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浪漫峰~romancesyndrome~

小雪の日向にて

2023.03.27 04:39

(男1人:女1人:5千字)


【あらすじ】

冬の足音が聞こえる頃、冷え切った女は日向のような男と出会った。

陽(ひ)の光は雪を溶かし、緑を育むのか。

それとも、未熟な果実を腐らせるのか。


【登場人物】

女:人を殺した少女


男:少女が出会った物腰の柔らかいおじさん




ー本編ー

女:ぽつりと、頬に感じた冷たさに、思わず手をあてる。

女:でも、指先に濡れた感覚はなく、冷え切った指の冷たさに、かえって顔がこわばってしまった。

女:空を見上げてみるが、雨雲は見当たらず、暖かい日差しが差すばかり。

女:「気のせいかな」

女:こんな時に雨が降ってきたら、そんなの、出来の悪い映画みたいだ。

女:"雨に打たれる女が一人。

女:手にはナイフを持ち、全身は血まみれ。

女:足元には死体があって、雨に流された血液が小さな川を作る。"

女:……

女:「ちょっと面白そうじゃん」

女:出来の悪い映画は、言い過ぎだったかもしれない。

女:きっと、出来損ないは私の方だ。

女:ナイフも死体もないし、雨も降っていない。

女:でも、死んだ人はいる。

女:きっと私が、殺した。

女:……

女:「私は、どこに行きたいんだろう。

女:何になろうとしてるんだろう」

ー間ー

女:気がつくと、私は公園にいた。

女:目的もなく、ただ歩き続けていただけだったから、どうやって辿り着いたのかも覚えていない。

女:これじゃ迷子みたいだ。

女:別に帰るつもりもないんだけれど。

女:「…あれ」

女:人気(ひとけ)のない公園かと思っていたけど、そうでもなかった。

女:端っこのベンチに男の人が座っていた。

女:「なんだろう…」

女:別に何かおかしなところがあったわけじゃない。

女:地味な私服で、長閑(のどか)な公園の風景を眺めてる、普通のおじさん。

女:でも、そのおじさんの表情がすごく柔らかくて、なんだかおひさまみたいな感じがして、それが少し、気になった。

女:「なにを、しているの?」

男:「魚をね、見てるんだ」

女:「魚?」

女:おじさんの視線の先を見れば、池があった。

女:「ここからじゃ見えないよ」

男:「見えなくても、魚はいるよ。池があるのは魚がいるからだろう」

女:「そうかな。魚のいない池だってあるんじゃない」

男:「いるよ。あれが池なら魚はいるはずだ」

女:「…おじさんは、魚を見たの?」

男:「いいや、水面をはねたりすれば見えるかもしれないが、どうやらあの池の魚は跳ねないようだ」

女:「ふうん」

女:変なおじさんだ。

女:子供だと思って、バカにされているのかと一瞬思ったけれど、おじさんが浮かべる柔和(にゅうわ)な笑みに、からかいなどは一切なくて、本当にそう思っているのだと感じた。

女:「魚が好きなの?」

男:「おいしいとは思うけれど、好きというわけではないね」

女:「じゃあ、なんでそうしているの?」

女:そう言ってから、少し不思議に思う。

女:公園にいるただのおじさんに、私は何をしているんだろう。

女:これじゃまるで、大人を質問攻めにする子供だ。

女:でもなぜだか、私が何を聞いてもこの人は答えてくれる、そんな気がした。

男:「空を飛ばないのかなって」

女:「え?」

男:「あの魚たちは、空を飛ばないのかなって思ったんだ」

女:「魚は空を飛ばないでしょ?」

男:「そうだね。魚は空を飛ばない。

男:でも、水の中にいることに嫌気がさしたりはしないのだろうか。

男:生まれてから死ぬまで、水中で一生を過ごすことに、疑問を感じることはないのだろうか。

男:水面を越えた、向こう側の空に憧れる魚がいたとしたら、もしかしたら空を飛ぶかもしれない」

女:「でも…、魚には羽がないから、飛んでもすぐに落ちちゃうんじゃないかな」

男:「…ああうん、そうだね。空を飛ぶなら、羽は必要だ」

女:そこで初めて、おじさんは私を見た。

男:「君ならどうする?

