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ZIPANG TOKIO 2020「東京手仕事 職人とデザイナーのコラボレーション 東京の伝統工芸品を新しく現代に創生(その2コラボ編)」

2018.05.22 14:55

江戸切子の店 華硝(はなしょう) 緻密な紋様に宿る光、そして色。
硝子は輝いてこそ、価値がある。「江戸切子の店 華硝(はなしょう)」の輝きへのこだわりは、「手磨き」という技法を選択したことに現れている。江戸切子は、色硝子を被(き)せた硝子の表面を、ダイヤモンドの刃をつけたグラインダーでカットしていくことで紋様を描き出す。カットした面には特有の輝きはなく、ここを磨くことで初めて、紋様は光を得て浮き立ち輝く。薬品で磨く「酸磨き」に対して、「手磨き」は時間、技術、労力ともに要する。2008年の洞爺湖サミットで贈呈品に採用されたワイングラスは、「米つなぎ」という精緻な紋様が刻まれる華硝のオリジナルだ。ワイングラスには、米粒のような小さなカットが256個刻まれる。高度な職人技による正確な256回のカットのあと、カットにより生まれた米粒は一粒一粒、手磨きで磨かれる。一粒を3回磨くとすれば、768回の磨きの作業が行われる計算になる。1946(昭和21)年の創業当初は、大手硝子メーカーの下請けだったが、1990年代に2代目・熊倉隆一氏が店舗を備えた工房をつくることで転機が訪れた。以来、3代目の熊倉隆行氏とともに、米つなぎ、糸菊つなぎ、玉市松などの紋様が生み出し、華硝独自の世界を作り上げている。

手描き友禅墨流し 染の高孝 一期一会、墨流し染め。
染の高孝の当主、高橋孝之さんは東京手描友禅の伝統工芸士。染料を含んだ筆を巧みに操りながら、優雅で精緻な紋様を絹地に描き出す。着物の柄付けに「千筋(せんすじ)」や「万筋(まんすじ)」と呼ばれる細かな縞模様があるが、一反12メートルほどの白生地に下書きをすることもなく、線を真っ直ぐに何本も描き入れていく。正確な職人仕事に、思わず目を奪われる。そんな高橋さんの心を奪ったのが、墨流しという染めの技法。水面に流した染料が水紋を描く一瞬を絹地に写し取るというこの技法には、必然と偶然が交差する。染料をこう動かしたら美しかろうと想像し職人の経験と勘で水面に動きをつけるのが「必然」だとすれば、意図しない水面の動きが「偶然」。時に染めた当人が、はっと胸を打たれるほどの紋様が出現することもあるという。染色工房が集積する新宿区で、父親の代から一家で染めに携わってきた。父親は刷毛で色を染める「引き染め」、弟は型紙を使う「型染め」。高橋さんは「手描き友禅」「一珍染め」そして「墨流し」で、この世に一つしか無い染めの世界を日々表現している。

扇子  雲錦堂 深津扇子店  ぱちんという音が、真面目な仕事の証。
扇子を持っただけでその善し悪しが分かるという。江戸後期より続く「雲錦堂深津扇子店」の当代、深津佳子さんの実父・深津鉱三氏は、坂東玉三郎や中村時蔵など舞扇を納める名工として知られた。ある踊りの師匠は、鉱三さんの舞扇を「持った時によい形に構えられる、踊りの腕前が一段も二段も上がった気がする」と評したそうだ。名工である鉱三氏に師事した佳子さんは、雲錦堂深津扇子店の五代目にあたる。およそ30もある扇子づくりの全工程を一人で行う。扇子を閉じた時に聞こえるぱちんという小気味よい音は、一つ一つの工程で手を抜かず、生真面目に仕事を積み上げてきた証だ。仕立てのよさはもちろんだが、扇面の洒脱さも深津さんの扇子が愛される理由の一つ。一点ものの描き絵は、叔父で日本画家の池上隆三氏が残したもの。「三社網」「毘沙門格子」「氷割(ひわれ)」「鮫小紋」「立涌(たてわく)」など江戸ゆかりの紋様を配した扇子は、江戸の粋好みを強く感じさせる。普遍的な美しさを持つ紋様だが、当代は色使いや配置の妙にその時代らしさを加えている。他の伝統工芸や現代作家とのコラボレーションにも意欲的に取り組んでおり、江戸扇子を持つ楽しさを年代や性別を超えて広く世に伝えている。

ボトル・アーマー 株式会社 忠保(江戸甲冑)海を渡る、甲冑。
日本の甲冑は形、彩りともに豊かで美しい。機能はもちろん美しさでも、群を抜くことを競った武将たちの美意識が、そこには息づいている。雄々しい前立(まえたて)や鉢に見られる兜の金工を始め、漆工、木工、皮革工芸、組紐、京織物など、あらゆる匠の技が結集する甲冑。甲冑が「総合工芸」だと言われる由縁である。創業1964(昭和39)年の忠保は、端午の節句に男児の健やかな成長を願って飾られる五月人形の甲冑づくり一筋に取り組んできた。忠保の甲冑は、入念な時代考証のもと、細部にわたって武将の美意識を再現する本物志向。鎧一つを例にとっても、5000を数える製作工程数で作られる。一つ一つの工程で、熟練の職人が美意識をカタチにしていくが、その技は今、節句人形としての甲冑ではないものに注がれている。ボトル・アーマー。酒瓶に着せ、その美を愛でる甲冑だ。受け継がれてきた伝統的な技と美意識を、意表を突く姿で、現代の暮らしに問う。企てたのは、忠保の当代・忠保の大越保広さん。そして「もっと多くの人々に日本の美意識、甲冑の美しさを知ってもらいたい」と目を向けたのが海外市場。ボトル・アーマーの開発当初は日本酒の瓶に着せることを想定していたが、海外市場に合わせてワインボトルに変更し、サイズや形状も微調整した。大越さんはボトル・アーマーを手に、海外に挑む。甲冑は、海を渡る。

江戸更紗 株式会社 二葉 海を越え、江戸更紗のロマンを伝える。
神田川と妙正寺川が落ち合う場所、落合。その水の豊かさから、新宿区落合には今も多くの染色工房が集まる。妙正寺川のほとり、閑静な住宅地にある二葉苑では、若い染色職人が忙しく手を動かす姿をガラス越しに眺めることができる。染めを体験できる教室も開かれ、着物文化が身近でなくなった現代にその文化を伝える貴重な場所となっている。二葉苑の初代・小林繁雄氏は、1914(大正3)年に長野県伊那郡から上京。江戸小紋の人間国宝として知られる小宮康助氏に弟子入りした。江戸小紋の技を修得し、他の大店でも研鑽を積んだ繁雄氏は、1920(大正9)年に自身の工房として「二葉屋」を起ち上げる。時代は東京の染色業が最も栄えた大正中期にあたり、江戸小紋、江戸更紗といった商品の生産に力を注いだという。当代の小林元文さんは四代目にあたり、代々続く江戸小紋、江戸更紗の染色、そして着物文化を伝える活動にも力を注ぐ。特に江戸更紗への思いは強く、その美しさロマンを再度、国内外へと発信し伝えている。

