快正教学会主催の認知症講演会を聴いて(2023.3.20)
昨日、3月19日、認知症の当事者、保護者の方々が交流するオレンジカフェを定期開催されているNPO法人、快正教学会様主催の認知症講演会を拝聴しました。
講師は、若年性認知症の当事者、丹野智文さんで、30代の時に、認知症が発症し、以降、仕事をしながら、講演会活動をされている方。
丹野さんは、いなべ市講演の前日は福岡県で講演。午前中は、四日市市で打ち合わせがあり、その後、いなべ市へ移動してきたと。基本的には一人で移動して活動をされているとのこと。
丹野さんの講演は、次の予定があり最後まで聴けなかったのが残念だったが、たった40分間でも、多くの気づきをいただいた。
もっとも印象深かかったのは、決めつけないということだ。
認知症になったから、もう何もできない。
その病いのインパクトから、当事者も家族も、周囲も、そう思いがちで、結果、ひきこもりのような状態になってしまい、ますます、病気の進行を加速化してしまう。
丹野さんは、会社に全てを話し、理解ある上司が、仕事ができそうな部署へ移動を配慮し、周囲も理解し、丹野さんを助けた。
また、丹野さんも苦しみながら、周囲にできないこと等をはっきり言い、理解を促した。
感動したエピソード。
仲の良い同級会で、丹野さんは自分が認知症であることをカミングアウト。
次に会うときは、みんなの名前や顔を忘れているかもしれないと話した。
しかし、同級生は、
おまえが忘れても、俺たちが覚えているから安心しろ。と言った。
丹野さんは、この言葉に大いに救われた。
さて、こうした話を聴き、いかに人の特性を理解することが大切なのか?を考えた。
また、このことは認知症だけでなく、あらゆる人に当てはまることである。
人には、得手不得手がある。完璧な人間などいない。
だから、自他共に何ができて、何ができないのか、相互理解することが大切である。
自分ができるから、他者も容易にできると思うのは、間違いである。
だから、役割、適材適所という観点が大切なのだ。
マスコミ的、統計学的な視点で、すぐに、平均値を出し、その平均値をものさしにしてしまうが、
チームで何かをするときには、あくまで構成員の特性を理解し、適材適所に配する。
この前提となる相互理解が改めて大切であると考えた。
ただ、怠惰であり、役割を果たさないというのは、当然、別の話しであるし、また、自分のことしか考えない身勝手さは論外である。
丹野さんは、若年性認知症を患って以降、忘れても確認できるように、仕事時にノートに過程や仕事の処理状況をノートに細かく書くという。
そのノートを、会社の同じ部署では、業務マニュアルとして採用されたという。
預けてしまったら救われない。何があっても、自分でやり抜く姿勢だと思う。