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街の記憶とノスタルジーと

2015.06.10 00:17

山田スタジオ一級建築士事務所

代表 山田 慎一郎


久しぶりに訪れた想い出の街で、何か違和感を覚えたりすることはありませんか? 昔住んでいたところ、よく遊んだ角の駄菓子屋、奥の原っぱなど、記憶を頼りに訪れると懐かしさを感じると同時に「こんな街だったっけ?」とか「こんなところに道あった?」と自分の記憶に疑いを持ち始めたりもします。何かが決定的に以前と異なっているからかもしれませんし、単に小さかった自分が感じた過去のスケール感と現在の感覚が違うというのはあるでしょう。あれだけ広いと感じていた道がものすごく狭かったりするのはそのせいですね。

別のケースはちょっと厄介です。記憶の中にある細く曲がりくねった道がまっすぐの通称100メートル道路になっていたりすると記憶の手がかりや馴染んだ「かたち」も全く無くなっているのに気づきます。様々な検討後の最適解なのでしょう。物流面は効率的となり「新しい」ことはそれだけで魅力的なのは確かに事実ですし。50年前のオリンピック都市改造などは、生まれていない私でもどこかドラマティックでワクワクするイメージが容易に想像できますし、今日に続く様々な技術も開発されていましたから、当時の世の中もその方向を後押ししていたのは理解出来ます。

そして現在、私の住む街で新しい駅の地下工事が始まっています。相鉄・東急直通線という名称の通り、既設路線が繋がるので便利になることはたぶん間違いないでしょう。また近くの3.8haある工場跡地には環境配慮型都市と銘打ってスマートタウンや米国A社の技術開発拠点が出来ると聞いて驚きました。

一方でかつて温泉地であった証(名残?)ともいうべき施設がこの5月に休業となりました。地下駅工事に関連してのようです。効率的で新しいことを否定するつもりはありませんが、その陰で街の履歴が消し去られたりすることの無いように、「新しい」ということは歴史が積み重なってゆくことであると期待したいです。新しいことが必ずしも効率的である必要は無いと思うので。

地下駅工事/奥に温泉施設の煙突がみえる


話は四半世紀前にタイムスリップ。大学で建築学科に進んだ大半の学生が経験する卒業設計の私の案は、街の記憶の象徴ともいえる蛇行した川が暗渠となり、かつてあった生活とは切り離されたものの、街路として形だけが残った細い道路を新しい建築に取り込んで、新たな生活拠点として再生してゆくことをテーマにしました。なんとなく魅力的だった自然発生的な街路が、近くの計画的開発によって消し去られてゆくことへの対応策として、その新しい建築がその場所の歴史の調整役を担い、古い街と新しい街を共存させようというものです。当時ある学生が「昔の名残を残すことに意味があるのか」と私の計画案に異議を唱えたことに対し、教授(恩師)が話されたことが段々わかるようになってきました。

卒業設計/地上30メートルに街の記憶


「君たちももう少し歳をとればわかると思うが、なんだかんだいっても街の記憶ってのはその場所に住む、生活する拠りどころ。そういうのがあると自分の街を好きで居続けることが出来るんだよ。設計実務の世界ではそんな余裕は殆ど無いけれど、少しでいいのでそこに積み重なっている場所性のことを考えて欲しい」と(そんなニュアンス)。街を愛することがだんだんわかる気がするのは歳をとったお陰でしょうか。あれから25年後の当方、卒業設計案の手法はちょっと乱暴と反省し、設計実務で場所性のこと、あまり考えられてないかもしれないなとまた反省しています。

さて横浜には歴史ある古い建物や街並が多く残され、観光地としてだけでなく住民にも愛されています(その筈です)。残念ながらいろいろな理由によって壊されてしまうもの多いのですが、単に文献や書物の記録だけでなく、実際の何かの記憶として街の「かたち」が継承されることを望みます。きっと次世代に価値ある街としてバトンタッチ出来る。一方古いといえば中古マンションを自宅として改修して住み、歳をとったといえば我が愛車は25年以上前に登録された仏製です。確かにガソリンは現代の車より多く消費しますし、排ガスも多いと思います。エコじゃないのか税金もますます高くなります。単なる趣味やノスタルジーかもしれませんが、古いものを手入れして使い続けることってそんなにダメダメ?