好奇心を掘り下げることが学び だったねーfor next generations
昔 ワインのデストロビューターさんで
好きすぎてその土地をシャーレーに入れてワイン会で説明くださる氏
その方にさらにワインを気づかせてもらって。するとどんどん掘り下げたくなって。発見も多いから、さらに楽しくなる。するとどんどん吸収する。
ワクワクが止まらなくなる。
元々ハンマーで殴られるような衝撃的な経験が三度あってそこが本格的に興味を持つ始まりなのだけど。
シガーもそうだった。香りの変化や育つという意味がわかると、そしてきちんと管理されたものの凄さを経験すると そのものの基準が最高な形で物差しになる。
ここから興味を持ち始めたものへの付き合い方が変わった。
仕事もそうかもしれない。
それでも怠惰な性分なので、すぐお人の研究くださったものを読んだりしてから試し逆説を探す。
でもこれも学び方
昔からそうして学者の方々も励んでいらっしゃるかも?
そうすると学校時代実に学び方を間違えていたなとつくづく思うのです。
棺桶が近くなって気づくのだから笑えるけど。
そもそも学生時代も仕事をしていても進学や目の前の事を達成する手段に忙しすぎたんだと気づく。勉強も受験のために「こなして」いたんだろう。
でも…そう言えば
大学受験でゼミで没頭した科目が2つあったな。
古文と日本史
繋がっていることに気づいた時から。
ゼミの先生も裏話話してくれるからさらに面白くなって。
気づきと発見 疑ってみて自分で答えを探してみる。そして誰かと共感する。
そうした繰り返しがどの学びにもあれば。そして興味を持ったものは徹底的にオタクよろしくどこまでも掘り下げる。
いま 集団生活で飛び出てしまう子たちも、そういうすごい要素があって。その子たちの「すごい」を注目すれば
日本は変わるんじゃないだろうか?
確かに人とのコミュニケーションを学ぶ場でもある学校だけど、いろんな人を知り尊重できることも学び
あ
少しづれましたが
anyway
始まり始まりの時には
教える側は さも 楽しそうに 教える必要がある。大好きな人が楽しそうにしていると好奇心がポジティブに刺激されるから。
お母さんが美味しそうになんでも食べたら、保守的で見た目で食べないものも、ちょっと食べてみようかとなることもあるように。
(ただし口に入れるは生命の危険地直結してるから一番ハードル高いかも?)
学ぶの方法から本気で変えていく必要があるのでは?