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「TIME AND TIDE」

二つの「光」

2018.05.18 08:15

GW中は、2つの大きなイベントに参加しました。

それぞれのイベントで感じたことは「光」でした。


源に向かう光「向源」


ひとつ目は、ニコニコ超会議でブースを出展した「向源」。

例年、東京のお寺を会場に寺社フェスを行っているイベントですが、

今回はニコニコ超会議を会場に出張イベントも開催されました。


向源には昨年よりお手伝いをさせて頂いており、今回も「東京向源」「ニコニコ超会議の向源」両イベントのお手伝いをさせて頂きました。


「向源」というイベントは、その言葉の通り、

「自らの「源」と「向」き合う」というのが、コンセプトのひとつです。


 イベントに来てくれた人だけでなく、イベントの主催側(参加するお坊さんやボランティアの方々など)も、自分と向き合い、様々なことに気付くことができるイベントだと思っています。


 今回、特に注目されていたのは、ニコニコ超会議で行われていたテクノ法要。


 幕張メッセの会場に、プロジェクションマッピングやVJを使って、疑似的なお寺?ステージが出現。


 トランスのような音楽や御経を唱えながら法要が行われました。

 その珍しさもあって、大変マスコミなどの注目も集まったようです。


 

トランスミュージックやプロジェクトマッピングに興味がない私でも、引き込まれるような空間でした。

映像のプロが集まって作られるテクノ法要には、やはり、プロとしてのテクニックがふんだんに盛り込まれており、その演出はまさに阿弥陀浄土のようでした。

プロジェクションマッピングとは、光を投射してそこに無いものをあるように見せる演出です。テクノ法要のリーダーである朝倉さんを中心に、ステージでは様々な光が当てられていました。それはステージだけでなく、お坊さんの可能性や仏教の内なる力も照らしているようでした。


照らされる仏教、照らす仏教


そういった姿に来場者は感動していたと思うし、「向源」の主催者である友光君は、すこし嫉妬があったようでした。

仏教は、内なる力に気付くことだし、まさに「向源」という場所は、自分という内なる「源」に「向」かう道を照らしてくれる「光」のようなイベントだと感じました。




レインボープライド2018


一方、昨年同様に参加させていただいたイベントにレインボープライド2018というものがありました。


このイベントは、LGBTと呼ばれる性的マイノリティのサポート啓発イベントです。


しかし、現在は、性的マイノリティに限らず、すべての人が自分らしく生きていくための啓発イベントとなっています。


このイベントは、代々木公園で開催され、2日間で16万人近くの人が参加し、パレードにも37団体7000人が参加するという大きなイベントです。

「みんな楽しそう」

このイベントの魅力は、「みんな楽しそう」だ。

参加している人が楽しそう。


普段は、しがらみや法律の壁によって表現できないようなことを爆発させている。


私が最近注目しているテーマは「内発性」だ。

「内から湧き上がる力」ということ。

それは、法律や倫理を超えている。

内から湧き上がる力「内発性」に理由は必要ない。

自然と内から湧き上がってしまうのだから。


もちろん、合法なものもあるが、非合法なものもある。でも、そんなことは、関係ない。だって理由がないんだから。


レインボープライドというイベントは、そんな「内発性」と正直に向き合っている人が多いイベントだ。


例えば、現在の法律では同性結婚を認めていない。

同性で結婚をすることはできないし、倫理的(←この場合は、法律で認めていないからという意味)にも支持されてはいない。

しかし、同性愛は、法律や損得、倫理を超えた「内発性」に従った振る舞いなのだ。


多様性を認めることが内発性を輝かせる

LGBTのサポート活動をしていたりすると、

「佐々木さんもソチラの方ですか?」と聞かれたりするが、その時は

「私は、ノンケ(2丁目用語で異性愛者のこと)です」とか「アライ(LBGTのサポートをする人)です」と答える。


私は性的少数者ではない。

でも、この活動を支援しているのは、まさに「内発性」に価値があると思っているからだ。

そして、「内発性」を守る、または生み出すためには「多様性が認められること」が必要だとも考えています。


「私が、私らしく生きて良い」そんな多様性を認められる社会は、LGBTの当事者だけでなく、私にとっても大切な社会なのだ。


レインボープライドのイベントに参加すると、参加者の「内なる光」を感じることができる。参加者は自分の「内なる光(内発性)」を正直に表現している。


その光に私たちは眩暈を起こし、その内発性に感染する。



どれだけの人が、「光」を照らされ、輝く存在としていられるのだろうか?

どれだけの人が、自分の内なる「光」に気付くことができるのだろうか?


 

そんなことを感じたGWでした。