただけでしょ。酒は飲むわ、ケンカはするわ。うちゃ恐ろしゅうて恐ろしゅうて。
とよ「煙突目指せば、食いっぱぐれがない」っちゅうて、他所もんが増えたけえねえ。
松山 うちら元々アゲのもん(宇部土着の炭坑夫または農家の人)や村のもんには、ええ迷惑じゃ。荒くれもんが増えて、村に品がのうなった。
作造 そう言いんさんな。これからは、村のもんも新川のもんも、仲良く手を取り合ってやってこうっちゅうのが、渡辺様たち宇部達聰会(うべたっそうかい…当時の宇部の政治を動かしていた結社)の考えなんじゃから。
松山 そりゃまあ……同じ宇部に住むもん同士、仲良くせんにゃあじゃけど……。
作造 宇部は維新からこっち、つまはじきにされちょったのが、石炭のお陰で、こうして他所もうらやむような、ええ暮らしを立てられるようになったんじゃけえ。
とよ ほりゃほうじゃ。
作造 共存同栄・協同一致。宇部は村から市になって、ますますようなる。人がようけ増えて、所帯も増える。あんたの仕事も忙しゅうなるぞ。
松山 (やっと笑顔を見せて)そりゃあ……有り難いことじゃね。
作造 (部屋の隅の戸棚から何かを大事そうに取り出して)おっと、ほうじゃ! この日のためにわしゃ、これを船木から買うてきちょったんじゃ。
正子 (船木と聞いて顔を輝かせて…昔は宇部より船木が町としては栄えていた)あら! 何? うちになんかお土産でも……
作造 ほれ、この子の嫁入り道具じゃ! 船木櫛じゃ。もしかして、また女の子かもしれんと思うてな。東宮(とうぐう…みこのみや…皇太子…後の昭和天皇…史実では大正15年に献上)様に献上したのと、おんなじ櫛じゃ。(赤ちゃんのまだ生えていない髪をときながら、節を付けて)「嫁入り道具は船木で揃う」……これは、おまえが嫁入りするときに持たしちゃろ。
とよ 気が早いのう! まだ髪も生えちょらん。
作造 (悪びれることなく大笑い)あっはっは! おっと、こうしちゃおれんかった。婆さん、袴を出してくれ。新川小学校の講堂で式典があるんじゃ、市制祝賀講演会が。
正子 そりゃあなた、あしたですよ。
作造 ん? ほうじゃったかいの。……楽しみじゃのう、東京からは福原(ふくばら)の殿様(とんさま…福原俊丸男爵)もやってくる。陸軍大将(田中義一)も。それから県知事様(中川望)も。
とよ 渡辺様は?
作造 そりゃもちろん! あの方がおらんと、宇部は始まらん。昼からは仮装行列に「しゃぎり」(派手な着物を着て化粧をして、笛・鉦・太鼓のお囃子で町を練り歩く)。新しく建つ市役所の上棟式で餅まきもある。夜は提灯行列じゃ。なんかわくわくするのう。宇部はどんどん発展するぞ、わが沖ノ山炭坑も、あっはっは……おっと、今朝は、琴崎の八幡様に参拝の、旗行列じゃ。一家に一人、出にゃならん。婆さん、すまんがあんた出てくれるか。婆さん……?
とよ (赤ちゃんに)あぶぶぶぶぅ。べろべろべろぅ。ばばが面白い話を聞かせちゃろうねぇ。むか~し、むかしのこと……
赤ちゃんは正子の胸に抱かれている。その赤ちゃんに、とよが昔話を語る。
とよ ……長門(ながと)の国の宇部に、たいそうお金持ちのお殿さまが住んじょりんさったんて。お殿さまは、名を厚東(ことう)さまっちゅうて、それはそれはいばった御大将で、霜降山(しもふりやま)のてっぺんに城を構えちょったんて。それで、宇部のもんはみんな(霜降山のことを城山〈じょうやま〉って呼んじょったんて)……
作造 (話をさえぎって)気が早いのう。「城山の宝くらべ」か。
正子 お義母さん、霜降山の話なんぞしても、この子にはまだわかりゃあせんよ。
作造 ようしっ、決めた! この子を市子(いちこ)と名付けよう。宇部が村から市になった日に生まれた子じゃ。じゃから(指で「市」と書きながら)市子。
とよ 市子……市子……見てごらん。(両の手の中指を小鳥に見立てて…小鳥の遊戯「二羽のことり」をやる)
♪二羽のことり かわいいことり
とまっているよ 木のえだに
一羽は ピッピ 一羽は チッチ
ピッピ チッチ ピッピ チッチ……
――あはっ、笑うた笑うた!
作造 婆さん、ボケたか。そんな生まれたばかりの赤子が笑うわけが……?
赤ちゃん (朗らかで元気な笑い声!)
家族一同 (つられて朗らかに笑う)
広島 1921年大正10年11月1日。この日にいったい何人の赤ん坊が生まれたことでしょう? 宇部市誕生のお祝いは3日間続いたそうです。(音楽が入る)
家族一同 (赤ちゃんを中心に幸せそうな笑い声…そして音楽に合わせて去る)
広島 この頃の宇部は、新川=今の真締川(まじめがわ)をはさんで、東西に東見初(ひがしみぞめ)炭坑(東側)、沖ノ山炭坑(西側)という二大炭坑を擁して、町を形作っていきます。そして石炭の利益をもとに、セメント、電気、鉄道、紡績、鉄工など、さまざまな関連工業を興していきます。新川地区には炭坑夫を当て込んだお店も増え、移住してくる人たちがさらに増える。
【ちなみに、旧制宇部中=今の宇部高校が、上宇部の寺の前に出来るのは、市制施行の2年前のことですが。(1919年大正8年設立)】
☆3 『100まで友だちで』
広島 さぁ、勢いに乗って時代はどんどん進んでいきます。なんてったって100年の物語ですからね。
大正12年の関東大震災を経たのち、時代は激動の昭和へ。(1929年)昭和4年には世界的な経済恐慌に見舞われます。この頃日本は、世界の列強入りを目指し、アジア侵略を企てます。昭和6年の満州事変からの、満州国建国。スローガンは「五族協和」。
【世界に目を向けると、ドイツでヒトラーが首相となり、政権を獲得(1933年)。ファシズム=全体主義の暗い影が忍び寄ってきます。】
さて、景気の浮き沈みはあるものの、石炭産業は成長を続け、宇部の人口はますます増加。
そんな最中(さなか)、昭和9年に宇部の神様、渡辺祐策(すけさく)死去。
その3年後、渡辺祐策の遺徳を讃え、渡辺翁記念会館が建設されます。設計は村野藤吾(とうご)。音響効果に優れたこの会館には、その後、世界的な音楽家が多数やってきます。宇部の誇り。
その同じ年の昭和12年7月7日、中国の盧溝橋(ろきょうこう)で一発の爆弾が炸裂し、日本は中国との泥沼の戦争に突入。
女学校の鐘の音。藤川市子と杉岡タキコが笑いながら弾むように駆けてくる。
広島 さ、あのとき生まれた赤ん坊はすっかり少女になりました。
ここは、宇部高等女学校。今の琴芝小学校の所にありました。くわしくは、その放課後の教室。(この場面は昭和12年の時代設定)
藤川市子(16歳)が居残りで裁縫の宿題をやっている。刺繍枠にハンカチをはさみ刺繡を入れている。市子は不器用で、刺繍に悪戦苦闘・四苦八苦。
親友の杉岡タキコが藤川の宿題に付き合っている。長刀の型を長箒(ながぼうき)で練習しながら、天皇の名前を暗唱する。歴代の天皇の名前がすらすら言える。軍国少女。中段の構えから上段の構え。下段の構えから脇構え。そして八相の構え。面、小手、脛へと打ち込む。頭上で長箒を持ち替え、振り返しに面を打つ。近々、香川高等女学校との対抗戦があるのだ。
杉岡 (長刀の練習をしながら天皇の名前をつらつらと)神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化・崇神(じんむ・すいぜん・あんねい・いとく・こうしょう・こうあん・こうれい・こうげん・かいか・すじん)……
藤川 全然駄目じゃ! 針が言うこと聞かん。もうっ……何をやってもわたしは……! なんでじゃろ……
杉岡 さっきからグチグチと……集中できんじゃろ!
