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サンライズ教会 2018年イースター

2018.05.20 07:46

『日曜日の明け方早く、待ちかねた女たちは香油を持って墓に急ぎました。着いてみると、どうしたことでしょう。墓の入口をふさいであった大きな石が、わきへ転がしてありました。中へ入って見ると、イエスの体は影も形もありません。「いったい、どうなってるのかしら。」女たちは途方にくれました。すると突然、まばゆいばかりに輝く衣をまとった人が二人、目の前に現れました。女たちはもう恐ろしくて、地に伏したまま顔も上げられず、わなわな震えていました。その人たちは言いました。「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。あの方はここにはおられません。復活なさったのです。」』

ルカの福音書 24:1-5

女たちは亡くなった人を捜していました。イエスキリストの死体が墓の中にあると予想していたからです。しかし墓に着くと、輝く衣をまとった人からイエスさまは違う場所にいると告げられます。神の使者たちは大真面目に「なぜ生きておられる方を、墓の中で捜しているのです。」と聞きましたが、この質問も違う意味では、明らかにそこにあるはずの無いものを捜している人たちに対するおどけた皮肉のようにも取れます。同時にイエスさまが十字架と復活についてお話しなさったことを理解していなかった、信じきれていなかったという事を指摘しています。

場所の事ばかりに集中し、その先にあるものに目を向けようとしないという事は、私たちも生きたイエスキリストを違う場所で捜してしまっているようなものです。実際に、墓へ行った女たちのように、イエス様が死んでいるとみなされるような場所、すなわち悲しみが喜びを覆い隠し、闇が光よりも勝り、死が生を支配しているような場所に、いつのまにか置かれてしまうことがあるのです。私自身、そういう悲観的な場所を体験する事が最近ありました。しかしそんな場所でさえも、神さまは生きていて勝利していることを知りました!

私の妻、春子牧師は十二月中旬ごろ肺炎で入院しました。私と息子と娘は1〜2週間、地域のリハビリセンターで過ごせば、また元気になって家に帰って来て、病気になる前の生活に戻れると思っていました。しかし過去五年間取り続けた免疫抗生剤と、首の手術による神経障害がこんなにも彼女の回復力を弱めていたとは、知る由もありませんでした。感染症と浮腫(水ぶくれ)が彼女を衰弱させ、あらゆる医療処置も最初は希望をもたらしてくれましたが、だんだん悪くなっていく状態を阻止することも、元に戻すこともできませんでした。リハビリセンターに来て一ヶ月が経ったとき、彼女はまた病院に戻る事になりました。そこで一時期状態が落ち着いたので、五日間ほど家に帰ることで元気を取り戻し、回復に向かって欲しいという希望を持って家に帰ったものの、ますます状態が悪くなったため再入院する事になり、医師から肺炎をぶり返していると告げられました。

生命維持装置を付けた状態で集中治療室に入って一週間後、教会のメンバーと親しい友達が病院のベットの周りに集まっていました。私と息子を含め、みんなそこに集まっていましたが、娘のジーナだけが昼食を取りに席を外していました。妻の心拍が不規則になりなり、急激に弱まって来ている事に私は気がつきました。もうじきその時が来ると思い、娘に電話をしました。まるで春子は意識が無いながらも、頑張って持ちこたえているようでした。ジーナが病室に戻って来て、母親の手に触れたその少し後、心拍が止まりました。伝道者の書 3:2と3:11にあるように「何事にも定まった時があります。生まれる時、死ぬ時」「あらゆることには、ふさわしい時というものがあります。」

そこに居た人たち全員が、すばらしい神さまのタイミングを感じる事ができました。本来なら私が数時間後に生命維持装置を外すという決断を実行する必要がありましたが、そうではなく、妻が自分で天国に向かうことができた事を神さまに感謝しています。まさに神さまのタイミングです。奇跡的なタイミングで息を引き取った妻を見て、すべては神によって決められているのだと再確認しました。四十二年間連れ添った妻は今、痛みから解放され、彼女が愛し、仕えた神さまと共にいます。

サンライズ教会の牧師、メンバー一同、みなさんがこのイースターの時期にイエスキリストの存在を身近に感じられるよう祈っています。

ポール岩田牧師より