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伊勢志摩国浅間信仰図

13 贄浦浅間山 柱・龍・地震

2015.08.30 08:02

 贄浦の浅間さんである。一番に目に入るのが、社に太い針金で富士山を描いているところである。なんとも可愛らしい。方角的に、この社を拝むと、その延長線上に富士を対面するようになっている。

  浅間さんの祠の中でもその姿は独特で、円柱形に石積みされており、前回の中津浜のもの同様、コンクリートで積まれているが全体に苔むしていて、すっかり周囲に馴染んでいる。塚の周囲を富士頂上のお鉢巡りか、お中道を模して周回できるようになっているが、黒ボク(富士山から持ち帰った溶岩石)などはなく、烏帽子岩や人穴、胎内など富士講の塚のような微に入った細かな演出もない。

  わざわさはっきりとした円柱形なのは、あちこちの日和山などに置かれた方角石に関係したのだろうか。動力船のできる前、帆船の船乗りは船の運行を計るのに日和見した。そのほとんどの場所には、円柱の上に方角が刻み込まれた方角石が置かれた。中には夜間の航行を助ける、天文計測の台も置かれた。この浅間さんのある岬の先端 などは、日和見の好立地となる。祠の少しはなれたところには、魚影か外国船を見ていたと思われる見張り小屋の廃屋が残る。ここは、時代時代に色々な使われ方をした場所だったのだろうか。それにしても、この祠の円柱は太い。

 前回贄浦の投稿では、浅間信仰における幣を柱として扱い、保立道久氏の柱信仰に話が及んだが、萩原秀三郎氏や金田久璋氏らも、柱は神の依り代であると述べ、さらにその柱と龍蛇の関連を論じた。なかでも広島県と福井県の例は、地震の歴史などと一緒に考えてみると興味深くなる。

  広島県の比婆山の麓で行われる荒神神楽では、蛇麦ワラを祭場の東西の柱に渡し、ヨリマシである「神柱」をこれに寄りかかるようにとりつかせ、青竹の軸幣を神柱に持たせて神がからせている。荒神信仰は比婆山に限らず、中国・四国地方の瀬戸内海に広く分布しており、神事的演舞としての神楽はどこの荒神さんでもほぼ同じスタイル・内容で、これに大衆要素が加わった備中神楽でも、大蛇退治に至る古事記伝承が主題のひとつで、そこにおいても神柱のくだりは重要な場面のひとつである。各地の荒神信仰で、その中心となるのは荒神の塚である。阪神淡路大震災を起こした六甲断層が地表に現れている淡路島北部では、荒神塚がその断層に沿って数十キロの長さで意図的に分布していることが分かっている(グーグル図)。広島県比婆郡でも山内断層は、何ヵ所かが地上に露出していることは中国地方では有名である。断層は有史以前からそこで露出していたと思われ、そこに住んだ人々からは、断層が地殻変動の跡を残す記念碑として見られていたかもしれない。氏が龍・柱の神事として取り上げた比婆山の荒神神楽は、地震に対する関心の高い環境下で、地域の災害鎮守の神として祭られていた可能性が考えられる。イザナミが黄泉の国へ行った場所といわれる比婆山の麓一帯には、地震災害の伝承として龍柱信仰が広がっていたのではないだろうか。ちなみに、前時代の神話的発想が残る平安初期の880 年、京都を「地大震」が襲い、その震源は出雲地方だった。マグネチュードは、7.0以上と予想されている。京都では、前年から12回の有感地震が記録され、880年には、31回の地震が起こっている。年初から立て続いた地震の決定打が、10月14日に起こった、この出雲震源の「地大震」だったのである。出雲国からは、神社や仏寺、役所、百姓の家などが倒れ、負傷者が多数出たと報告されている。

荒神神楽の伝承を継ぐ岡山県の備中神楽

 福井県三方郡で同じように大蛇退治説話を伝えてきた闇見神社では、春の例祭のあと、「大御幣つき」の神事がある。それは荒縄を大御幣の四方にくくりつけ、 過酷に何度も激しく大御幣を地面に打ちつけるという。そして、同じく福井県の小浜市法海で行われる一月六日の六日講では、龍蛇の形をした勧請綱を境界であ る村の入り口につるし、「一斗八升、もう一斗」と豊作を予祝して、全員が大声をあげ、床を激しく踏み鳴らす行事を行っているという。この福井県の例は、現在の正月に使っている、いわゆる「しめ縄」に進化せず龍蛇というイメージ原型を留めたままのわら縄と、それが区切る境界について指摘しているのだが、ここではそれに付随した行事が注目で、それらの神事は方座浦の稿で触れたポリネシアのトンガに伝わる地震神話の意味するところと非常に似通っていると思われる。トンガでは地震が起きると棒で地面を叩き、地面の中にいて地震を起こしている神に自分達の存在を知らせて、地震を止めさせようとしたのであるが、福井県のふたつの例などは、古和浦の地叩き神事と同じく、御幣を地面に打ちつけたり、床を激しく踏み鳴らしたりすることは、地中にいる神に自分らの存在を知らせるというトンガの地震文化に通じ、実際には地震厄を除ける神事を行っているのだと思われる。というのも、福井県三方郡には三方起震断層、小浜市には熊川起震断層があり、さらに若狭湾に面したこの地方には701年に起こった大宝地震による大津波伝承が各地に分布している。有名な天橋立にある当地の一宮、「籠神社」では、その奥宮「真名井神社」への参道にある「波せき地蔵堂」の案内板に、大宝地震の大津波が押し寄せたものが、ここで切り返したと伝えられ、以後天災地変から守る霊験がある と記されている。

 広島県の比婆山、福井県の小浜とも、龍蛇という文化の側面を忠実に残している貴重な神事であるが、そこには何かしら地震との関係を映す事象が見え隠れしている。これも方座浦の稿で述べたが、地叩きなどの神事は農業神事に通じたものとも考えられるが、そちらの神事こそ局地的な分布の伝承ごとでなのあり、地叩きが地震と関係する神話は東南アジア地域に広がる、確固たる背景のある人類の伝承であることを認識しておかなければならない。あるいは、例に漏れず地震伝承は忘れられがちであり、地震・地叩きの神事は時間とともに意味を忘れられ、農業神事へと変化した可能性も検討できる。


引用参考文献

・竹内靱負「富士山文化ーその信仰遺跡を歩く」祥伝社新書、2013年

・南波松太郎「日和山」(ものと人間の文化史)法政大学出版会、1988年

・萩原秀三郎「龍と鳥と柱」(龍の文明史)八坂書房、2006年

・金田久璋「龍蛇と宇宙樹のフォークロア」(龍の文明史)八坂書房、2006年

・ザヤス・シンシア・ネリ「淡路島における災害と記憶の文化 : 荒神信仰を中心に」

 国際日本文化研究センター、2007年

・大林太良「神話の話」講談社学術文庫、1979年

・保立道久「歴史の中の大地動乱」岩波新書、2012年