藤川 全然下手くそなんじゃもん。タキコ、代わりにやってよ。
杉岡 (長箒を突きつけ)自分の宿題は、自分でやる。付き合ってあげちょるだけでもありがたく思いんさい。うちは今度の日曜日に、香川女学校との対抗戦があるんじゃけ。メーン! 小手ぇ! 脛ぇ!
親友の上野時江、来る。図書室からいっぱい本を抱えて。黒縁眼鏡。文学少女。藤川も本が大好き。
杉岡 おっ、時江。
上野 (藤川に)借りてきてあげたよ。
藤川 うわっ、なんの本?
上野 「若草物語」。ルイザ・メイ・オルコット。
藤川 うちにも、これある。
上野 じゃけどそれは、子ども向けの文学全集でしょ?
藤川 うん……(本を開いて、見て)うちの本より漢字が多い……!
杉岡 (長箒の長刀で威嚇)こらっ! 手がお留守じゃぞ。宿題さぼるな。
上野 (もう1冊別の本を手元に引き寄せ)これは、わたし。
藤川 何、これ? うわーっ、英語の本?! 原書なそ?
上野 そ。「Little Women」(「若草物語」の英語の題名)。英語の勉強もしようかと思って。一石二鳥。
藤川 さすが時江さんじゃ。この宇部高等女学校一の秀才じゃもんね。
上野 (まんざらでもない)うふふ。本の装丁も奇麗じゃろ?
杉岡 こらっ! あんたら非国民じゃ。日本人は国語をやっちょけばええそ。朝鮮も、そう。中国も、そう。やがては大和の言葉が世界の共通語になるんじゃけえ。
上野 わたしはそうは思わんけど。
杉岡 (むっとして軽くにらむ)むぅ?
藤川 (上野と杉岡が険悪にならない、いいタイミングで)ああっ、ちっとも進まん。針が勝手にいらんとこを縫う。グジャグジャじゃあ。
杉岡 こりゃ牡丹の花か、豚の顔かわからんねえ。
上野 貸してごらん。
上野、すいすいと刺繍を縫う。その姿に気品がある。
杉岡 時江、あんた上手じゃねえ! 勉強だけじゃないんじゃね。
上野 亡くなった母が厳しかったほ。それに奇麗に縫えば、気持ちも奇麗になるような気がするでしょ。
藤川 それに比べて、わたしはなんも得意なもんがない……。
杉岡 ええのええの。あんたもわたしも、結婚して、子どもようけ産んで、立派な軍国の母になりゃええの。それが日本婦女子の役目じゃ。
上野 わたしは働く。職業婦人になる。結婚なんてせん。
杉岡 案外、旦那の言いなりに。
藤川 ははは、そうかも。
上野 夢は女流小説家。男の世話になんかならん。
藤川 ……うん、時江さんなら、人気小説家になれる。
上野 ふふ……。(藤川に刺繍を渡して)はい、出来た。
藤川 ありがと!
上野 あれ、友美は?
杉岡 いつものようにどっか駆っけり回りよるんじゃろ。
藤川 友美がちょっとおらんだけで、なんか灯(ひ)が消えたみたいじゃね。
杉岡 佐賀から転校してきて、あっという間にうちらの仲間じゃもんね。物怖じせんっちゅうか、肝が太いっちゅうか……
上野 その分、静かで本がよう読めるけど。うふふ。
親友の若木友美、教室に飛び込んでくる。手にチラシ。
友美 ねえねえ、みんな! 漠を観に行こう!
3人 バクぅ?!
友美 裁縫なんかやめて、行こ行こ!
杉岡 サーカスでも来ちょるそ?
上野 それとも移動動物園?
藤川 バクなんて観に行ったら、夢を食われるんじゃないそ?!
上野 (優しく、でもちょっと意地悪っぽく市子の頰をつついて)市子さんの夢って、何? 夢がなければ、夢を食われることもないわ。
藤川 わたしの夢……?
友美 (地団駄を踏んで)ああん、もうっ! そのバクじゃない。(チラシを見せて)石田漠よ、石田漠!
杉岡 「日本が生んだ世界的舞踊家……」
上野 「ヨーロッパ、アメリカで修業を積み、凱旋帰国!……」
藤川 「石田……漠」。バクって、人の名前なんじゃ?!
友美 (藤川に)あたしも食われる夢なんてありゃせんよ。裁縫なんかほっぽって。さあ、行こう!
杉岡 いつあるほ?
友美 きょうよ、きょう! 行くわよ、さあ! 市民館(渡辺翁記念会館の宇部市民の呼称)へ!
友美、教室を飛び出していく。勢いにつられて、みんなも教室を出ていく。
上野が本を抱え、遅れてついていくと、廊下で女性教諭の田端と行き合う。上野、礼儀正しく会釈して行き過ぎようとするが……
田端 上野さん、ちょっと。
上野 はい……?
田端 その本を、こっちへ。英語の本でしょ?
上野 ……はい。
田端 さ。
上野 でも――「若草物語」は、先生が、ぜひお読みなさいと――
田端 (やや狼狽しつつも)こ、この国には万葉集もあります。枕草子もあります。
上野 これは……ただの小説です。
田端 ええから、こちらに寄こしなさい!
上野 ――。
田端、奪い取った本に目をやる。その美しい装丁に瞬時心を奪われ、本の表紙を愛おしげに撫でる。
田端 (声にならない感嘆)あぁっ……!