江戸木版画 株式会社 高橋工房 ときめきを、摺る。
版画と聞くと、美術館に飾られるような“芸術品”を想像しがちだ。しかし、そもそもの江戸木版画は、違う。町内の美人を摺った美人画は身近なアイドルのブロマイドだし、大胆な構図の風景画は旅情を誘う旅の情報誌。新版を手にした時の江戸っ子たちの胸の内を想像すれば、わくわく、そわそわ。摺りたての紙の匂い、バレンで版木の凹凸が作り出す独特の紙の表情。すべてが、刺激的だったに違いない。高橋工房は北斎や広重が活躍した江戸末期、安政年間の創業。当代・高橋由貴子さんは六代目にあたる。江戸木版画は、「絵師」「彫師」「摺師」の三者がそれぞれの工程のスペシャリストとして分業することで、美しく精巧な多色摺りを実現する。高橋工房の初代は「摺師」、そして四代目からは版元も兼ねた。版元とは、今で言う出版社のことで、江戸木版画の版元は企画・統括を行った。初代の「摺師」としての技術、そして版元としての情熱は代々継承されている。当代・高橋由貴子さんは摺師としての感性を活かして、著名な作家の作品を木版画にする事業に取り組むなど、版元としても江戸木版画の発展に力を尽くしている。江戸木版画の意匠を採り入れた団扇や扇子など、江戸っ子たちのあの“わくわく”を身近に感じ取れる小物の製作も行っている。

長澤製作所  キレのある、名品。鍛金工房
三代続く長澤製作所は、銅、真鍮を主軸に、銀やアルミの加工も行うオールラウンドの鍛金工房だ。工房には金属の板に形を与え、文様を刻んでいく大小の様々な道具がずらりと並ぶ。鈍く光る鎚、焼鈍するためのバーナー、金属の表面を剥くために希硫酸が満たされた水槽。力強く、無骨な道具類だが、これを操る手は繊細だ。長澤製作所の看板商品である、銅製急須。急須そのものの端麗さとともに、その注ぎ口の切れの良さをはじめとした実用性は、名工と称された初代・長澤金治郎さんから当代まで確かに受け継がれている。特に当代の利久さんは、当人が”神経質なくらい”というほど、美しさと機能にこだわりものづくりを行っている。時の移ろいを表現した「古美の色」は、利久さんが苦心の末に辿り着いた表現で多くの人の心をつかんでいる。時に初代がつくった銅製急須が修理に持ち込まれることもある。それほど長く愛着を持って使える名品を、長澤製作所では生み出している。

天然藍染板締ストール 藍染工房 壺草苑 ジャパン・ブルー、冴える。
ヨーロッパのウォード藍、インドのインド藍。藍は、世界各地にある。“冴えた青”と世界が称賛するジャパン・ブルーは、たで藍で染められる。たで藍の葉を発酵させた「すくも」が藍染めのもととなるが、この産地として知られるのが徳島。すくもの生産に携わる藍師(あいし)は、わずか数名で年間生産量は50キロの俵で700俵。そのうち50俵を「藍染工房 壺草苑(こそうえん)」が買い付ける。青梅市の山里に建つ壺草苑の藍瓶(あいがめ)の中では、徳島産「すくも」が灰汁、日本酒、ふすま(小麦の外皮)、石灰とともに発酵の時を静かに待っている。やがて「藍の華」と呼ばれる泡が表面に現れ出し、染め時がやってくる。ここまで二週間。この染液をつくる一連の工程を「天然藍灰汁醗酵建て(てんねんあいあくはっこうだて)」と呼ぶが、現在この方法で藍を建てる工房は非常に少ない。壺草苑を率いる村田博さんは、1919(大正8)年創業の村田染工3代目。「いつか手間ひまかけた手仕事に、もう一度光が当たる」と天然藍の染めに着手したのは、平成元年のこと。その思いは日本、そして海の向こうへ届き、ジャパン・ブルーの愛好家を増やし続けている。江戸時代「染織の里」として栄えた青梅が、再び「藍染め」で注目を集めている。

美術組紐 ブレスレット 株式会社 龍工房(東京くみひも)花の色、凜と締め。
野の花を摘むがごとく、とは言い得ている。龍工房の帯締め、帯揚げには、控えめなのに凜とした存在感がある。春を知らせるカタクリの花や、深山に咲く山スミレの花。小さく可憐だけれども、忘れ得ぬ印象を残す色が野の花にはある。「着物や帯が大輪の花なら帯締めは野の花。摘み草をするように季節の色を選び、控えめでも存在感のあるものをつくりたい」と言う龍工房の当代・福田隆さんは若い頃、染織研究家である故・山辺知行氏に師事し、色への感性を磨いた。忘れ得ぬ色、そして忘れ得ぬ締め心地は、高い審美眼を備え、高い機能性を求める梨園の人々にも愛される。キュッと締まり、ほどよく戻る伸縮性は絶妙に撚りをかけた「絹糸」と“枯れた手を持つ”と表現される熟練の職人による「組み」で生み出される。野の花の色を染めた絹糸は、職人の手で右へ左へ交差され組み上げられていく。帯締めを組む道具を「組み台」と言うが、龍工房では「丸台」、「綾竹台」、「角台」、「高台」を有しそれぞれの特長を活かした組紐を作り上げる。生糸の作成、デザイン、染色指定、用途に適した組み。すべてをプロデュース可能な工房は、都内でも唯一龍工房だけ。その力を聞きつけ、様々な組紐の製作依頼が舞い込む。世界的ヒットとなった映画『君の名は。』に登場する組紐の再現、商品化にも携わった。

 株式会社清水硝子 あの建造物の内装も手がけた、老舗工場。
清水硝子は業界でも数少ない、女性社長率いる切子工場だ。切子職人は職人歴60年以上の工場長を筆頭に9名で、生産規模も業界屈指。構成は熟練職人5名、若手職人4名で、若手4名のうち3名が女性という点も珍しい。創業は1923(大正12)年。90年以上の歴史を刻む老舗だが、自社オリジナル商品の歴史は平成に入ってからとまだ浅い。それまでは長年に亘り、高級食器を企画販売するメーカーの下請け加工を専門に行ってきた。品質への厳しい要求に応えるべく、カット研磨技術を磨いてきた清水硝子だが、2009(平成21)年にメーカーがクリスタル事業から撤退したことで大きく方向を転換。自社商品の開発に着手する。高い「技術力」と「生産力」、そして下請け加工で培った「対応力」が清水硝子の大きな強み。強みは広く顧客を集め、今では自社商品だけではなく、披露宴の引出物や記念品などのオーダーメイド製品の生産割合も増加している。東京スカイツリー®のエレベーターの壁面装飾や4Fのオブジェ・チケットカウンターに使われている江戸切子も、清水硝子の手によるもの。食器だけではなく、建材、アクセサリーとフィールドを広げながら、江戸切子を幅広い人々のもとへ届けている。

株式会社柿沼人形  京都、江戸、そして世界へ。
木目込人形の起源は、江戸時代中期の元文年間(1736〜1741年)、京都上賀茂神社にある。神官が祭事に使う柳筥(やなぎばこ)の材料の残りと、神官の衣裳の残りを使って、木彫りの小さな人形を作ったのが始まりだ。当初は「加茂人形」などと呼んでいたが、衣裳の布を木の切れ目に挟み込んで作ることから次第に「木目込人形」と呼ばれるようになった。衣裳着人形が胴体に衣裳を幾重にも着せつけるのに対して、木目込人形は桐材を糊で固めた桐塑(とうそ)で胴体の原型をつくる。人形の衣裳は胴体にぴたりと添うように木目込まれるので、胴体の姿の美しさや動きの面白さがはっきりと出る人形だと言える。柿沼人形は、1950(昭和25)年に創業した、江戸木目込人形の節句人形を手がける工房だ。二代目・柿沼東光さんは、独創的な人形づくりで数々の栄誉に輝く伝統工芸士。螺鈿の象嵌、彩色二衣重(さいしきふたえかさね)などの独自技法の追求、時代を見つめた斬新な人形づくりにも意欲的に取り組む。「節句に限らず江戸木目込人形を手にする機会を増やしたい」との思いから誕生した「招き猫」シリーズは、世界的な猫ブームに乗って勢いを増す。木目込む布地の取り合わせ、また革など新しい素材の採用で、まったく新しい江戸木目込人形の世界を創り出している。