男:空を飛びたいのに、飛ぶための羽が君にはない。

男:諦めるのは簡単だろう。空を見上げなければいいのだから。

男:でも、忘れることは多分できないだろう。

男:だって、諦めたところで空が消えたりはしない。

男:地上に君は残されたまま、鳥たちは、自由に大空を羽ばたいている」

女:おじさんは表情を変えず、淡々と当たり前のことを言っているだけだ。

女:それなのに、私はみんなから置いてかれて、一人ぼっちになったような、そんな寂しさに襲われた。

男:「私なら」

女:孤独感に押しつぶされそうになる私に、おじさんは言った。

男:「私なら、セミになりたい」

女:「セミ?」

男:「そう、セミだ。

男:彼らは、一生のほとんどを地中で過ごす。

男:生まれた時から土の中で、それ以外の世界を見たことはないはずだ。

男:でも、きっと彼らは空を知っている。

男:空を羽ばたく自らの姿を、夢見ている。

男:だから彼らは、自らの命の終わる間際(まぎわ)、空を追い求めて、羽を持った姿へと自分を変える」

女:おじさんは、まっすぐな目で私を見ている。

女:まるで私がセミで、土の中にいた頃の殻を脱ぎ捨てて、羽化する様子を眺めているみたいだった。

女:ぶるり、と私は震えた。

女:少し風が出てきたせいだ。

女:だんだん、この優しい顔しか見せないおじさんに、腹が立ってきた。

女:「おじさんはセミじゃないし、魚は空を飛ばないよ」

女:そんなふうに言えば、おじさんは怒るか、悲しむかするだろうと思った。

女:そうじゃなくても、少しくらい狼狽(うろた)えるのを期待した。

男:「そうだね、僕は人間だから、泳ぐことも飛ぶこともできない」

女:それなのに、返ってきたのは非難じゃなくて肯定で、変わらず優しい口調で、なんだか悲しくなってきて、私は無性に泣きたくなった。

女:「なら空の事とか羽のこととか、全部無意味じゃん。

女:考えるだけ無駄だよ、そんなこと。

女:できないことなんか、忘れちゃえばいいんだ」

女:そんなことを言うつもりはなかった。

女:情けない気持ちから、おじさんの目を見れなくなる。

女:なのに溢(あふ)れ出す言葉を止められない。

女:「ありもしないことを考えるのは、やらなきゃいけないことから逃げてるだけだよ。

女:やりたくないことから逃げて、夢物語を語ったって何にもならないじゃない。

女:そんなの、毎日頑張って生きてる人たちに失礼だと思わないの?」

男:「そう、誰かに言われたのかい」

女:その一言で、心が凍った。

女:心臓をナイフで刺されたら、多分こんな感じなんだろう。

男:「そうやって、誰かに傷つけられたんだね」

女:「ちがっ…!」

男:「大丈夫。君は君のままだ」

女:手が震える。

女:いつの間にか、胸元に寄せた手を握り込んでいた。

男:「君が、誰に、どのように言われたのだとしても、心がそれに屈しなければ、君は君のままだ。

男:人は自分の意思でしか変わらない。

男:誰かの言葉で変わるほど、人間は柔軟にできてはいない。

男:人が人にできるのは、ただ道を示すことだけだ」

女:震える手を、暖かい何かが覆っている。

女:それはおじさんの手だった。

女:私より少し大きくて、でも思ったよりも薄い、暖かい手。

男:「動物と違って、人間は言葉で暴力を振るう。

男:それは人間が爪や牙を捨てた代わりに手に入れた、知性という名の武器だ。

男:他人と繋がるための道具だ。

男:一人では実現できない事を、夢みたいな理想を、たくさんの人の力を束ねて叶えようとする。

男:その力を繋ぎ合わせるために、人は言葉を手に入れた」

女:おじさんが言っていることの意味は、私にはよく分からなかった。

女:でも、おじさんの手は暖かくて、柔らかくて、固く握っていた拳の力が緩んでいく。

女:解(ほど)けた指を繋ぎ止めるように、おじさんの指が私の手を握る。

男:「大事なのは心だ。

男:心が望むから人は夢を見る。

男:だから、心がある限り、君はどこにだって行けるし、何にだってなれる」

女:「私、そんなふうに強くなれないよ…」

女:私の弱気な言葉に、おじさんはぽっかりと言う。

男:「君は変わろうとしている。今とは違う自分へと」

女:日差しが私を照らす。

男:「変わる、というのはどんな感じか、考えたことはあるかい?」

女:「…ない、と思う」