田端、一瞬上野を気にしてチラと見るが、しかしすぐに心に鎧戸を降ろし、その場を立ち去る。
上野、悲しみと憤りに胸が締めつけられ、呼吸が激しく乱れる。
杉岡(声) 時江―っ、早くー! 置いてくよぉー!
上野、悲しみを残しつつも声のするほうへ去る。
♪「アニトラの踊り」の音楽が流れてくる。
ここは、渡辺翁記念会館の大ホール。ホリゾントに記念会館の象徴である6つの石柱と中央台座のシルエット。石田漠(この時50歳ぐらい)が舞台でひとり踊っている。その時代の最先端の現代舞踊。
それをじっと見つめる友美。時折、その友美の横顔を見つめる藤川。杉岡も上野も石田漠の踊りに魅入っている。
藤川 (独白)それは見たこともない踊りじゃった。日本舞踊とはもちろん違うし、バレエとかいう西洋の踊りとも違うみたいで……じゃけど、漠の踊りはきらきらしちょった。驚いたのは、漠の踊りを見つめる友美の瞳が、それ以上にきらきらしちょって――
友美 こ……これじゃ! これじゃっ!
友美、公演中の石田漠の舞台に飛び出ていく。
友美 石田漠……先生! あたしを弟子に、弟子にしてください! お願いします!
漠 僕の弟子に……?
カナリア あなた、何考えてるの!
漠の弟子の石田カナリアが舞台袖から飛び出てくる。舞台衣装のまま。
カナリア 公演中よ! (裏方に)幕を。早く。幕を降ろして!
漠 (友美の真っすぐな視線から目をそらさずに、カナリアを制して)きみ、名前は……?
友美 若木友美……です。
漠 きみは今、何をしたかわかってますか?
友美 え――?
漠 大勢のお客様の邪魔をしたんですよ。
友美 (客席を見て)はい……すみません!
漠 それでも――僕の弟子になりたいと……?
友美 先生の踊りを見ちょったら、うち、うち、いてもたっても。(正座をして両手をついて)お願いします! どんな厳しい修行でも――
漠 (友美の手を取り、立ち上がらせて)きみは……心で踊れますか?
友美 心で……踊る?
漠 今のその熱い思いを胸に、一生、死ぬまで――心で踊れますか?
友美 はい……! 誓います! 一生、死ぬまで!
漠 今夜10時の夜行で宇部を発ちます。来たければ、ついていらっしゃい。(去る)
カナリア 先生?! 漠先生!
カナリア、友美を一瞬にらみつけ、漠を追いかけて去る。
友美 こ、今夜……?!
上野 今夜なんて、無理でしょ?!
藤川 友美のお母さんが心配するっちゃ。母一人子一人なそに。
杉岡 ……いんや、この顔はもう心が決まっちょる。
藤川 ええっ?! 友美ぃ?!
上野 バクが夢を食うんじゃなくて、夢を与えてくれたってわけね。
杉岡 さすが時江、うまいこと言う。
藤川 タキコぉ、感心しとる場合じゃないじゃろ?!
杉岡 だって。(と友美の顔を見て)ねえ?
友美 (涙ぐみ、でも強がって)みんな、ありがと。佐賀の田舎から転校してきたうちのこと、優しくしてくれて、励ましてくれて。……お願い、一生、友だちでいて! 離れていても、死ぬまで、ずっと……100歳まで! 婆あになっても仲良しでいよう。
藤川 (つられて泣いて)友美ぃ。
杉岡 (つられて泣いて)あんたがおらんようになると、やっぱさみしいよ。
上野 (つられて泣いて)じゃけど夢は止められん。
友美 みんな、誓って。お願い! (片手を上げて)「うちら4人は、何があっても、一生、100歳まで、友だちでいます!」
3人 うん!
みんな (片手を上げて)うちら4人は、何があっても、一生、100歳まで、友だちでいます!
3人 友美ぃ!
泣きながらみんな、友美に抱きつく。
藤川 (独白)わたしは友美がうらやましかった。その勇気が。行動力が。いや、何より、友美が夢を見つけたことが――。(泣く)ああ〜〜ん!
友美 (強がって)何、辛気くさい顔しよるん。戦争に行くわけじゃないんじゃから。笑って。笑って見送って。
上野 ところであなた、踊りってしたことあるほ?
友美 全然!
杉岡 日舞とか、子どもの頃やっちょったとか、ないそ?
友美 まったく。これっぽっちも。猫の毛ほども。
藤川 あきれた!
上野 でもなにか踊ってみて。
杉岡 ほれほれ、あれがええ、南蛮(なんば)音頭!
友美 じゃ、即興……石田漠風南蛮音頭。あっはっは!
他の3人が歌う。
3人 ♪ハ~ 南蛮押せ押せ 押しゃこそ揚がる
揚がる五平太の ヤットコセ
竪坑掘りヨ サノ
アト山 サキ山 お前はバンコかギッコラサ
揚がる五平太の……
【ヤットコセ 竪坑掘りヨ♪ (五平太…ごへいだ…石炭のこと)】
友美、即興で踊りながら、遠ざかる。踊りの素質は感じられるが、まだまだ荒削り。目には涙。遠ざかりかけるが、駆け戻ってきて、みんなに抱きつく。
友美 ああん、さみしいよぅ!
上野 みんながびっくりするような、立派な舞踊家になってちょうだい!