藤本染工芸  色踊る染めに、心も躍る。
たくさんの色が重なって、独特の美の世界をつくる孔雀の羽。藤本染工芸の当代・藤本義和さんが手がける型染めには、孔雀の羽のような色の奥行きと煌めきがある。この型染めは、白生地に数十センチ四方の型紙を使って糊を付け、小さな刷毛で、色を差していく「手差し型染」という技法。数ある型紙の中から2つ、3つを選び組み合わせていくことで、新しい紋様が生み出される。組み合わせの妙もさることながら、藤本さん独特の「ぼかし染め」による色のグラデーションが、先述の孔雀の羽のような美しさを作り出す。染色師として60年以上の年月を重ねた藤本さんが到達した、独自の表現方法だ。織物の盛んな八王子で、藤本さんは織りの家に生まれたそうだ。専門学校卒業後の1954(昭和29)年、江戸小紋の石井孫兵氏に弟子入りし、技を磨く。そして十数年の修行を経て独立、八王子に工房を構えた。「型染め」のほか、日本でも数少ない「木版染め」の技を操り、今も染色の仕事に携わる。「チャレンジが好き」という藤本さんは、着物だけでなく日傘など新しい分野の染めにも意欲的に取り組んでいる。

有限会社 正次郎鋏刃物工芸 火を操り、鉄を操る。
正次郎鋏刃物工芸の当代・石塚洋一郎さんは、五代目の正次郎である。店名に「鋏(はさみ)」の一文字が入るが、遡ると初代は刀匠だ。明治の廃刀令に伴い造る刃物の姿は変わっていったわけだが、工房を訪れると「初代は刀鍛冶」という話に納得がいく。鋼を打つ力強い音が鳴り響き、真っ赤な火花が飛んで暗闇を照らす。日頃の物腰の柔らかな洋一郎さんから想像できない、男性的な力強い仕事に圧倒される。「総火造り」と呼ばれる伝統的な製法は、人が金属と火を操ることで刃物の形を成し、またその機能である切れ味を生み出す。例えば鋏の持ち手である「輪拵(わごしらえ)」。あの美しいカーブも、洋一郎さんは一塊の鉄を叩いて形作っていく。一切、型などは使用しない。実直な職人らしく、切れ味を左右する鋼をたっぷりと使って、一度手にした人が「もう他は使えない」というほどの刃物を生み出していく。「総火造り」で鋏を造るには、高度な職人技を要する。洋一郎さんはラシャ切り鋏の名人と言われた石塚長太郎を祖父に、その次男でやはり名人と言われた正次郎を父に持つ。そして名人の技は、息子である六代目正次郎、祥二朗氏に引き継がれる。工房には、親子二人の鋼を打つ音が力強く響いている。

株式会社宇野刷毛ブラシ製作所 毛の可能性を、引き出す。
屋号には、「刷毛」と「ブラシ」の二つが入っている。創業1917(大正6)年の宇野刷毛ブラシ製作所は、刷毛もブラシも製作する工房。三代目の宇野千榮子さん、三千代さん母子が力を合わせて伝統の技を守る。「刷毛」は漆刷毛のように、何かを塗るための道具として古くから作られてきた。これに対して「ブラシ」の歴史は比較的新しく、1874(明治7)年頃にフランス製ブラシをお手本に製造が始まったという。この製造に携わったのが、古くからの刷毛職人。宇野刷毛ブラシ製作所でも、先代の頃は主に刷毛づくりに携わり、徐々に時代の要請に応じてブラシづくりに着手するようになってきた。ブラシと言うと、洋服ブラシ、洗顔ブラシといった日常生活で用いるものが浮かぶが、工業用も多い。今でも、動物の毛を使わないと、うまく動かない機械もあるのだという。ところで、刷毛とブラシに使う毛は処理の仕方が違う。刷毛に使う毛が脂を抜いて“何かを塗る”という用途に合わせるのに対し、ブラシに使う毛は、毛が本来持っている「油分」や「こし」といったものを活かして、その用途に合うブラシを製作する。山羊、馬、豚、猪の動物によって油分やこし、柔らかさは違うし、同じ馬でも「たてがみ」「尾」など部位によって毛質は違う。宇野さん母子は、その毛質を見極め、毛の密度やカットの方法などに心を配り、誠実な商品作りを行っている。

畠山七宝製作所 職人技の結晶、光る。
光を湛えた色、あるいは艶のある色。七宝独特の美しさは古今東西、人々の心を魅了してきた。古代エジプトではツタンカーメンの黄金マスクにあるラピスラズリに、中世においてはキリスト教の聖具の装飾に、19世紀末に興ったアール・ヌーヴォーでも七宝の技法を用いたジュエリーは宝飾工により多数生み出された。日本へはシルクロードを通り中国から伝わったとされ、正倉院にも宝物の一つとして七宝がみられる。京七宝、尾張七宝、加賀七宝と、七宝は各地で花開き発展していくが、畠山七宝製作所の二代目、畠山弘さんは「東京七宝」の職人。メタル七宝とも呼ばれる東京七宝では、胎(たい)と言う金属のベースに硝子質の釉薬を盛り込んで紋様を描き出す。色とりどりの釉薬は800度前後の高温で焼成され、再度釉薬を盛り込み焼成する工程を繰り返し、最後に表面をわずか0.05mm磨くことにより独特の艶のある色を作り出す。アクセサリーを多く手がけてきたため、畠山さんが所有する釉薬の色数は200色ほどと多い。色彩の多彩さとともに、その職人技の高さから生み出される表現の多彩さも畠山さんの七宝の魅力だ。「透胎七宝」は、胎を穿って作った空洞に表面張力を操りながら釉薬を盛り込んで行く高度な技法。これを手がける職人は、今や畠山さんだけだ。美しい発色と卓越した表現技術で、人々を魅了し続けている。

ラタンファニチャー堀江 籐一筋、その集大成。
籐は、東南アジアにのみ生息するヤシ科の植物。日本における編祖工芸(へんそこうげい)で身近な材は“竹”だが、籐は竹にできないことが出来、さらに軽く堅牢で弾力性に富むという特長から、古くから日本でも用いられてきた。竹に出来ないこととは、「巻く」や「かがる」。例えば、中世の武将が持った「重藤(しげとう)の弓」、刀槍の柄、笛、尺八などにも籐は使われている。江戸時代には網代編みの編み笠、枕も籐で作られていた。ラタンファニチャー堀江の堀江正則さんが、この籐工芸の世界に入ったのは、まだ小学生の頃。籐を扱う親戚のもと、学校に通いながら職人の見習いをしていたという。修行当時は「籐むしろ」などを製作していたが、徐々に製作範囲は広がる。職人歴70年にならんとする今、技術は極まり、子息で二代目の正壽さん、そして孫娘へと技の伝承が始まっている。そして自らが籐職人としての「集大成」と位置づけるのが、上すぼまりの形状をした籐製バッグだ。籐製バッグのカジュアルなイメージを覆す品格は、籐を知り尽くした職人だからこそ実現できたものに相違ない。籐一筋に生きる職人の、あらゆる経験と技が詰まっている。

