リハビリについて想うこと
なんだか最近、テレビで「リハビリ」について取り上げられることが多い。最近亡くなられた西城秀樹さんや、アイドルで看板が飛んできて下半身マヒになった方。お二方ともリハビリ風景が流され「つらく苦しいリハビリにも耐え、前向きに頑張る・・・」というような感じ。
お二方とも、病気や事故による中途障害。私も原因は不明だけど、ある日突然、歩けなくなった中途障害。リハビリに通って、ほぼ通常の動きができるようになってきたので、リハビリもやめようかな・・・?と思っていた矢先、今年の2月にまた動けなくなって、入院して検査はしたものの、原因はやはりわからず。
正直、最初は戸惑った。びっくりした。だって、さっきまでフツーに動けてたのに「え?なんで動かないの?」って思った。まさかね?なんかの間違いでしょ?動けるよね?って。でも、それがだんだん現実のものとしてくると「なんで私がこんな目に?」「私が何をしたっていうの?」自分自身への拒否や矛先のわからない怒りに変化した。とにかく怒ってました。イライラしてました。どのくらいの期間だったかは覚えてないんだけど、最初っから物分かり良くなんてならない。突然に来る先の見えない不安。
私の場合は2回目に動けなくなった時も、「マジで?」「なんで?」とは思ったけど、一度は回復していたので、その時は先の見えない不安さはなかった。「またリハビリ、やり直しか」とは思ったけど「そのうち元に戻る」というのはわかってたから。
中途障害の場合、それまで何不自由なく暮らしていたのに、その日がある日突然やってくる。ある日突然「はい。今日からあなたは障害者です」と言われて「あーそうですか、わかりました。」と物分かり良くなるわけがない。そんなわけないだろ!なんで自分がこんな目に!!・・・そういうある意味ドロドロとした闇の部分も人間あるわけで。なんでだよ、バカ野郎!というある種のどん底(ほんとは底じゃないけど)にまで落ち込んで、ジタバタ暴れてるうちに、どっかのタイミングで、仕方ねーなぁ、と腹をくくる時期が来る。それがいわゆる障害受容なのか、と思います。
リハビリのスタッフはそういうのも理解しているので、私がジタバタあがいている頃も知っている。でも、それは人から促されて到達するものではない。自分の中で折り合いつけないとダメ。本当に「つらく苦しい」時期はこの期間。でも、そこはメディアに取り上げられることがない。同じ境遇の人にも希望を!とかなにかと美談にされちゃうけど、ほんとに希望を与えるのは、実は芸能人やアイドルでもジタバタするんだ。葛藤するんだ。なんで俺がこんな目に・・・って思ってもいいんだっていう部分なんじゃないかな?と思う。
ある日突然、体の自由が失われたのにすぐに、じゃあ頑張ろう!なんて思えるわけないもの。葛藤を経て強くなる。自分の中で折り合いつければね。だから、テレビの中の人を観てると「もっと弱い部分も出してもいいのになぁ」と思ってしまう。そっちの方がよっぽど希望なのに。
リハビリも私はもう何年通っているのかわからないくらいだけど、「つらく苦しい」だけのものだったら私は行かない。「つらい」のも「苦しい」のも嫌だもの。リハビリメニューがマンネリ化してきたら私はそのことをそのまま伝える。「これ飽きたー。」って。子どもみたいだけど(笑)だって詰まんないことは続けられないもの。「おもしろくなーい」とかね。リハビリに面白さを求めているあたりは間違っているのかもしれないけど・・・。
どん底期~「飽きたー」と言い出すまでも付き合ってくれるのがリハビリのプロだなぁ、と思う。人間の心の変化も、ちゃんと経験と知識で知っているから。メディアで取り上げられる中途半端な美談じゃなくて、そういうところも取り上げて欲しいなぁと想うのでした。