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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ベルエポック40-ビスマルク体制

2023.03.27 11:40

1885年、微妙な地域のブルガリアで、暴動が発生した。ブルガリアは、1878年のベルリン条約で3分割されていた。北にブルガリア自治公国、中央は東ルメリ自治州、南のマケドニアは、オスマン帝国に返還された。いずれも汎スラブ主義を掲げるロシアとの対抗である。

85年、ブルガリア統一をめざす「ブルガリア秘密中央委員会」は、東ルメリ自治州各地で蜂起を行う。そしてブルガリア公アレクサンダルは、東ルメリとの統一を宣言したのである。ブルガリア公と縁戚関係のあったイギリスは支持、ロシアは反対し、セルビア公国との戦争に勝利した。

しかし政局は不安定で、翌86年には親ロ派のクーデターで、ブルガリア公が追放され、今度はロシアが主導権を得ようとした。すると今度はオーストリア帝国が反発して巻き返しに転じる。87年にザクセン系の国王フェルディナンドが議会の承認によって選ばれ、またロシアは反発する。

露墺の対立で、ドイツが対仏に設定した三帝同盟は危機に瀕する。ビスマルクはイギリスも含めた地中海バルカンのバランサーとして、あるときはイギリスの立場でロシアをけん制し、フランスがドイツを攻撃した場合、墺帝国がロシアを攻撃した場合、は一方は中立するという複雑な協定をつくった。