わかるということ
精神療法でもカウンセリングでも、重要なことは「解ってあげる」ということである。これは簡単そうで難しい。私は本とか講義で絵を使う。下記・・下の絵の女性は、雨の中で傘も差さずに立っている(私が描いた絵で、見たことある人がいるかもしれない)。
学生や聴衆に質問する。「この人は何故、前の中で傘もたたずに立っているのだと思いますか」と、言うと「恋人に振られて悲しんでいる」「親しい人が亡くなった」「雨に濡れたいくらい自虐的な気分だ」といった了解しやすい回答もあれば、「傘が壊れている」とか「バスに行かれた」という回答もある。
結局、本当のところは、近づいて話してみないと解らないのである。
大人は言葉使えるから良い。自分の心の内を話せるからだ。しかし、言葉を獲得していない子どもは、母親の空想する力、共感する力、(それは本能であり、自分がうけたマザーリングであり、性格であり・)の影響を受ける。何しろ泣いたり、ぐずったりするしかできないのだから。
パーソナリティ障害、重い精神疾患、複雑性PTSDの人、いや普通に生きている人で自分が解らないという人の多くは、「解ってもらえない」という体験を抱えている。
vあるいは親が自分の思い描くルートに子どもを乗せて、主体性の発達を奪ってしまう。
大谷翔平選手の言動やインタビューを聞くと、相手の気持ち、ファンの気持ち、子どもの気持ちが解ってあげられる能力が高いといつも思う。
例えば、バットが欲しい、バットが欲しいと泣く子に、最初はダメダメだが、何かを感じたのだろう、後で自分のバッドをあげていた。また、チェコスロバキアに対しても、チェコの帽子を被り準決勝に入るなど、ウクライナの隣にある様々戦争の歴史を持つチェコで野球を広めようと頑張っている人達を応援したい気持ちがあるのだろう。
佐々木朗希選手もデッドボールをあてたチェコの選手の宿舎を菓子を持って訪ねたらしい。
彼らは「本当に野球が好きなのだ」、親がやらせたのではない。「うちの息子は野球が好きなんだ」という気持ちを「解ってあげる」親がいたからだ。