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「宇田川源流」【土曜日のエロ】 ダヴィデ像は「わいせつ物」なのか?

2023.03.31 22:00

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 ダヴィデ像は「わいせつ物」なのか?

 今週も「土曜日のエロ」の日になった。またエロの事を書くことになっているのであるが、その前に今週は何があったかちょっとおさらいしてみよう。

今週のニュースとして最も大きかったのは亀岡市の保津川下りの事故であろう。正直な話、代表理事の豊田氏は、私が明智光秀の大河ドラマ化で動いていた時の支援者の一人である。はっきり言って「戦友」と私は思っている(向こうはどう思っているかよくわからない)。その人が、謝罪会見をあれだけ毎回出ているというのは非常に見ていてつらいが、それでおどうしても見てしまう。保津川に関して言えば、亀岡市の唯一取っていいほどの観光であり、その観光の目玉がこのようになってしまうのは、なかなか悲しいことである。ある意味で「操船ミス」であるということを言うが、当然に理事は全ての船頭に「操船を監視」できるはずがない。その為に、個別の船に関しては個人の話が出てくるのであるが、それが、このようになってしまうと困ったことになるのである。

今回の事故に関して、最も良かったのは、観光客に犠牲がなかったことである。昨年於知床半島の遊覧船事故のようになってしまうと、かなり問題がおおっくなってしまう。もちろん事故がないことが最も良いのであるが、事故があって犠牲者が出た中では、最も一般からの非難が少ないのかもしれない。それでも、組合としては無くなった船頭の家族などへの補償もあるし、何よりもしばらく営業できないことに関しての保障なども必要になってくる。その意味ではかなりの痛手であろう。

「事故を起こしたのだから当然」等ではない。事故はいつでもだれにでも起きる可能性があるのだから、その内容をどのように考えてゆくのかということが最も重要なのである。野次馬的な内容を見るのではなく、その自己の中で「いけないこと」「悪いこと」をしっかりと見極めて、そのうえで、再発防止に努めるということが必要なのではないか。

さて、本日の「エロ」は、その「何がいけないのかよくわからない」ということではないか。「芸術」と「エロ」の境界線の問題である。

ミケランジェロのダヴィデ像を小学生に見せ……親1人の抗議で校長辞職 米フロリダ州

 米フロリダ州の小中学校で、イタリア・ルネッサンスの代表的作家ミケランジェロによる「ダヴィデ」像の写真を教師が授業で6年生に見せたところ、親が1人抗議し、校長が辞職に追い込まれた。

 旧約聖書に登場するダヴィデを全裸で表した全身像は全長5メートル17センチ。ミケランジェロによるこの彫像は、欧州で史上最も有名な美術作品のひとつで、イタリア・フィレンツェのアカデミア美術館で展示されている。

 フロリダ州タラハシー郡のタラハシー・クラシカル学校でこのほど、ルネッサンス美術を11歳と12歳の生徒に教える授業で、ダヴィデ像が紹介された。同校は、独自の歴史古典教育を重視する認可校。

 この学校では例年、ダヴィデ像を生徒に見せる際には事前に保護者へ連絡していたものの、今回は連絡をしていなかったことから、1人の親が学校に抗議した。ほかに2人の親が、事前連絡が欲しかったと学校に苦情を伝えたという。

 同じルネッサンス美術の授業では、ミケランジェロのフレスコ画「アダムの創造」や、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」なども紹介された。

 タラハシー・クラシカル学校のホープ・カラスクイラ校長は23日、辞任するか解雇されるか選ぶよう学校の理事会に告げられたため、辞任したと地元紙タラハシー・デモクラットに明らかにした。それによると、カラスクイラ校長は辞任を求められた理由はわからないものの、ルネッサンス美術の授業に関する苦情が関連しているようだと話した。

 報道によると、カラスクイラ校長は就任から1年未満。

 米ネットメディア「Slate」のインタビューで、学校のバーニー・ビショップ3世理事長は、「ダヴィデ」像を生徒に見せることを昨年は保護者に通知していたが、今年はそうしなかったことを「とんでもないミス」だとして、「物議の伴う話題や写真について、学校が自分の子供に教える際、親は常にそれを知る権利がある」と述べた。

 「我々はダヴィデ像の全身を幼稚園児には見せない。小学2年生にも見せない。ダヴィデの全身像を見せても、適切だという年齢はある。それが何歳のことなのか、これから検討する」と理事長は話した。