☆4 『宇部大空襲』
広島 さ、昭和10年代に入ると、世の中はますます軍事色に。ファシズム=全体主義の時代。
【ドイツではナチスのヒトラーがユダヤ人の迫害を強めます。ファシズムがヨーロッパ全体を戦争の嵐に。】
日本では、満州国建国に続く日中戦争により、事態は泥沼化。世界は日本への反発を強め、石油の全面輸出禁止を決定します。追いつめられた日本は南方戦線に活路を求め、昭和16年12月8日、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争に突入。
♪「軍艦行進曲」が威勢よく流れてくる。
広島 しかし――! 緒戦の勢いもむなしく、次第に劣勢に立たされ、昭和17年のミッドウェー海戦の敗北を境に戦局は悪化。日本軍は玉砕に玉砕を重ね、壊滅状態に。
昭和19年には日本本土が、アメリカのB29による空からの爆撃を受けるようになります。【死者10万人を出した昭和20年3月10日の東京大空襲。】大都市が次々と空爆の標的に。
もちろん、わが宇部も戦時下にありました。「石炭は血の一滴」。国からの石炭増産要請により、石炭の出炭量は宇部炭田300年の歴史の中で過去最高を記録。その裏に朝鮮人・中国人の強制連行、アメリカ・イギリス・オランダ兵の捕虜をも、強制労働させていた事実を忘れてはなりません。
そして、国民総動員による軍需工場への勤労奉仕。食料も物資も不足し、福原越後と渡辺祐策の銅像が、赤いたすき掛けで金属供出されるなんて一幕も。
そして運命の昭和20年。「トマトの実が真っ赤に熟れる夏には戦争は終わっちょる、満州の工場で内緒で作っちょる戦闘機で、日本は逆転してアメリカに勝つ!」……なんて噂が、宇部の町でまことしやかに流れている頃……
国民学校の鐘の音。
国民学校の先輩教師の高井と杉岡。杉岡(23歳)は、今は恩田国民学校の教師になっている。国民学校の講堂での「生活綴方教室」にて。「生活綴方教室」の看板。
高井 この戦争は負ける。
杉岡 (小声でいさめて)高井先生! そねいなことみんなの前で。非国民と言われてしまいます。わたしは先生をお手本に教師の道を――
高井 じゃったら杉岡先生。教師ならば、真実を子どもらに告げんにゃいけんよ。
杉岡 日本が負けるなんて……神の国ですよ。天皇の国ですよ。これは聖戦なんです。聖の戦(ひじりのいくさ)なんです。遅れたアジアの人たちを解放し、欧米列強の支配から守るために日本は戦っちょるんです。産業の遅れた国を発展させるために、現地に日本人を送って――
高井 杉岡先生! 曇りない目で、世の中を見んにゃいけんよ。真実を声に出して伝えんにゃあいけん。この戦争は間違いなく負ける。そして戦争は、どんな理由があろうと、絶対にしちゃいけんのじゃ。子どもらを、戦争で金儲けするやつらの犠牲にしちゃならん。
(生活綴方教室に来ている子どもたちに)みなさん、戦争は負ける! 日本は負けます!
耳をつんざく警笛の音。憲兵が数人駆け込んでくる。
憲兵 演説中止!
憲兵 治安維持法違反だ! 逮捕する!
杉岡 やめて! 高井先生、高井先生! 逃げて!(音楽が入る)
憲兵が高井を激しく殴りつける。羽交い締めにして連行しようとする。
高井 杉岡先生! しっかりその目で見て、真実を、子どもらに伝えてください!
憲兵 (殴る)黙れ、このやろっ! 国賊がっ!
杉岡 キャッ。先生……! 高井先生……!
高井、憲兵に引っ張られていく。
杉岡 日本が負けるなんて……先生こそ、先生こそ、目を覚ましてください……!
空襲警報のサイレン。「敵機来襲! 敵機来襲!」。空バケツを叩いて走り回る人がいる。
広島 昭和20年の6月も中旬に入ると、空襲は大都市だけでなく、中小都市をも襲います。戦火はとうとう軍需工場を抱える宇部の町にも……(ちなみに、宇部が初めて空襲に曝されたのは、昭和20年4月26日)
雨のごとく降る焼夷弾の音、音、音――
広島 (頭を守るように抱えて)焼夷弾の降る音です。(身振りで)一個の親爆弾が空中で分解して、中に入っている38発の細長い、こんな筒型の焼夷弾が、シッポのリボンに火をつけながら雨あられと降ってきます。【木造家屋の多い日本を攻撃するために作られた油脂爆弾で、火災を引き起こすことを目的にしています。】昭和20年7月1日の深夜、つまり2日の未明に、約2時間(1時間42分)にわたる大空襲が宇部を襲います。町も工場も焼かれ火の海に。次から次と襲いくる大型爆撃機B29から投下された焼夷弾の数、なんと7979個! この日は風も強く、火の手は広がるばかり。(風に押されて袖に引っ込む…パントマイム)
杉岡 (呆然と夜空を見上げて)日本はどうなってしまうんじゃろ……
藤川、防空頭巾をかぶり、背中に赤ん坊(達雄)、片手に子ども(敏子)を連れて逃げてくる。
藤川 敏子、空見んで、駆けって!(と言いながら自分も空を見てしまう)
広島 おっと、われらが市子さんはすでに結婚して一男一女を――
人 (叫びながらあわてふためき駆け抜ける)敵機来襲! 退避! 退避ぃ!
藤川、ぼうっと立っている杉岡に行き合う。
藤川 タキコ!
杉岡 あっ!
杉岡、はっとして空襲の最中(さなか)へ駆け出そうとする。
藤川 (必死につかまえて)どこ行くの!
杉岡 が、学校へ! ご真影を取りに。学籍簿(がくせきぼ)を。奉安殿に。
藤川 バカ! この火の海に。死んでしまうわよ!
杉岡 命より大事なほ!
藤川 そんなものありゃせんよっ、命より大事なものなんて。
杉岡 ……!
徹子 先生! 先生!
朝子 先生!
杉岡の教え子・国民学校6年生の葛城徹子とその友だちの朝子が駆けてくる。
杉岡 徹子さん! 大丈夫? 朝子さんも。
徹子 先生、怖いよ。どっちへ逃げたらええほ?
杉岡 新川のほうへは行っちゃいけん。八幡様のほうへ逃げんさい。参宮(さんぐう)道路をまっすぐに。
徹子 うん! (駆けて行く…母を見つける)あ!
葛城 (徹子を抱きしめる。杉岡に礼をし、徹子の手を取って去る。朝子もともに連れて)
焼夷弾の降る音ますます激しく。火柱の燃え上がる音。「退避! 退避ぃ!」の必死な声。
布団、毛布、行李など、とにかく持てる物を持って逃げる宇部の人たち。寝間着姿の人も。親にはぐれた少女が呆然と行き過ぎる……
上野が駆けてくる。防空頭巾。手に着物を抱えている。
上野 市子さん! タキコさん!
藤川(杉岡) 時江さん!(時江!)
上野 いつか来る来ると思ってたけど、日曜日で油断しちょった。(昭和20年7月1日は日曜日)
杉岡 それ、何?
上野 (着物を広げて)焦げてしもうたわ……
藤川 花嫁衣装?!
杉岡 あ! あんた来週、祝言あげるんじゃったね。
上野 母が遺してくれた着物なそ。どうせ死ぬんならこれを着て死にたい……
藤川 いけんよ、そねえなこと言うたら。
上野 冗談よ。婿殿があっちの国の人じゃから、日本の花嫁衣装を見るのを楽しみにしちょるの……家から持って逃げられたのは、これ一枚。
藤川 あ! あ! 子どもをお願い!
藤川、娘の敏子を上野に託し、駆け出そうとする。
杉岡 どこ行くんかね!
藤川 櫛を! 家に。父さんがくれた大事な櫛なほ!
杉岡 (止めて)あんたが行くなって言うたそに!
藤川 じゃけど!
杉岡 命より大事なものがあるんかね! って、さっきあんたに言われたんよ、わたしは。
藤川 ――!
敏子 (母の手を取って)お母さん……。
上野 わたしらも早よ逃げよう。
杉岡 それにしても……
3人 臭いね!