有限会社 印伝矢部 東京唯一の、印伝。
インドから伝来したことから、“印伝”と呼ぶようになったと言われている。型紙で模様を施した革は、鹿を使う。鹿皮は手になじみ、強度もあることから戦国時代から武具の一部にも使われていた。燻して模様をつける燻(ふすべ)や更紗技法もあるが、現在は漆で模様をつける技法が主になっている。粋を好む江戸でも印伝は広く愛され、東京にも印伝をつくる工房は数軒あったそうだ。印伝矢部は、印伝伝統工芸士に認定された職人のいる、東京では唯一の工房だ。1924(大正13)年の創業から、100年近くの時を親から子へと三代に亘って印伝一筋に繋いできた。印伝矢部のものづくりは、企画、デザインから始まるが、その大きな特長は、江戸好みのシックな配色にある。目に鮮やかな配色がされている作品も中にはあるが、その中にあって黒漆などモノトーンの作品は目を引く。長く大事に使って愛着を深めて欲しいとの思いから、耐久性を意識した誠実なものづくりも、その特長だ。

有限会社 湯島アート  砂子師は煌びやかに、日常を加飾する。
襖絵は、日本独自の芸術でありインテリアだ。日本人は、建具の一つである襖に山水画や人物画、花鳥画、走獣画など様々な題材を描くことで、空間を彩り楽しんできた。湯島アートは、この襖への装飾を手がける工房だ。金箔、銀箔、そして金銀箔を細かな粒子状にした砂子(すなご)、いわゆる金銀砂子細工などの加飾技法を操る職人を砂子師と呼ぶ。湯島アートの歴史は、初代が神田の砂子職人のもとで修行し、明治時代の半ばに湯島で開業したことに始まる。上野が近い土地柄もあり、初代は日本画の大家、横山大観ら美術学校の先生方との交流を深め技や美意識を磨いてきた。二代目、そして当代である三代目は日本伝統工芸士として認定を受け、襖紙の加飾工芸の技術継承を担う。金銀箔を細かく砕いて蒔く「金銀箔砂子紙」、金銀箔を擦り砕いた泥を刷毛で引く「泥引き紙」、砂子を始め、刷毛を使う刷毛引き(はけびき)、一度色を塗った紙から櫛目のついた道具で色を擦り取り文様を描く「櫛引紙」など、手がける加飾の技法は数多い。加飾技法は対象を襖紙に絞らず、現代の暮らしに溶け込む様々なオリジナルの紙製品に応用されている。

小熊素子染織工房 慈しみ、染め織る。
小熊素子染織工房は、染めと織りを手がける染織の工房。染めは草木染めで、中でも「薔薇染」という自身の庭の薔薇を使った染色はオリジナルだ。花びら、枝、使う場所、採取した季節によって、様々な色に糸は染まるのだという。小熊素子さんが染織の道を志したのは、20歳の頃。美術学校卒業後、繭を紡ぎ草木で染める「郡上紬」で知られる「郡上工芸研究所」へ入所し、人間国宝・宗廣力三氏に師事する。二年間余りの住み込み修行の後、独立。そして探求心は染色法だけでなく、糸にも向かう。小熊さんは経糸(たていと)には細い生糸で撚糸した真綿糸を、緯糸(よこいと)には真綿糸を使う。そしてこの糸を、譲り受けた大島紬の高機(たかばた)で織る。繭から糸を取り出す過程で捨てられる「生皮芋(きびそ)」「玉糸(たまいと)」も、小熊さんの手にかかれば一枚の美しい布に姿を変える。「世の中に無駄なものなどない」と考える小熊さんの、素材を見る目は温かい。




 東京都及び(公財)東京都中小企業振興公社では、現代の消費者が求める伝統工芸品 の新商品開発や国内外の販路開拓を支援する「東京手仕事」プロジェクトを平成27年 度より実施しています。 このたび、伝統工芸の職人とデザイナーの協働により平成29年度に開発された商品 を初披露するとともに、本プロジェクトの支援商品を展示・販売する「東京手仕事展」 を開催します。 手仕事の技が光る様々な商品がご覧になれます。


「東京手仕事」プロジェクトとは

東京の伝統工芸品は、進取の精神に富む江戸職人の匠の技と心意気によって、磨かれ、洗練され、 そして庶民に愛されて連綿と受け継がれてきました。「東京手仕事」は、そんな伝統の技に光を当て、 匠の繊細な「手仕事」の魅力を国内外に発信していく取組。
その粋な味わい、優れた機能性・日常性を広く知らしめ、東京らしい感性溢れる新しい 工芸品にもチャレンジし、伝統工芸品に囲まれた潤いある豊かなライフスタイルを提案。

商品開発

伝統工芸品事業者とデザイナー等で開発チームを結成し、海外での需要も視野に入れた高品質で デザイン性の高い新商品を開発。

普及促進

プロモーション活動の実施や国内外での展示会出展等により、伝統工芸品等の新たな販路を開拓するとともに、東京の伝統工芸品のブランド価値を高め、国内外への普及を支援。
(上記開発支援商品に加え、既成の商品も支援対象としています。)

2015年マッチング会の様子。


マッチング会結果報告

平成29年度のマッチング会は終了しました。

製作者とデザイナーがお互いのアイデア等を交換しあうなど、開発チーム組成のためのコミュニケーションの場として、以下の日程でマッチング会を開催しました。
1回15分という短時間での面談となりましたが、製作者の方もデザイナーの方も熱心にお話しをして頂き、多くの方と交流していただけました。
東京の新たな伝統工芸品が生まれるきっかけになると思うと、参加者の期待もふくらみ、会場は熱気であふれていました。

マッチング会では、製作者ごとにブースを設け、デザイナーの方に各ブースを訪問していただきました。デザイナーの方からは、どのような思いでプロジェクトに参加したのか、プロジェクトにかける意気込み、プロジェクトで取り組みたいことや提案について、また製作者の方からは商品の特徴や伝統的な技術・技法等について、お話しいただきました。 

●当日ご用意いただいたもの

製作者の方…ご自分の商品(現物が難しい場合は写真)、お持ちであればパンフレット等。 デザイナーの方…本事業で取り組みたいこと、実績等(PRシートに記載いただいたもの等)。 

2017年マッチング会の様子。パーテーションで2015年に比べ話しやすい雰囲気に改善されている。


〈参加者の声〉

制作者

●沢山のクリエイティブなデザイナーの皆さんとお話が出来、その発想力に刺激を受けました。
●短時間でデザイナーの方と面談をするので、既にデザイン案をお持ちになられていた方が、話が進めやすいです。
●製作している製品を知ってもらうこと、どんな技術を商品開発に活かしたいかを伝えることを考え、意見交換しました。

デザイナー

●マッチング会で製作者とデザイナー双方の考えがはっきりとし、プロジェクトを進めやすくなっていると感じました。
●マッチング会でどういう事ができるか、やってみたいかを共有し、そこから企画案などを考えるようにしています。
●短時間での説明でも真摯にこちら(デザイナー)の提案を聴いてくださって、良かったです。



「東京手仕事」商品発表会(事前申込制※)

会 期:平成30年5月29日(火曜日) 13時30分から16時(展示は18時まで) 

会 場:日本橋三井ホール (中央区日本橋室町2-2-1 COREDO室町5F) 

内 容: ・東京手仕事プロジェクト29年度開発商品の 商品発表及び表彰式 ・職人とデザイナーによる商品プレゼンテーション ・東京手仕事プロジェクト支援対象商品の展示 

※ 参加ご希望の方は、事前にお申込みください(先着順、100名を予定)。
なお、お申込みが完了した後、主催者より招待通知を事前に送付。申込者多数の場合は先着順。
お申し込み方法は、前号(伝統工芸編その1)をご参照ください。


