花に問へ奥千本の花に問へ
http://caffe.main.jp/001/?p=7062【天地人】 より
2023年3月20日
<花に問へ奥千本の花に問へ>。おととい訃報が伝えられた俳人でエッセイストの黒田杏子(ももこ)さんの句である。30歳から「日本列島桜花巡礼」に出て全国を訪ね歩き、花の盛りが短い桜を見尽くすまでに28年を費やした。「季語の現場へ」を徹底した行動派で知られた。
俳句の基本は観察という師の山口青邨の教えがあった。東京都出身だが、栃木県に疎開し高校まで過ごした。地方の暮らしが季語との出会いの原点という。還暦前に「俳句列島日本すみずみ吟遊」を課した。多くの人々と巡り会い、有名無名を問わず、交流した。
太宰治を論じ、高橋竹山の三味線に親しんだ。「あなたは津軽人。青森県人より青森県の隅々を歩いておられる」と五所川原市の俳人成田千空さん。「この世でめぐり逢(あ)えた最後のお友達」とは青森市出身の料理研究家阿部なをさん。一緒に青森ねぶたを見物し、八甲田のブナ林を巡った。<ねぶた来る闇の記憶の無尽蔵>。
弊社主催の県俳句大会にお招きした。2014年は特別選者として、16年は特別ゲストとして俳人金子兜太さんとの記念対談だった。控室では、句友である元外交官の米国人の話題に。「俳句は地球すべての人と交流できる」と魅力を語った。
講演先の山梨県内で体調を崩した。享年84。桜との再開を心待ちにしていたであろうに。<花満ちてゆく鈴の音の湧くやうに>。
Facebook近藤裕子さん投稿記事 🍀🍀さくらの花を書く🍀🍀
「さくら」という言葉は、「さ」と「くら」に分けられていて、「さ」は稲の精霊、「くら」は稲の精霊が宿る場所を指す古語です。このふたつが組み合わさって〈さくら〉となったようです。
「桜」の旧字体は「櫻」と書きます。
〈〈嬰〉は「貝二つ+女」の会意文字で,首に巻く貝(子安貝=安産のお守り)の首飾りを表わします。
太古から人々が、桜を大切に思ってきた理由は、300~500年は生きる山桜の大木に対しての畏敬の念だけではなく、集落や村の宝である子孫を生み出す女性を 木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)の化身である桜の樹を見立てたことによるのです。
桜の美しい季節になりました。
あっという間に咲いて散りゆく桜は日本人の心によく似合います。
短い桜の季節を楽しみたいと思います。
http://caffe.main.jp/001/?p=7062 【今月の季語(4月) 花惜しむ】より
今年はすこし早めかつ心情的に桜の季語を追っています。早めのつもりでしたが開花自体が早まっていますから、図らずもタイムリーになってしまう可能性もあります。いつかの年のように、開花後にぐっと冷え込んでくれはしないかとすら思い始めました。
咲くまでをあれほど待った桜ですが、まさに花の命は短くて、風が無くてもちらほらと散るようになると、愛でつつ惜しむという感情がむくむくと立ち上がってきます。
花どきの一週間は一と昔 今井千鶴子
さくらどき裏返しては嬰を洗ふ 平井さち子
〈花時〉〈桜時〉は時候の季語です。表記の違いを楽しみつつ使えます。
大寺湯屋の空ゆく落花かな 宇佐美魚目
ひとひらのあと全山の花吹雪 野中亮介
花筏とぎれて花を水鏡 岩田由美
〈飛花〉〈落花〉〈花吹雪〉は花の散るさまを表しています。〈花筏〉は水面に散った花びらの連なるさまを筏に見立てています(文字通り花の散りかかる筏や、植物のハナイカダを指すこともあります)。枝を離れてもなお花の行方を追っているのです。
花時を過ぎてなお残る花を指して〈残花〉、散ったあと蘂や花柄が降ることを指して〈桜蘂降る〉といいます。
いつせいに残花といへどふぶきけり 黒田杏子
桜しべ降る慶弔の旅つづけ 角川源義
〈花過ぎ〉の日々にも慣れたころ、静かに花盛りを迎えている桜に出会うことがあります。花見の喧噪が過ぎた時期に咲き出す桜を〈遅桜〉と呼びます。一般的に〈八重桜〉は花期が遅めですが、一重八重を問わず、花期の遅い桜を指します。
一もとの姥子の宿の遅櫻 富安風生
夏に入っても桜の季語はあります。春にはやがて失われる佳きものを愛おしみ、夏には失ったと思っていたものを思いがけず見いだしたときの喜びや失ったものに代わる新しいものへの期待を詠みます。そうした纏わり続ける視線や思いが「惜しむ」に通じるのです。
二、三月にとりあげた〈花を待つ〉や〈花の闇〉と異なり、〈花(を)惜しむ〉は歳時記に「ある」季語です。〈花〉の項に傍題として掲載されています。つまり散ることのみを指しているのではありません。
花惜しむ莚をのべてたそがれて 黒田杏子
〈花惜しむ〉で詠まれた稀少な例です。この花は万朶の花であってもよいわけです。万朶の花といえば、
咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 高浜虚子
この句が出されたのは立派な弟子たちの居並ぶ句座でした。道長の望月の歌のように、満たされた心情を思わずにはいられません。
今生の今日の花とぞ仰ぐなる 石塚友二
花見の宴は諦めたほうが無難な今年。純粋に(?)花を待ち、愛で、惜しむことにしましょう。(正子)