杉岡 ゴムのりがとけたような……
藤川 焼けこげたガソリンのような……
上野 こりゃ、焼夷弾の油の匂いじゃね。
藤川 煙がひどうて前も見えん。
杉岡 後ろを見れば、火の海じゃ。
藤川 あ! 危ない!
敵機の機影が。グラマン(アメリカの航空機会社の名前だが、ここではその戦闘機のこと)である。藤川たち、機銃掃射を受ける。
3人 キャーッ!
杉岡 グラマンじゃ!
3人 (旋回してきたグラマンにまた機銃掃射を受ける)キャーッ!
みんな、近くの溝に飛び込む。グラマンは二度三度と旋回しては、機銃掃射を浴びせ、そして去っていく。(実際は7月2日の空襲では機銃掃射はない。5月14日と7月28日に機銃での攻撃を受けている)
杉岡 (溝から首を出して)見た?! あのアメリカ兵……
藤川・上野 (首を出して)うん!
杉岡 笑うちょった?!
藤川 口をくちゃくちゃさせて、なんじゃろ、なんか食っちょった。
上野 チューインガムよ。馬鹿にして。それに、わざと弾を逸らして撃ってたわね。
藤川 わざと?!
上野 わたしらが逃げるのを、からかっておもしろがってたのよ。
杉岡 くそっ……!
人 (よろよろと出てきて)おーい、新川の町はみんな火の海じゃ。東見初(炭鉱)も沖ノ山炭鉱も。宇部鉄工所も。それにほれ、石炭から戦闘機の油を作る宇部油化(ゆか)工場も焼けよるみたいなぞ。(宇部油化工場は7月2日に焼夷弾攻撃を受けたが、実際は7月15日、7月23日、8月5日の3回の空襲で徹底的に破壊される)
人 (駆けて出てきて)市役所も図書館も、緑屋百貨店も。それに学校もじゃ。恩田(国民学校)も見初(国民学校…みぞめ)も、沖ノ山国民学校も。
藤川 ああ! 見て。宇部高女が燃えよる! うちらの学校が!
藤川たちの母校が燃える。火柱が踊る。藤川たち、呆然と見つめる。
杉岡「この戦争は負ける」……高井先生の言いよっちゃったのは――真実じゃ。真実じゃ。
藤川たちが焼ける宇部の町を呆然と見ている……うずくまり、くずおれる。
……やがて白々と夜が明ける。小鳥のさえずり。杉岡の教え子たち(徹子・朝子)が来る。
徹子 先生!
朝子 先生!
杉岡 ああ、無事じゃったかね! よかった、よかった。
徹子 先生、日本は負けんよね。負けんよね。兵隊さんがきっと仇(かたき)を取ってくれるよね。先生が、そう教えてくれたもんね。本土決戦、進め一億火の玉じゃ! (両手を広げて戦闘機の真似をして駆け去る)ブ〜〜〜ンっ!
朝子 徹子ちゃ〜〜ん!(追って去る)
杉岡 (困惑しつつも)……うん……
広島 この大空襲によって新川の市街地はまったくの焼け野原に。もちろん炭鉱も工場もほぼ全滅。悲劇はそれだけじゃなく……2日後の7月4日には焼夷弾の不発弾が爆発。恩田国民学校の児童3名が死亡。17名が負傷。
そして、それからも空襲は続き、7月29日には――
B29が一機、宇部の上空に侵入する。その音が次第に近づいてくる……
人 (わりにのんびりと。空襲慣れ)ほれ、またB29じゃ……
人 写真でも撮りよるそじゃろ。
人 あ――、なんか落としたど。(爆弾が降下する風を切る音…蒸気の音のような「シューッ」という音)
杉岡 きらきら光って……
人 ありゃ、まるでカボチャみたいじゃ……
人 (爆弾が降下する音が次第に迫ってきて)――バ、馬鹿、何をのんきな! こっちへ落ちてくるど!
人 こりゃ危なぁ(ない)!
人 伏せろー!
「伏せ」で目と耳を両手で覆い隠す。(防空壕へ駆け込む)
大型爆弾の爆発する轟音。爆風。黒い煙と大きな火柱があがる。(模擬原爆・パンプキン)
人 ひゃー、こりゃ大事(おおごと)じゃ! 新川のほうみたいなど。
人 (ひとり、駆けてくる)たまげるほど大けな穴がほげとるぞ!
人 (駆けてきた人に)あんたぁ無事か?
人 わしゃ、さっきの爆弾でよう耳が(聞こえんことなったが)……ああっ、それより、子どもが一人――
杉岡 え?
朝子 (泣いて出てくる)せ、先生……て、て、徹子ちゃんちが……徹子ちゃんちが……(しゃくり上げて言葉にならない)
杉岡、駆け出す。
と大八車(もしくは戸板)に運ばれて小さな遺体が。筵(むしろ)が掛けてある。杉岡、はっとして引き返して、
人 ああっ、見んほうが!
杉岡 (筵を覗いて)ああっ! 徹子さん……! 徹子さん! ああっ――先生が、先生が悪かったほっ。戦争なんて――戦争なんて……!!!
音楽が入る。
徹子の母の葛城がこけつまろびつわが子を追ってくる。その体にすがりつく。
葛城 (慟哭する)徹子―ぉ、徹子―ぉ!………
杉岡、呆然と徹子を見送る。心がちぎれ、魂が泣き叫ぶ。それまで自分の信じていたものがガラガラとくずれる。(杉岡と、魂となった徹子の踊り)
玉音放送。「……朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ……堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス……」
広島 1945年昭和20年8月15日――敗戦。あえて敗戦と。
8回にわたる宇部空襲に飛来した米軍機は280機、落とした爆弾は約3200発。被災者2万5424人、行方不明者68人、死者254人。
藤川 (独白)家族で住んじょった梶返(かじがえし)の家はまる焼け。父さんが飼っちょった羊の背中も黒こげ。防空壕なんて役に立たんかった。じゃけど、その瓦礫の下に残っちょったのは――
藤川、瓦礫の中から櫛を拾い出す。
藤川 あ――! 櫛じゃ……櫛じゃ!
作造 (頭に三角の白い布…天冠…をつけて登場)よかったのぅ、市子。ゴホ、ゴホ。
藤川 (傍白)父さんは、あの日に負った大火傷が元で……
作造 市子……その櫛を大事に、大事にせえよ。
藤川 (慟哭する)――!