これまでの受賞作品ー覧

昨年度都知事賞を受賞した「藤と和紙のうちわ」。
機能的に涼しくすごしませんか?インテリアにもおすすめ。
軽くあおいだだけで、豊かな風量。 独特の籐のしなりが、 竹で骨組みをつくった従来の団扇を あおいだ時とは、まったく違う風を起こす。 扇部には優しい風合いの和紙が貼られているが、 これは無形文化遺産細川紙。 手漉き和紙の向こうに透けて見える籐の骨組みは、 扇部の形状に合わせて渦を 巻くように成型されている。 団扇といえば扇部の骨組みは 放射状になっているものだが、 これが渦巻き状なのは新しい。 実はこの意匠を実現するために、 これまでの籐家具とは 違うつくり方を試行錯誤する必要があった。 骨組みだけではなく、 柄に巻いているのも籐。 籐は表面に硝子質を持つため、 触れたときに涼感がある。 また籐は刃物の持ち手に使われるように、 滑りにくいという性質がある。 一本一本職人の手により細く薄く加工した 籐が巻かれた柄はグリップ感に優れ、 涼感も誘うという機能も持つ。 風量が大きな「六角」タイプ、 ころんとかわいらしい形の「丸」、 コンパクトな「角」の3タイプを用意している。

昨年度の受賞商品「玉盃 ながれ」。酒を注ぐと盃の中に球体が現れる不思議な盃
銀のすべてを知る、総合メーカー。 創業は、1927(昭和2)年。森銀器製作所は、銀の老舗総合メーカーである。そのキャッチフレーズは、「銀の爪楊枝から、金のお風呂まで」。これは比喩ではなく実際に手がけた商品や仕事で、金のお風呂は東京オリンピックの1964(昭和39)年に純金200キロを使い2年がかりで製作したそうだ。金額の大小だけでなく、手がける仕事のフィールドも幅広い。宮内庁御用達品から、根付けやアクセサリーなどの装飾品、ぐい呑みやカトラリーなどの和洋食器、仏具、競技メダルとあらゆる銀製品を製作している。製作だけでなく銀の溶解、圧延の設備も備える都心唯一の工場として、同業者との取引も行う。当代の森將さんは、五代目に当たる。初代は父である森善之助氏。古くから銀器製造が盛んだった下谷に生まれ、銀座の名工・田島勝之助氏に師事した後、鍛金師として独立したのが森銀器製作所の始まりだ。金のお風呂を製作していた頃、当代は中学生だったそうだが、あの頃の工場の活気は忘れがたいと言う。銀製品をもう一度、多くの人に届けて、その美しさや機能に触れて欲しいとの思いから、様々な銀製品の開発にも挑む。他の伝統工芸品とコラボした商品で、銀製品、伝統工芸品に勢いを取り戻すべく奮闘している。

「PLANTS BRUSH」インテリアになる、ブラシ。
箪笥や引き出しにしまってしまうことの多いブラシが、 洗練されたデザインを手に入れて 表舞台に飛び出してきた。 「PLANTS BRUSH」の名の通り、 見立ては植物。 手植えされた馬の毛が植物で、 持ち手にもなるタモ材の木枠が植木鉢。 自立するので、使い終わったらブラシを置くだけで 道具がインテリアになってしまう。 サイズは3つ用意しているが、 例えばいちばん大きなLサイズを玄関に置けば、 帰宅時に洋服のホコリや花粉などを手早く払うのに便利。 Sサイズはデスクに置いて、 キーボードなどのホコリ取りに使ってもいい。 馬の毛には化学繊維に比べて、 静電気が起きにくいというメリットもある。 インテリアとして飾っている時も、 例えば植木鉢の形をした持ち手を飾り台と考えて、 エアープランツのようなグリーンを置いても楽しい。 遊び心のある道具が、 掃除さえも楽しい時間に変えてくれる。

【墨流し染め】で、オリジナルの浴衣。
「墨流し」は千年ほど前に日本で発祥し、その後中国からインド、ペルシャを経て「マーブリング」としてヨーロッパに伝わったとされる染織方法です。

「イロかご」一千色を操る、神の手。
四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃ・ひゃくねずみ)。江戸時代後期、幕府が出した奢侈禁止令(しゃしきんしれい)の下、庶民が身につけるものの色は、「茶色」「鼠色」「藍色」に限定される。しかし、そんな統制下でも洒落を競ったのが、江戸っ子。その心意気が、茶色、鼠色を多彩にし、”四十八茶百鼠”といわれるほどのバリエーションを生み出した。四季のある国に暮らす人々の”色”への感受性の豊かさもあっただろう。先の四十八茶百鼠を含め、日本の伝統色には、一千余りの色数があると言われる。1951(昭和26)年創業の近藤染工は、この多彩な日本の伝統色を自在に操る「東京無地染」の染色工房。染色機からは、もうもうと湯気が立ち上り、その前を色の見本帖を手にした二代目・近藤良治さんが、生地の染まり具合を確認しながら動き回る。見本帖の色にピタリと合う色は、赤、黄、青、緑、黒のたった5色の調合で作り出す。一千色を染め分けられる手は、まさに神の手。その神の手を頼り、白生地以外の素材を染めて欲しいというオーダーも増えてきた。その技術、経験でこれまで色を持たなかった素材にも色が与えられている。

「東京音景」唐木仏壇、新たな道を拓く。
仏壇は、木工、金工、漆工、表具など様々な職人が関わり、その技を競うことから工芸の総合芸術と言われる。また、その土地で豊かに個性を発展させてきたため形や大きさが様々あり、非常に地方色豊かであるといえる。各県にその土地の仏壇があるわけだが、種類を大まかにいうと漆塗りや金箔が施された”塗り仏壇(金仏壇) “と、木材の質感を活かした”唐木仏壇(からきぶつだん)”の二つに分けられる。東京の仏壇は、粋好みを反映した”唐木仏壇”。唐木とは、黒檀、紫檀などの堅く希少な木で、釘が通らないほど堅い。削るための鉋(かんな)の刃も直角に立っているなど、道具も独特だ。釘が通らないので組み立てには、指物の技を使う。ゆえに、加工には高い技術を要する。福田木工所の福田宏さん、織田唐木仏壇製作所の織田清春さんは、長年この唐木と格闘し腕を磨いてきた。そして60年近く仏壇づくりで培ってきた技と経験を、暮らしの身近なものづくりに活かしたいと思いを一つにしている。二人のチャレンジは、東京仏壇の新しい道を切り拓いている。

「明かり 江戸からかみ」 江戸からかみに、再び光をあてた立役者。
台東区東上野に、美しい江戸からかみを存分に楽しめる場所がある。ここは、東京松屋のショールームを兼ねた店舗。2階には江戸からかみを用いた襖や屏風の見本が並び、また1階では一筆箋や祝儀袋など日常に採り入れられる江戸からかみの商品も購入できる。東京松屋の創業は、1690(元禄3)年。初代・松屋伊兵衛氏は、絵双紙などの出版物を扱う地本問屋(じほんとんや)として商いを始めた。その後、紙を扱うようになり、幕末から明治にかけては経師屋、表具師が使う紙類を中心に、襖紙、障子紙、掛軸の表装用の金襴・緞子などの裂地、襖榾(ふすまほね)、椽(ふち)、引手、錺(かざ)りなど金物専門へと商いの柱を移していく。江戸からかみは、戦中、戦後の混乱と需要の変化の荒波に揉まれ、東京松屋でも一時取扱いを中断していた経緯がある。これを当代・伴利兵衛さんの強い思いで1992(平成4)年に復興。創業300年の節目に相応しい大事業により、393点の手漉き和紙、手摺りの江戸からかみを収録した見本帖『彩(いろどり)』が発行された。以来、版元和紙問屋として江戸からかみの技を持つ職人と連携し、美しい世界に魅了された顧客のオーダーにも応えている。

