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無垢なわたしへ Purification✩.*˚

風の精霊🍃

2023.03.21 05:11

風の精霊は他の精霊と何か異なる性質を持っているように感じます。



風の精は太古、天使から分霊して生じました。

彼らが現れるのも、やはり二つの界が接するところです。それは、動物界と植物界が接する境界です。といっても、この二つの界が接していればどこでもいいというのではありません。

たとえば、牛が草を食べているような形で動物と植物が接していても、これはごく当たり前の接触であり、風の精を呼ぶことはありません。このような接触は通常の進化の歩みに沿ったものです。

風の精を呼ぶのは、蜂と花の接触のような場合です。

蜂と花は、作りが非常に違うし、全く別の進化段階にあるのに、後になってから共生関係を結びま した。

蜜を吸う蜂と、吸われる花との間には、親密な味覚のやりとりが行われていて、その奇妙な行為から、エーテルのオーラのようなものが生じます。この エーテルのオーラを求めて、風の精が近づいてくるのです。

よく木に沢山の蜂が群らがっていることがありますが、その蜂の群全体が、今述べた味覚のやりとりをしていることもあります。その群が味覚の余韻を味わいながら一斉に飛び立つと、飛んでいる群全体がエーテルのオーラに包まれていて、そのオーラの中に風の精が入り込んでいるといったことも起こるそうです。

風の精はエーテルのオーラをいわば養分として摂取するわけです。彼らは虫と花の接触を漫然と待っているのではなく、虫を花の所へ導くこともします。

彼らは、ある意味では虫の指導者であるといえます。

        

 風の精は人間の「意志」に似たものを発達させた存在で、風と光の要素の中に生きています。

彼らは春や秋につばめが軒先をかすめたり、海の上をかもめが渡る時、その羽音の空気の流れを妙なる調べとして聞きます。そして、その空気の振動の、風と光の要素の中に入り込み、そこを棲み家とするのです。

風の精は鳥がいない空を横切る時は、自分自身がいないような寂しさを感じ、空の一画に鳥の姿を見つけると、 自分と出会ったような気持ちが湧き起こります。これは一種の自我感情です。

風の精は外界に自分の自我を見つけ出すのです。

自分の外部の空間に向けて、このような思いを寄せる風の精は、そのことで、宇宙に内在する愛の意志を運んでいるのだとシュタイナーは言います。


シュタイナーの考察はグッチさんの「路」より引用させて頂いてます。



庭先にいてふと寂しさを感じる時、風に触れて喜びを感じる時、それは自分の感情ではなく風の精霊に共感していることもあるのではないかと思いました。

多岐にわたる感情は自我のバウンダリーが明確でなかったら自分自身のもの以外に近くにいる方のものも、集合意識も拾ってしまいます。その一つに常に触れている風の精、その精霊の意識を拾っていることもあるのでしょう。


そして光と風の要素の中に生きている風の精の在り方を想像すると、その感覚はなぜだか容易に理解できるような気がしますが、それは今もここでそよそよとそよいでいる風に触れているからなのかもしれません。


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