作造 (微笑みながら静かに消えていく……)
広島 そんな中でも奇跡的に、宇部市民の心のよりどころである渡辺翁記念会館は焼け残ります。ちなみに、その市民館の前の広場は少しでも食料不足を解消するために、(土を鍬で耕す仕草)よっ、ほっ、畑になっていました。(今のヒストリア宇部=宇部銀行本店も焼け残る)
渡辺翁記念会館の正面入口前の広場。6つの石柱(シルエット)と中央台座。藤川たちが七輪に破れ鍋を載せ、ひょうたんカボチャを煮ている。周りにはカボチャを食べる被災した宇部の人たち。少年池信吾もいる。
藤川 (鍋からカボチャを取り分けながら)さすがにカボチャは飽きたわね。
上野 いんや、生きて、食べられるだけでも……。
藤川 (カボチャの煮たのをお椀に取り杉岡に)腹が減っては戦はできぬ。
杉岡 戦争は、はぁもうこりごりじゃ……。
上野 食べて、元気ださんね。……にしても、(七輪の炭から)よう煙が出るね。
杉岡 (一口食べて少し元気を出し)食べるもんはろくにありゃせんけど……
藤川 石炭だけは腐るほどある。
上野・杉岡 あはは。(笑い合う…戦争が終わり、やはり安堵と解放感がある)
友美(声) 市子ー!
藤川 え――? 友美?! 友美じゃ!
上野・杉岡 え?!
友美 タキコー! 時江ー!
友美が風呂敷の荷物を抱えてくる。戦後すぐでも友美らしい派手なもんぺ姿。
3人 友美ぃ!
藤川 無事じゃったんじゃね! よかったよかった。
杉岡 足もついちょる!
上野 あなた、中国の前線まで舞踊慰問団で行っちょったって聞いたけど。
友美 (少し東京弁)そうなのよ。上海から台湾へ渡って、それから満州にも。命からがら東京へ帰ったら、3月10日の大空襲でしょ。こりゃ大変と、漠先生について秋田に疎開してたんだけどさ、宇部も空襲にあったと聞いて、ぎゅうぎゅう詰めの汽車に乗って飛んで帰ってきたのよ。
藤川 よかったぁ! ……じゃけどすっかり東京言葉じゃ。
杉岡 それっちゃ。
上野 それそれ。
友美 (冗談めかしてポーズを取って)そうかしらぁ。
みんな、笑い合う。
上野 驚いたでしょ、町はすっかり焼け野原で。
友美 うん……。宇部高女も焼けちょったね。
杉岡 じゃけど、この市民館だけは、焼け残った。
友美 うん!
藤川 友美、あんた、どうするほこれから? また東京?
友美 ううん、ここから始めてみる。(中央台座の上に飛び乗る)ここから! この市民館から。ここであたしの舞踊人生が始まったんじゃもの、ここで漠先生の踊りを観て、感動して。あたしはこの宇部で踊る。漠先生にお許しをもらって、この町で先生に習った踊りを広める。そして焼け野原の宇部に、踊りの花を咲かせる。
藤川 やっぱ友美じゃ! あんたとおると元気が出る。
上野 じゃわたしは――この荒れた町を美しくする。
杉岡 どうやって? この瓦礫の町を?
上野 (気持ちは熱いほどあるが、まだ何の方法も思いつかない)それは……まだ――
友美 手始めに、踊り、始めてみる? 教室の生徒第1号にしてあげるわよ。
上野 あなたの生徒は……遠慮するわ。うふふ。
杉岡 わたしは――自分を――今までの生き方を反省しちょるほ。馬鹿じゃった。ほんとに馬鹿じゃった。戦争は嫌じゃと、わたしは子どもらに伝える。今までは間違っちょった。馬鹿じゃった……馬鹿じゃった!(涙がこぼれる)
上野 (杉岡の背を撫でながら。希望を明日に託して)これから、どんな時代が来るんじゃろ?
友美 きっとようなるよ!
藤川 (傍白)みんな、前を向いて、あしたを見つめちょる……。じゃけどわたしは何を……
藤川の娘の敏子が母の元へ近づく。
敏子 (母の手を握って)お母さん。向こうはまだ燃えちょるね。真っ赤じゃね。
上野 石炭が燃えてるのよ。東見初炭鉱の倉庫の石炭が。
敏子 きれぇ……
友美 この町には石炭がある。そしてあたしらがおる。きっとなんとかなるわよ。
藤川 (敏子の手を取り、背中におぶったわが子に微笑み)わたしは、うん――この子らをちゃんと育てる。
友美 (敏子に)ねえ、あんた! 踊りやってみる?
敏子 踊り……どんな?
友美 新しい踊りよ。新しい時代の、創作舞踊。
敏子 (目を輝かせて)お母さん……いい?
藤川 ええよ! 習いんさい。
上野 これからはなんの遠慮もせんでええの。踊りたければ踊る。読みたければ読む。言いたければ言う。そんな時代がくる!
杉岡 うん、そんな世の中になったらええね!
藤川 うん!
友美、敏子の手を取って踊り始める。「リンゴの唄」を口ずさみながら。
カボチャを食べていた男の子・池信吾がびっくり仰天。
信吾 (カボチャを口から吹き出さんばかりに。感動して)見て見て! あの人、つま先で踊っちょる?!
みんなが朗らかに笑う。
――と、空から灰が降ってくる。敏子、踊りの途中で「ゴホン、ゴホン」と咳き込む。
友美 大丈夫? 風邪でも引いたの?
藤川 ううん、そねえなはずは……
上野 (手のひらで宙に舞う灰を受けて)これよ。灰のせいよ――。
☆5 『花と彫刻とそして……』
♪藤山一郎の「青い山脈」が流れてくる。
次の語りの間に、子どもたちが宇部の町のスケッチを始める。
広島 戦後の焼け野原から不死鳥のように人々は立ち上がります。日本は軍国主義から一転、平和国家へと生まれ直します。爆弾や人間魚雷回天のエンジンを作っていた宇部の工場(現在の宇部図書館の場所にあった、呉海軍工廠造機部宇部分工場)も、食料を増産するための農機具を製作したり。
しかし、時代の流れは皮肉なもんですねぇ。どんな戦争も二度とごめんだと誓ったはずが、その戦争によって日本は復興してゆくのです。1950年昭和25年に起きた朝鮮戦争。その特需景気で、日本経済は急速に息を吹き返します。「黒いものならなんでも売れる」と言われるほどの石炭景気を呼び起こすのです。石炭はふたたび時代の花形産業に。その代償としてゴホッゴホッ……宇部は、イギリスの工業都市マンチェスターを抜いて降灰世界一の汚名を着ることに。「灰が降るほど金が降る」――なんて。ゴホッゴホッ……
人 洗濯物が外に干せん。
人 鼻の穴が真っ黒!
人 ワイシャツが煤だらけ。
広島 市長、これはどうにかしないと。
宇部の星入(ほしいり)市長。
星入 町の復興とともに、文化の香り高い豊かな町づくりをすることをお約束します。
上野が子どもたちの町の風景スケッチを覗いて……
上野 何これ?! 空が灰色、町が真っ黒!