Harekiriko
晴れ着を着た、江戸切子。 瑠璃色を被せた切子は「七宝」、 赤色を被せた切子は「菊繋」、 紫を被せた切子は 「十草」の伝統文様の晴れ着を着ている。 どの文様も通常の江戸切子よりも 大きめにカットされていて、新鮮な印象だ。 グラスの中央にすっと真横に入った 磨りガラスの部分は、 晴れ着に締めた帯のイメージ。 高さ6センチの小さなサイズなので、 手のひらにちょこんと載るのが なんともかわいらしい。 日本酒をいただくのに、 ちょうどいいサイズとデザインだが、 アイデア次第で様々に使える。 例えばアイスクリームを入れる器として、 冷やした葡萄を数粒入れる器として、 あるいは花一輪を活ける花器として。 明るいカラーと愛らしいフォルムの江戸切子は、 日常の様々なシーンで 気兼ねなく使っていただける。

般若心経バングルブレスレット
般若心経262文字が刻印された、 純銀製のブレスレットだ。 その輝きや性質から、 古来より神聖なものとして扱われてきた銀。 汚れなきイメージに 般若心経が組み合わさることで、 このブレスレットの魅力も高まった。 小指側の手首から、ブレスレットの開口部を 手首の半分くらいまでかませ、 くるりとブレスレットを回転させると 簡単に装着できる。 内側に刻印された般若心経は隠れるが、 まさに身についてかえって 守られているような安心感が生まれる。 打刻印用の原型製作において一文字は、 2ミリ四方の中に刻まれている。 大変な集中力と時間を要す作業であり、 16文字を彫るのに1日がかりだったという。 外側には美しい鎚目が施され、 落款が金貼りされている。 またシリアルナンバーも、 小さく刻印されている。 デザインはシンプルなので、 男女問わず身につけられる。 毎日身につけて、 このブレスレットが醸し出す 独特の安心感を味わっていただきたい。  

「ことわざさむらい」人の心を映す、小さき者
松崎人形は、「江戸衣裳着人形」と「江戸木目込人形」の両方を手がける珍しい工房だ。創業は、1920(大正9)年。当代の松崎光正さんは、松崎人形の三代目で、雅号を「幸一光」と名乗る。美術大学で彫刻を学んでいた光正さんは、人形の頭(かしら)も手がける。人形は分業で作られることが多く、頭と胴の両方を手がけるのも珍しい。頭は桐材を彫刻する工程から始まり、胡粉(ごふん)を何度も塗って原型を作る。それを型取りし、石膏または素焼きの頭の生地を製作。最後に生地に胡粉を塗り、面相を施して完成させる。ふっくらとして上品で愛らしい形、愛嬌のある目鼻立ちは、松崎人形の“顔”とも言える特長だが、これらの世界感は光正さんの手により作り出されている。「江戸衣裳着人形」は、文字通り衣裳を着た人形だが、衣裳の紋様のデザイン、縫製、着付けも独自の工夫ですっきりと美しい姿に仕立て上げる。節句人形など伝統的な人形だけでなく、現代の暮らしに新しい風を運ぶ創作にも挑む。掌におさまる小さな人形のシリーズには、人形作りの伝統的な技と新しい提案が息づく。人形は、ものであって、ものでない。自身の分身であったり、大切な人を投影して眺め大事にするもの。人形に対しての強い思いが、創作の源泉。職人が手を動かす工房には、20代、30代の若手も数多い。

江戸切子 金魚  孤高の、切子。
江戸切子の、新しい世界を切り拓く作風。但野硝子加工所の二代目である但野英芳さんの江戸切子には、独特の世界感がある。モチーフは、冬の樹木、金魚、スカル、スパイダーなど景色や生物。これを様々なダイヤモンドホイールを駆使して、絵を描くようにカットしていく。ルネ・ラリックのレリーフを彷彿させるが、透きガラスだけではなく、赤や瑠璃の色硝子を被せたガラスの色を活かしながらカットするところが、ラリック以上に豊かな世界を描き出している。金魚をモチーフにした江戸切子を例にとると、尾ひれの赤い硝子を残すところと削るところをつくることにより、尾ひれに透明感が出て金魚が水の中を泳いでいるような効果を生み出している。但野英芳さんは、設計事務所勤めを経て江戸切子の職人になったという。但野硝子加工所を興した父・孝一さんとともに仕事をしたのは、わずか2年半。その後は、ほぼ独学でカットの技術を身につけた。厳しく孤独の道のりであっただろうが、その時間が独自の作風を生み出したのかもしれない。孝一さんが遺してくれたダイヤモンドホイールをはじめとする多くの道具も、独自の作風を支えている。

扇面を開くと現れる、 江戸っ子好みの粋な紋様。
「毘沙門格子」は、 神楽坂の毘沙門天にちなんだ紋様。 「鮫小紋」は、代表的な小紋柄。 雅で華やかな京扇子に対して、 粋で洒脱を身上とする 江戸扇子の姿は潔い。 扇子を閉じた際に、 パチンと小気味良い音を聞かせてくれるのも、 また潔い。 扇子づくりには30 ほどの工程がある。 分業制の京扇子に対し、 江戸扇子はすべての工程を職人一人で行う。 一つ一つの作業を 丁寧に積み重ねて行かなければ、 この小気味良い音は生まれない。 確かな技を持つ扇子職人は、 今や数えるほど。 「雲錦堂 深津扇子店」は、当代で五代目。 確かな技と美意識を継承する。 江戸っ子好みの紋様も、 今の感覚に合った色彩で仕立て上げる。 白竹、唐木染竹(からきそめたけ)、煤竹、 煮黒竹など扇骨が変わると、 同じ扇面でもがらりと印象が変わる。 風を起こすための道具でありながら、 奥深い楽しみが江戸扇子には潜んでいる。  

歌舞伎タオル マフラータイプ
タオル地に染まった、鮮やかな歌舞伎の意匠。 首に巻くと顔周りがぱっと明るくなり、 柔らかな風合いは肌に心地よい。 タオル地は、愛媛が誇る今治のタオル。 中でも特に柔らかく織られた生地を使っている。 今治のタオルは、吸水性に富み乾くのも早い。 故にこれに柄を染めるというのは、 歌舞伎の舞台衣裳を染め続けてきた 老舗の職人をもってしても 至難の技だった。 歌舞伎の定式幕をモチーフにした、 三色のぼかし染め、三人吉三は「引き染め」。 勧進帳、道成寺、鷺娘の人気演目をデザインしたものは 「型染め(シルクメッシュ染め)」。 通常の染めでは「伸子」と呼ばれる道具で 生地をぴんと張り染めるが、 織り目の粗いタオル地ではこの道具も使えない。 洗濯しても色落ちしないなど普段の使用に耐えるよう、 染料も舞台衣裳とは違うものを使う。 百戦錬磨の舞台衣裳の染め工房が培ってきた 経験・技術があってこそ実現した新しい染めだ。 人気演目に因んだ意匠には 隠し文字がデザインされているなど、 遊び心も楽しい。

