贈りもの
大切な人の自死があって、その後自身の誕生日を祝うことが出来なくなった方々もいると思います。
家族や友人の手前、喜ぶ素振りは見せたとしても心底祝えない、先立ってしまった人へばかり想いの焦点が合ってしまう、もしくは申し訳なく思う気持ちが強かったりで、自分が生まれた日なんて…と、思い続けているご遺族も多いのかなって思います。
私も事後はずっとそんな感じでした。
けれど、(悲しいかな?)乳がんに罹患し、全摘手術やその後の薬物療法を続けることになり、一変しました。
否が応でも、自分自身の命に向き合うことになったからでしょうか。
我が子 有ちゃんが先立ってしまってから7年めだったこのタイミングも大きく影響しているとは思います。
(事後すぐにでは、こういう向き合い方は出来なかった)
ブログで自身の誕生日を書くのは初めてですけど、3月20日は私の56歳の誕生日でした。
おめでとう!自分!
ヽ(^o^)丿
有ちゃんの事後から初めて心底、自身の誕生日を祝えたように思います。
二回も大きい手術を頑張ったよ☆
その後のリハビリも、体力回復に向けての運動も、がんの根治薬物療法も、頑張り続けているよ☆
憑き物が落ちたように、とても嬉しく、そして有り難く誕生日のお祝いを、自分なりのやり方で過ごしたのです。
2022年暮れの手術で、年始の恒例、有ちゃんと初詣で、大宮の武蔵一宮氷川神社に行けませんでしたので、この誕生日に向かいました🚶
たまたまですが(^_^;)、グリーフ&がんサバイバーの同志とコンタクトをとれたことで、急遽一緒に向かうことも出来ました。
このタイミングを逃すべからず。
たまたまのたまたま、二人の誕生日も二日しか違わなかったことで、共にお互いの誕生日と命に向き合い、お祝いできたと思っています。
お互いの横には、お空の我が子も雰囲気を察知して?? 来てくれたかな~。
大病罹患のみならず我が子に先立たれる経験は、誰だってしたくないです。
でも、そうなってしまったから見えてくるもの、感じとれるものが多くあります。
周囲の仲間や家族のさりげない優しさや寄り添いだったり、日々の(小さくとも)キラキラした出逢い、ギフト。
『さよならだけが人生だ』?
そうでしょうか。
『出逢いだけが人生だ』
とも言えるように思うこの頃です。
我々が見逃しさえしなければ、たくさんのギフトが日々あちらこちらに、此の世と彼の世の堺も無く、届けられているように感じます。
お詣り後は(これまた恒例の)、氷川神社から長い参道をさいたま新都心まで歩き、有ちゃんとの思い出レストランやショップが並ぶ『アルピーノ村』のお菓子屋さんで、私の名前入りのホールケーキをゲット(*^^)v。
ここまで歩いてこれるようになった体力回復に、直接・間接的に関りを持ってくださった方々に、こころの底から感謝しながら歩きました。
道端のかわいいお花たち、街並みの灯り、全てがフレッシュに輝いて見えます。
夕暮れ時に、駅に向かう道を見ると、あれ……スーパーアリーナが虹色に点灯し始めているのが目に入りました。
去年暮れの七回忌法要前日に初めて見て以来、二度目。
そして春にライトアップされているのは、やっぱり初めて気がつきました。
そうか。
贈りもの
ありがとう
また今日を生きますよ~🚶
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