子どもたち だって、ゴホッ、ゴホッ……だって。
上野 これじゃ、文化の香り高い町じゃなくて、灰とコールタールの匂いのする町。
子どもたち (泣きながら駆け去る)ア~~ン!
上野 星入市長!
星入 市も全力をあげて公害対策に取り組んでおるところです。煤塵対策委員会を設置し(昭和26年)、大学の専門家の先生に科学的調査を依頼して、各事業所にも集塵装置をつけて煙を抑えるよう徹底してお願いしておるところです。市民のみなさんの力も、ぜひ! (上野に)あなたもひとつ、市の諮問委員会である宇部市女性問題対策審議会に加わって、みなさんを引っ張ってもらえませんか。
上野 わたしが……?
広島 宇部市は、市民の代表である市議会とともに、「産・学・官・民」、つまり「企業・学識経験者・行政・市民」が一体となって公害問題に取り組む体制を作ります。これが、宇部方式。当時、全国的にも画期的な方法でした。いえいえ、現在のあらゆる環境問題にも有効な手段。これ、宇部の自慢です。
さてさて、この頃公害と並んで、宇部の人たちを悩ませていたものがあって……
♪映画「仁義なき戦い」のテーマ音楽。2つの暴力団が上手、下手から出てきて、中央でにらみ合う。(真締川をはさんで町の東西に2つの暴力団があった)(手に研ぎ磨いた竹槍、先端がピカピカの刃物になっている灰かき)
広島 元々は、明治時代の炭坑夫の口入屋(くちいれや)が始まり。炭坑に人を手配したり、炭坑の中に飯場(はんば=納屋制度…なやせいど)を持ち、気性の荒い坑夫たちの面倒を見ていました。それが時代の流れの中で(暴力団に)変わっていったのです。【昭和30年代も後半に入ると、中小炭坑の閉山が相次ぎ、稼ぎが減る。真締川をはさんで町の東西でにらみ合う2つの勢力が、小さなパイを奪い合う。】抗争は10年戦争と呼ばれ、市民は切った張ったの騒ぎに戦々恐々。困ったことに、その真似をして、憧れる子どもも。
♪「仁義なき戦い」の音楽――上手、下手からランドセルを背負った小学生が出てきて、暴力団のように中央でにらみ合う。しかし、杉岡先生が現れ、その生徒たちを叱りつけて連れていく。
広島【そして、問題を起こした非行少年が送りこまれる山口市の少年鑑別所では、決まってこう聞かれたそうです。「おまえは宇部か小野田か?」……小野田のみなさん、(ここでは関係ないのに)ごめんなさい。】
上野、2つの暴力団の間に進み出る。恐ろしさに小刻みに膝が震えている。そばに藤川やほかの女性たちもいる。
上野 (勇気を奮い起こして)こ、この中でいちばん偉い方はどなたですか。
下っ端 なんじゃ、おばはん!
若頭 おい、手荒な真似はするなっちゃあや! (奥に呼びかけ)親分!
組長 こりゃどうもお騒がせしました。堅気のみなさんには決してご迷惑は……
上野 あなたがたの存在自体が――
藤川 (小声で)やめて、時江さん!
上野 ……とにかく、けんかはおやめください。人を傷つけ合って、何がおもしろいんですか。
下っ端 うるせえっ、ババアっ!
上野・藤川 ヒャッ!
組長 (下っ端をどついて制する)おまえは黙っちょけ! 血ぃ見るど。
下っ端 すいませんっ。
上野 (組長に)あ、あなた……お子さんは? お子さんはいらっしゃるの?
組長 ……ええ、ふたりほど。小学生が。
上野 そのお子さんが、今のあなたを見たら、なんと思うでしょう?
組長 ……ふふっ。あっはっは。あっはっはっは!(大笑)
組員たち (組長がなぜ笑っているのかよくわからないが、お追従で笑う)……わっはっはっは!
上野 な、何?!
組長 うちのガキは宇部にはおりませんよ。
上野 え、なぜ?! どうして?
組長 わしゃ稼業でしょうがなぁが、ガキどもは宇部ではよう暮らさせん。なにせ、この空気。(自分の周りの連中を蔑〈さげす〉んで見て)この環境。知り合いの堅気の家に預けて、空気のきれえな山口で学校に通わせてますよ。ほれ、なんたら言うでしょ……「孟母三遷」。
上野 (意表をつかれ)あ。
別の組長 ここはガキの暮らす町じゃなぁわな。それだけはわしも同じ意見じゃ。
組長 ガキどもを、この町の極道にはしたくない。
別の組長 また意見がおうた。
組長 気色悪いのぅ。
別の組長 なんじゃと!
組長 なんじゃ、おらぁっ!
上野 あの。あの。
若頭 もうええでしょ。けがせんうちにお引き取りを。
別の組長 うるせえ、おらぁっ!
組長 なんじゃと、おりぁっ!
また2つの暴力団が角つき合わせて騒ぎ出す。
上野 ケンカはダメ!
しかし、騒ぎは治まらない。治まらないどころかますますヒートアップする。
とそこへ、花を摘んだ少女が蝶を追いかけ笑いながらやってくる。「うふふっ、あはははっ!」。2つの暴力団の真ん中まで無邪気に進み出る。あっとびっくりして見ている上野たち。
上野 こっち来て!
藤川 危ないっ!
親分 (少女をにらみつけて)なんじゃ、おりゃっ!
上野 やめなさい! やめてっ――
しかし、少女は無垢な笑顔で、摘んできた花を組長に差し出す。別の組長にも。
組長 んんっ……? (花を受け取って少女をにらみつける…しかし意外にも気持ちを動かされて)きょうは……やめじゃ!
別の組長 (こちらも戦う気持ちが折れて)……おい、引き上げるぞ!
2つの暴力団、ぞろぞろと去っていく。
少女もまた笑いながら踊るように駆けていく、花を一輪落として。「うふふっ、あはははっ!」
上野 (花を拾って)――これだわ!
遅ればせながら、お巡りさんが警笛を鳴らしながら駆けてくる。警笛を鳴らしながら、2つの暴力団が去ったほうのどちらへ行こうかグルグル迷いつつ、(そうは言っても怖いので)結局、元来たほうへ警笛を鳴らしながら去っていく。
上野 (花を手に)環境が大事……一理ある! (藤川たち女性たちに)彼らの取り締まりは、警察に任せて、わたしらは地に根を張った、息の長い運動をしていきましょう。
女性たち はい!
藤川 宇部の荒れ地を、お花畑に。
上野 荒(すさ)んだ心を、花いっぱいに!
号外を配る新聞少年が二人、上手と下手から競い合うように出てくる。一人は宇部時報、一人はウベニチ。鈴を鳴らして。両社のつばぜり合い。
新聞少年たち 号外号外! 号外! (真ん中で顔を合わせるがそっぽを向く)フンッ! 号外だよ! 号外号外!……
炭鉱夫で上野の夫の良次が出てきて、号外を受け取る。汚れた作業着。手にヘルメット、首にキャップランプを提げて。
上野 (手に号外)……あなた!