「ボトル・アーマー」海を渡る、甲冑。
日本の甲冑は形、彩りともに豊かで美しい。機能はもちろん美しさでも、群を抜くことを競った武将たちの美意識が、そこには息づいている。雄々しい前立(まえたて)や鉢に見られる兜の金工を始め、漆工、木工、皮革工芸、組紐、京織物など、あらゆる匠の技が結集する甲冑。甲冑が「総合工芸」だと言われる由縁である。創業1964(昭和39)年の忠保は、端午の節句に男児の健やかな成長を願って飾られる五月人形の甲冑づくり一筋に取り組んできた。忠保の甲冑は、入念な時代考証のもと、細部にわたって武将の美意識を再現する本物志向。鎧一つを例にとっても、5000を数える製作工程数で作られる。一つ一つの工程で、熟練の職人が美意識をカタチにしていくが、その技は今、節句人形としての甲冑ではないものに注がれている。ボトル・アーマー。酒瓶に着せ、その美を愛でる甲冑だ。受け継がれてきた伝統的な技と美意識を、意表を突く姿で、現代の暮らしに問う。企てたのは、忠保の当代・忠保の大越保広さん。そして「もっと多くの人々に日本の美意識、甲冑の美しさを知ってもらいたい」と目を向けたのが海外市場。ボトル・アーマーの開発当初は日本酒の瓶に着せることを想定していたが、海外市場に合わせてワインボトルに変更し、サイズや形状も微調整した。大越さんはボトル・アーマーを手に、海外に挑む。甲冑は、海を渡る。

「サケワインクーラー」絵になる姿で、水も漏らさぬ。
姿の美しい桶。木曽さわらの木肌と洋白銀の箍(たが)の二つの素材しかないのに、時間を忘れて見惚れる美しさがこの桶にはある。桶栄(有限会社桶栄川又)は、1887(明治20)年に東京の下町、深川に開業した。初代・川又新右衛門氏が作る飯櫃(めしびつ)と桶は、形の美しさと丈夫さに定評があり、多くの料亭が挙って求めたという。そもそも桶とは、風呂桶、手桶、寿司桶、飯櫃、酒樽など様々な場面で使われていた容器。その技術を持つ職人「結桶師(ゆいおけし)」は、桶の種類ごとに専門に分かれていた。江戸のお櫃には蓋があり、江戸櫃と呼ばれて他の飯櫃と区別されている。蓋と身がピタリと合う技術がなければ結えない江戸櫃の結桶師は、桶職人の間でも一目置かれる存在だったそうだ。桶栄の四代目となる当代・栄風さんは、その江戸櫃の技と桶栄の美意識を受け継ぐ。樹齢300年余の天然木曽さわらの丸太を玉切りした後、「くれ」と呼ぶ鉈(なた)で割り製材する工程から仕上げるまでを一人で行う。現代の暮らしが求める桶も結うが、ワインクーラーはその一つ。時間を忘れて見惚れる美しさと水も漏らさぬ確かな技術が、初代から変わらぬ桶栄らしさを物語っている。

「手描き友禅墨流し」一期一会、墨流し染め。
染の高孝の当主、高橋孝之さんは東京手描友禅の伝統工芸士。染料を含んだ筆を巧みに操りながら、優雅で精緻な紋様を絹地に描き出す。着物の柄付けに「千筋(せんすじ)」や「万筋(まんすじ)」と呼ばれる細かな縞模様があるが、一反12メートルほどの白生地に下書きをすることもなく、線を真っ直ぐに何本も描き入れていく。正確な職人仕事に、思わず目を奪われる。そんな高橋さんの心を奪ったのが、墨流しという染めの技法。水面に流した染料が水紋を描く一瞬を絹地に写し取るというこの技法には、必然と偶然が交差する。染料をこう動かしたら美しかろうと想像し職人の経験と勘で水面に動きをつけるのが「必然」だとすれば、意図しない水面の動きが「偶然」。時に染めた当人が、はっと胸を打たれるほどの紋様が出現することもあるという。染色工房が集積する新宿区で、父親の代から一家で染めに携わってきた。父親は刷毛で色を染める「引き染め」、弟は型紙を使う「型染め」。高橋さんは「手描き友禅」「一珍染め」そして「墨流し」で、この世に一つしか無い染めの世界を日々表現している。

「天然藍染板締ストール」 ジャパン・ブルー、冴える。
ヨーロッパのウォード藍、インドのインド藍。藍は、世界各地にある。“冴えた青”と世界が称賛するジャパン・ブルーは、たで藍で染められる。たで藍の葉を発酵させた「すくも」が藍染めのもととなるが、この産地として知られるのが徳島。すくもの生産に携わる藍師(あいし)は、わずか数名で年間生産量は50キロの俵で700俵。そのうち50俵を「藍染工房 壺草苑(こそうえん)」が買い付ける。青梅市の山里に建つ壺草苑の藍瓶(あいがめ)の中では、徳島産「すくも」が灰汁、日本酒、ふすま(小麦の外皮)、石灰とともに発酵の時を静かに待っている。やがて「藍の華」と呼ばれる泡が表面に現れ出し、染め時がやってくる。ここまで二週間。この染液をつくる一連の工程を「天然藍灰汁醗酵建て(てんねんあいあくはっこうだて)」と呼ぶが、現在この方法で藍を建てる工房は非常に少ない。壺草苑を率いる村田博さんは、1919(大正8)年創業の村田染工3代目。「いつか手間ひまかけた手仕事に、もう一度光が当たる」と天然藍の染めに着手したのは、平成元年のこと。その思いは日本、そして海の向こうへ届き、ジャパン・ブルーの愛好家を増やし続けている。江戸時代「染織の里」として栄えた青梅が、再び「藍染め」で注目を集めている。

着物文化の、粋を集めた日傘。 「四季の日傘」は、江戸小紋の表現技法で 最高峰と言える「両面染」を用いた日傘だ。 江戸小紋は、染料を混ぜた色糊を用いて染める。 1ミリに満たない厚みの絹布に、 染料が裏に響かないよう、 表面、裏面を染めるのが「両面染」。 肝となる色糊の調合には、 熟練の経験と技を要し、 今や数えるほどの職人しか手掛けられない。 「両面染」の着物の場合、 裏の紋様は裾や袂から チラリと見えるところが洒脱とされる。 「四季の日傘」は、 これを文字通り日の当たる場所に引き出し、 新しい景色を作り出した。 例えば表地に柳、 裏地に燕の型染めをした「春」。 日傘を開くと、染め分けられた表地と裏地は 日に透け一体となり、 風に揺れる柳葉の向こうに 燕が群れ飛ぶ景色が現れる。 表地の柳も数型用いるなど、細部に凝った。 傘を閉じると、 日本人が古来より作り上げてきた 配色方法「襲(かさね)の色目」を イメージしたグラデーションが現れ、 洋装で持ってもさりげなく 着物文化を伝える。  

「四季の日傘」染めるのは、型にはまらぬ洒落心。 
武士の裃(かみしも)の柄染めが始まり、という江戸小紋。その歴史は古く、ゆうに400年を超える。遠目に見ると無地に見えるほどの細かい柄は、平和な時代の武士が「さらに細かく」と競い合う中で「極鮫(ごくさめ)」、「菊菱(きくびし)」など数々の意匠が生み出されてゆく。江戸中期になると豊かになった市井の人々も小紋を着るようになり、花鳥風月など様々なものをモチーフにした型紙が多数作られ発展していく。富田染工芸は、1914(大正3)年に創業した江戸小紋・江戸更紗等の染め工房。染色業が集まる新宿区の工房は、「板場」や、染めた生地に色を定着させる「蒸し箱」も昔ながらの形で残り、風情を感じさせる。歴史のある工房らしく収集した伊勢型紙の数は、江戸小紋、江戸更紗をあわせると12万枚にも及ぶ。型紙の中にはモダンな感覚のものも多い。富田染工芸の五代目・富田篤さんは、現代の暮らしに添うスカーフや日傘なども江戸小紋や江戸更紗の型紙を使って染め提案する。東京オリンピック・パラリンピック公式グッズとして話題をさらった「風呂敷クロス」も、富田染工芸の手によるもの。着物文化の域を超え、武士、江戸っ子たちの洒落心を今に伝えている。