 23日にはフロリダ州のロン・デサンティス知事が、公立校での性教育や性自認教育を禁止する州法について、適用対象を高校卒業までに拡大するよう州教育委員会に求めた。これに違反する教師は、停職もしくは教員免許取り上げの対象になる。

 ミケランジェロは1501年から1504年にかけて、ダヴィデ像を製作。完成と共に傑作とたたえられ、同時代の画家ジョルジオ・ヴァサーリは、ダヴィデ像がそれまでのどの彫像より優れていると絶賛した。

 イギリスでは1857年に当時のヴィクトリア女王が、複製をロンドンのサウスケンジントン博物館(現ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)に寄贈。複製像を最初に目にした女王がその裸体にあまりにショックを受けたため、彫刻の性器を覆うためイチジクの葉の彫刻が作られたという。

 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のウエブサイトによると、この石の葉は「王家の訪問に備えて常に用意」してあり、必要となると「巧みに設置された2つのホックからさげる」ことで、ダヴィデの性器を覆い隠したのだという。

(英語記事 Principal resigns after Florida students shown Michelangelo statue)

2023年3月26日 11時48分 BBC News

https://news.livedoor.com/article/detail/23939482/

 アメリカのフロリダで、小学校6年生にミケランジェロのダヴィデ像の写真を見せて、校長が辞任するような内容になった。

学校のバーニー・ビショップ3世理事長は、「ダヴィデ」像を生徒に見せることを昨年は保護者に通知していたが、今年はそうしなかったことを「とんでもないミス」だとして、「物議の伴う話題や写真について、学校が自分の子供に教える際、親は常にそれを知る権利がある」と述べた。<上記より抜粋>

さて、この手の記事に関しての「土曜日のエロ」の統一県会は常に、「人間の本来の裸を見せて何が悪いのか」ということがよくわからないということになる。特に子供にはしっかりと見せて学んでもらうということが必要なのではないか。「人の振り見て我が振り直せ」とはいうが、まさに、「何が問題なのかということは、その問題を見せなければよくわからない」ということになる。

大妻女子大学が出来たときに、昭和初期であった為に、その大妻女子大学の近く、東京の市ヶ谷に住んでいた東郷平八郎の所に、当時の大妻女子大学の理事が向かい、「行動に掲げる看板(標語)をお願いしたい」ということを依頼した。「良妻賢母」など、学校のコンセプトを聞いた」東郷平八郎は悩んだ末に「恥を知れ」と書いたという。

除幕式に立ち会った多くの人は驚いた。その時に、東郷平八郎は来賓として出席し「恥ずかしいことを知らなければ、何が恥ずかしいかわからず、そして恥ずかしいことをしてしまう。母が恥ずかしいことをしてそれを恥と思わなければ、その母に育てられた子供も恥ずかしいことを、恥ずかしくないことだと思ってしてしまい、全てがおかしくなってゆく。その為に、何が恥ずかしいかをよくわかることが、恥ずかしくない人間を育て良妻賢母の最も必要なことである」ということを話した。大妻女子大学やその付属高校の生徒手帳には、今も「恥を知れ」と書いてある。

さて、エロとは全く異なることを書いているかのように見えるが、この「恥」という事は「エロ」も同じ。エロを見なければ、何がエロいのかもよくわからないし、わいせつの概念もわからないのである。それを見せないのは、「見せたうえで善悪の分別を着けさせる教育ができていない」ということであり、教育そのものが崩壊しているという証拠に他ならない。恥ずかしいことをして、その恥を教えることが、教育の根幹であるならば、恥そのものは、自分で恥ずかしい思いをしてしまうことが最も教育の近道なので愛r、二度とそのようなことをしないということの中心的な教育の内容になるはずだ。エロに関しても同じ。

ましてや、芸術に触れるという「エロを題材にした教育ではない」状態であり、人間の肉体美などをしっかりと教える事。それも、小学校6年生で、そろそろ様々な分別がわかる年頃にこれ等を教えることは何が悪いのかよくわからない。この事を「とんでもないミス」ということ自体が、教育の放棄ではないか。

このような「恥を覆い隠す教育」がそのまま行われていることが、様々な問題点の一つであり、自由で闊達な子供の成長を妨げていることを何故わからないのか。変な権利の押し付けをそろそろ考えるべきではないか。