良次 時江。沖ノ山炭坑が閉山じゃ……!(昭和41年8月閉山発表)
新聞少年たち 号外号外! 号外! (真ん中でふたたび顔を合わせるがそっぽを向く)フンッ! 号外だよ! 号外号外!……
新聞少年たち、舞台から客席に降り、号外を配りながら別々の方向へ駆け抜けていく。
広島 昭和30年代から40年代後半まで、日本は高度成長の時代。神武(じんむ)景気、岩戸(いわと)景気、オリンピック景気、いざなぎ景気、そして田中角栄の、(物真似をして)「まあっ、このぉ」……列島改造ブーム。
【昭和30年代前半は、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器(じんぎ)」が庶民の憧れ。それが満たされると、今度は(昭和40年前後は)、カラーテレビ、クーラー、カー=自動車の「3C」が垂涎の的。】
しかし昭和30年代後半、時代は大きな大きな転換点に。世界的なエネルギー革命です。経済成長の原動力であった石炭は、その主役の座を石油に奪われます。石炭の町宇部も、時代の波にあらがえず、中小炭鉱の閉山が相次ぎ、ついには、渡辺祐策の興した沖ノ山炭坑=宇部鉱業所も……
良次 閉山、首切り……クソォっ。わしらの仕事が。わしらの生活はどうなるんじゃ。このままじゃ仲間は散り散りバラバラ。(「閉山反対」の赤いハチマキを締めて)ストライキじゃ! 徹底抗戦じゃ!
上野 あなた。
良次 これから組合の者らと会議じゃ、会議。閉山=スクラップをやめさせる。(去る)
上野 ……。
藤川 (出てきて)大丈夫?
上野 夫は炭鉱が好きなのよ。宇部の山しか知らんの。……わたしはわたしの、今できることをやるだけよ。
藤川 ……そうね。
女性たち (募金箱を手に出てきて)宇部を花いっぱいにしましょう! 宇部を花いっぱいに!
上野 (募金箱を手に呼びかける)荒神山(こうじんやま…風紀の乱れた宇部の町の比喩)を、お花畑に!
藤川 宇部の町を花で飾りましょう!
上野たち、花いっぱい募金活動。募金をしてくれた人に風船を渡す。
上野 宇部の町を花いっぱいに! ネギでもセリでも。花が咲くならなんでもええの。お願いします!
女性たち (銘々に)宇部を花いっぱいに! ご協力をお願いしま~す!
広島 呼びかけは市民だけにではありません。
上野 (みんなに)復興の煙をモクモク上げて儲けてる企業からも、プレゼントをしてもらいましょう。
女性たち ええ?!
宇部市民ならだれでも知っている某大企業・宇部忠産の高安社長が悠然と歩いてくる。葉巻。そばにお付きの社員・近藤。手帳で社長のスケジュールを確認しつつ。
上野 (募金箱を携えて)宇部で儲けたお金で、宇部の市民にプレゼントをしてください。
高安 ……。
近藤 社長、次のご予定が。
高安 (手で制して…財布から紙幣を1枚、募金箱へ。去ろうとするが……)
上野 (募金箱をさらに前へ)「ダストイズマネー」。
高安 (はっとして立ち止まる)――!
上野 「ダストイズマネー」。
高安 そりゃ、そういう意味じゃ……あっはっは、こりゃやられた。(さらに高額の紙幣を1枚、いや2枚、募金箱へ)「ダストイズマネー」……あっははは。(去る)
近藤 さすが、社長!(去る)
女性たち、微笑み合う。募金を呼びかけながら、去る。
舞台の一方で。友美がタンバリンでリズムを取りながら、自分の教室の生徒たちにバレエを教えている。装いがお洒落で派手。珠のネックレス。生徒たちの中には、「つま先で踊っちょる!」の少年池信吾によく似た子もいる。
友美 (タンバリンを叩き、その鈴を鳴らしながら)。イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ! ニ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、マ・ワ・ル! つま先・のばして! 背筋! そう! ヨン、ニ、サン、シ、(鈴をジャラジャラ鳴らして)ピタッと・決めるぅ!
生徒の一人・晴子が踊っている最中に髪飾りを落としてしまう。あわてて拾い上げるが、
友美 こらっ! しっかりつけてないからでしょ!
晴子 はい!
友美 気のたるみが本番でも出るの! わかった?
晴子 はい!
友美 (叱っていた時とは一変、オーラのある笑顔)はい、よろしいっ! 続きいくわよぉ。(タンバリンの鈴を鳴らしてから、叩く)イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク――
(声) おはようございまーす。
生徒とその母親(律子と母親の沢島)がごく普通にやってくる。
沢島 あら。もうお稽古を――
友美 こらっ! 遅いっ!
律子 すいません!
沢島 え、え? (少しへらへら笑いつつ)友美先生、でも、まだ集合時間の5分前ですよ。
友美 集合時間の30分前に来るのが当たり前でしょ!
沢島 さ、30分前?!
友美 ストレッチして、体温めて、踊る心の準備をして――当たり前でしょうがね!
沢島 でも、いただいた紙にはそんなこと――
友美 そねいなこともわからん人には、踊る資格はありません。お帰りなさい!
沢島 まあ! でも友美先生――
律子 (小声で)ママ、いいから。あやまって。ママ! (友美に深く頭を下げる)ごめんなさい!
沢島 (しぶしぶ)……すみませんでしたぁ。
友美 (笑顔)はい、よろしいっ! 続きをいくわよ。律子、自分の位置に立って。
律子 はい!
下柳(弟子) (出てきて)先生、東京からお電話です。
舞台の一方に石田漠。
友美と漠の会話のあいだ、生徒たちは無音の中、カノンで踊っている……
漠 友美。
友美 漠先生! お元気ですか。ごめんなさい、ご無沙汰して。このところ、ご連絡も差しあげませんで。
漠 ふふ。忙しいんだろ、相変わらず。
友美 お陰さまで。宇部のほかにも下関や山口にも、それから美祢にもお教室を開いて。先生、生徒が500人を超えました!
漠 そうかい……きみの努力の賜物だね……
友美 ありがとうございます!
漠 (どこか覇気がない)友美は変わらないな、出会った頃と。きみの元気がうらやましい……
友美 ……どうかなさいました? お声が少し……
漠 ――友美、東京へ出て来ないか。僕を助けておくれ。
友美 ええ?! 急にそんな――。どうかされたんですか、漠先生?
漠 (目の調子が悪い)いや、それがね……この頃どうも目が……ああっ、われながら嫌んなる!(のちに目が不自由に)
友美 漠先生……?!
音楽が入る。
生徒たちがカノンで踊る中、不安げな友美の姿を残しつつ……幕が降りる。