男:「本当のところ、私にもわからない。

男:昆虫のさなぎのように、まったく違う存在に生まれ変わるのか。

男:それとも、池の水が上流に押し流されていくように、入れ替わっていくのか。

男:だが昆虫にしろ池にしろ、自分が変わったとは、きっと思わないんだろう。

男:後から振り返って初めて、かつての自分と違うことに気付くんだ。

男:だが、変わり始めるきっかけはいつだって、そうなりたいという気持ちからなんだ」

女:そう言って、おじさんはそっと私の手を離した。

女:いつの間にか震えは止まっていた。

男:「もしかしたら、自分を変えるというのは、自分を殺すという事なのかもしれない。

男:それが過去の自分なのか、幾つもある未来の可能性なのか。

男:あるいは、生きる事そのものが、誰かの何かを殺すことで、成り立っているのかもしれない」

女:「そんな…」

男:「人は気づいていないだけで、誰もが誰かを殺して生きている。

男:生きるというのは、誰かを、何かを殺すことなのだから。

男:でも、人は弱いから。

男:自分がそんな悪い人間であるということに耐えられない。

男:だから皆、自分が人殺しであるということに、気づかないようにして生きている」

女:「そんな、こと…」

男:「元から強い人間なんていない。

男:そもそも、強い人間なんてどこにもいないのかもしれない。

男:みんな弱くて、誰かを虐(しいた)げながら、弱いまま少し強くなる」

女:人気のない公園に、おじさんの声だけが響いてる。

男:「変わる、とは、そういう事なのかもしれない。

男:強い意志、生きる力を持つ事。

男:それがなくなった時、人は生きる意味を失って、きっと死んでしまう」

女:「おじさんは…」

女:次の言葉が、すぐには出てこなかった。

男:「私が、どうかしたかな」

女:何かを聞きたかったわけではない。

女:何でもいい、とにかく声を掛けなくちゃ、と思ったのだ。

女:「…おじさんは、どうなの?

女:変わりたいって思ったの?」

男:「人を」

女:「え?」

男:「人を殺そうと思ったんだ」

女:そうおじさんが言った途端、おじさん以外の音が消えた気がした。

男:「今までそんなこと考えたこともなかったのに、してはいけない事だとわかっているのに、それでも、人を殺そうと、そう思ったんだ」

女:おじさんの表情は変わらない。変わらず、笑っている。

男:「理由はある。動機があって、目的のための手段も考えた。

男:きっと殺意もそこにはあるんだろう。

男:だが、自分では何かが変わったような気がまるでしないんだ。

男:今までと同じように生きてきたはずなのに、同じように感じ、考えた結果、その結論に至った。

男:それが、不思議な気がしてね」

女:この時私が言うべき言葉は、いったい何が正解だったのだろう。

女:「いいんじゃない」

男:「……」

女:「殺しても、いいんじゃない。

女:言ってたじゃん。人は誰かの何かを殺して生きてるって。

女:ならおじさんが、これから誰を殺すかは知らないけど、今まで通りじゃない」

男:「…そうだね」

女:「どんな理由があるのか、私にはわからないけど、おじさんが決めたことなら、いいとおもう」

男:「…そう、だね」

女:「そうだよ」

男:「君は…

男:いや、よそう。

男:そういうものと割り切ってしまえば、ただ、それだけの話なのだから」

女:「…?

女:どういうこと?」

男:「冗談だよ。私が話したことはすべて冗談だったんだ。

男:さあ、日も傾いてきた。僕はもう行くよ」

女:「え」

男:「私と出会ったことも、話したこともすべて忘れるといいよ。

男:君には君の羽がもうあるようだからね」

女:そう言い残すと、おじさんはふらりとどこかへ行ってしまった。

女:おじさんがいなくなった後も、公園は静かなまま、日差しの気配がゆっくりと消えていく。

女:私はその暖かさが名残惜しくて、おじさんのいたベンチに座った。

女:遠くでサイレンの音が聞こえた。

女:考えてみる。

女:あのサイレンは、きっとおじさんが誰かを殺したんだろう、と。

女:じゃあ、人殺しを見逃した私も、きっと共犯だ。

女:誰もが誰かを傷つけて、傷ついて、そのことに気付かないようにして生きている。

女:不意に、空を見上げる。

女:「あ」

女:ぽつりと、頬に冷たさを感じて、思わず手をあてた。

ー了ー