三味線と聞くと、伝統芸能の世界に関わる人の特別な楽器と思われがち。ところが江戸時代の三味線は、誰でも気軽に弾ける大衆楽器。誰かがペンと弾けば、その場に集う仲間たちと歌合戦が始まるといった親しみやすい伴奏楽器だったそうです。
革新する、三味線。 これほどのイノベーションが、 三味線400 年の歴史にあっただろうか。 極限まで絞ったそのコンパクトなフォルム、 皮革に代わる素材の発見と採用、 オリジナルに開発した接着剤。 「shamisen.」には、新鮮な驚きが溢れている。 従来の三味線に対し、 そのサイズは長さで4分の3、厚さで3分の1。 これだけスリムに形を変えながらも、 音は極めて、本格志向だ。 音響膜には工業用の特殊ナイロンを採用。 独特の音色と響きを継承するために、 従来と変わらぬ張力をかけている。 ピンと張った音響膜を 胴にしっかりと固定するためには、 既存の接着剤では事足りず、 接着する素材同士の特性を見極めながら オリジナルの接着剤を開発するに至った。 初めて「shamisen.」を手にした人も、 奥深い三味線の世界を充分に味わえる。 簡単な曲の譜面も、一つ用意されている。 美しいシルエットは 現代の生活にもすっと溶け込み、 専用のスタンドに立てれば インテリアとしても楽しめる。


これまでの受賞商品(デザイナーと職人・匠のコラボレーション)



「東京手仕事展」(入場自由)

会 期:平成30年5月30日(水曜日)~6月12日(火曜日)
会 場:日本橋三越本館5階 (中央区日本橋室町1-4-1) 
内 容:
・東京手仕事プロジェクト29年度支援対象商品の展示販売
・プロジェクト取組過程や職人のこだわりどころなども わかりやすく紹介 

三越日本橋受賞作品展示イメージ

三越日本橋受賞作品展示イメージ

歌舞伎座にて展示開始

歌舞伎座にて「東京手仕事」の平成28年度開発商品の展示を開始いたしました。


伝統工芸品の商品開発・普及促進支援事業

年間活動計画

普及促進スケジュール

平成29年度に採択された9商品と、平成28年商品開発により生まれた10商品を新たに普及促進対象に加え、下記スケジュールにてテストマーケティングや展示会出展を行い、国内外への販路開拓・PR等の支援を行う。


 特集

文化財修復が開く、創作の扉。

百段階段・十畝の間。天井、襖仕立ての鏡面に荒木十畝による花鳥画が描かれる室内を螺鈿細工の装飾が彩る。長い年月の間に貝が剥がれ落ちている箇所が増え目立ってきていた。


挑戦続きの、4年間。
螺鈿とは、夜光貝・オウム貝・アワビ貝など貝殻の真珠色の光を放つ部分を切り、漆器などの表面にはめ込む装飾のことを言う。この時、漆の接着力を使って貝を貼るが、はめ込まれた貝は光の当たり方により虹色に変化しとても美しい。十畝の間の格天井(ごうてんじょう)・長押(なげし)・廻り縁・框(かまち)にはその螺鈿細工が施されているが、製作から長い年月を経て、はめ込んだ貝が浮いたり落ちたりしてきてしまっていた。安宅さんによると、修復には文化財修復ならではの難しさや苦労があったそうだ。 「文化財の場合は、なるべく昔の姿を残さないといけません。貝が割れていても取り除いて新しいものにするのではなく、活かさないといけないのです」。貝をすべて取り除いて一から新しい貝をはめた方が仕事も早いし仕上がりも美しいが、それをしてはいけないのだそうだ。「浮いてきた貝は白く見える。黒漆で接着してあげると貝の色が鮮やかに出るようになりますが、漆は温度と湿度が一定程度ないと乾かない。冬場は特に暖房で湿度が不足するので、なかなか乾かなくて苦労しましたね」。漆を塗って貝を貼り、あて木をして押さえ、漆が乾くまで置くという作業を繰り返し行っていったそうだ。そしてこの作業を、早朝から一般の見学客が入る前までの間に終えてきたと言う。

百段階段を、修復する。
“昭和の竜宮城”と呼ばれ、豪華な装飾で知られた目黒雅叙園。2017年4月、施設名称はホテル雅叙園東京へとリブランドしたが、館内には創業時から受け継ぐ、絢爛豪華な絵画や彫刻が残る。著名な画家が天井や欄間に絵筆を揮った7つの部屋を99段の長い階段廊下がつなぐ、通称「百段階段」は館内唯一の木造建築で、1935年(昭和10年)に建てられた。その見事さと文化的価値から、2009年(平成21年)に東京都の有形文化財に指定されている。 7つの部屋のひとつ十畝の間(じっぽのま)は、日本画家・荒木十畝(あらき・じっぽ)による四季の花鳥画が描かれる重厚な造りの部屋。黒漆の螺鈿細工(らでん・ざいく)が随所に見られるこの部屋で、今年の9月まで4年間かけて修復作業が行われていた。修復に携わっていたのは、安宅漆工店の安宅信太郎(あたか・しんたろう)さん。建築漆工として数々の名建築に携わってきた経験と腕を買われてのことだ。

 国産の漆を使い床の間の板を拭き漆で仕上げる。ヘラを使い木地に漆を刷り込み拭き取る。依頼主が希望する仕上がりに合わせるが、安宅さんはこの作業を最低6回は繰り返し木目の美しさを引き出す。

4年間の実りを、創作に。
修復作業は苦労も多かったが、昔の職人の仕事に感心させられたり、驚かされることもあるなど発見も多かったそうだ。「いい仕事をしている職人は漆をたっぷり使っているから下地が丈夫。見えないところを適当にやってしまうと年月経つと違いが出てしまいます。漆を使った表現も、どうやっているんだろうと思うような珍しいものもありましたが、本当に丁寧に段階を踏んでやっていることがわかりました。色々勉強させてもらいましたよ」。 建築漆工として日本建築の床の間、上がり框、柱などに漆塗りを施すのが安宅さんの本来の仕事。安宅さんは、その他の場面でも多くの人に漆の奥深さを知ってもらいたいと現代の暮らしの中で使える花器、食器などの創作も意欲的に行っている。昔の職人の素晴らしい仕事に触れる機会は、今後の創作への刺激にもなっている。安宅さんの手から、新たな表現方法、新たな漆作品が生み出されてくる。

 夜明け前の暗い時間から始まる作業。奥様とともに4年間をかけて修復を行った。

麻紐を花器の形に巻き、何種類かの色漆を塗り重ねた後、研ぎ出して文様を出した作品。表面に陰影をつける為に、鎌倉彫で使われる技法を用いているそう。  

安宅漆工店の工房には、漆について学べる墨田区認定の「漆工博物館」が併設されている。


不思議ですね〜職人さん達は、皆夫々が異なる分野なのに、皆さんの作品を一堂に蒐めてもピタリと呼吸と色調が合う。

これこそが日本が誇るべき江戸文化(クールジャパン)の真骨頂ー"粋"の精神! 本物の"心意気"が脈々と伝承されてるのをしっかり確認できました。 

何とも言えない感動!傍で見ていても、その高揚感が伝わつてきますね〜

 江戸の庶民が共有した美学ーきれい、さっぱり、几帳面、真っ直ぐ、軽み、素早い、洗練、無駄なく、節約、義理人情、活気、勇み… という"心意気"="心粋"なのです。  


鎹八咫烏 記
伊勢「斉宮」の明和町観光大使


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