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エイプリルフールだったので嘘の小説特集

2023.04.02 07:33

 こんにちは。

 新年度ですね。実感がわこうがわくまいが、大きな変化があろうが全くなかろうが、4月は始まっています。桜も咲きほこっております。

 さて昨日4/1はエイプリルフールでした。私個人は、身の回りに特に賑やかなことなどおきず、誰に騙されることもなく終わってしまいましたが、この日のブログ更新の為に温めていた企画があります。

 それが、「嘘」とタイトルに含まれる小説特集。

 小説に騙される、というのは本を読んでいらっしゃる方なら数えきれないほどあるのではないかと思います。しかし、この小説には騙されますよ、なんて特集を組もうとすると、早々にネタバレということになってしまう。ただ、タイトル「嘘」だけで集めてみるとどうでしょう、作者さんや出版社があらかじめ開示している情報なので、堂々と「嘘」を勧めていいわけです。

 そんな感じで楽しく3冊選びました。我ながら、ええの選ぶやんけ、と思われそうなラインナップだなと書き始める前から思っております。

 ちなみにエイプリルフール翌日の更新ですから、この記事にも嘘はない、それを狙った翌日更新です。嘘です、たまたま更新日が翌日だったというだけで。

 では参ります。




小川哲『嘘と正典』

 ついにこちらのブログにも初登場でございます、小川哲さん。今この作家さんのことが気になって仕方ない本読みの方ってどれくらいいっしゃるのでしょう。少なくとも私はその一人に違いありません。本屋に行けば必ず特集コーナーを見に行ってしまうくらいに、気になって仕方がないのです。

 2015年に第三回ハヤカワSFコンテストの大賞を受賞してデビュー、昨年から一気に注目度を集め、『地図と拳』で直木賞受賞、同時に『君のクイズ』で本屋大賞の候補にノミネートされ、全く毛色の異なる作品が各所で評価されるというアクロバティックな活躍を見せています。

 今回紹介するのは『嘘と正典』という小川さんの短編集。この作品もまた2020年に直木賞候補に選ばれており、いま注目を浴びる二作の陰には隠れていますが代表作には違いありません。というか、なぜいま小川哲さんがこれほどみんなに驚かれているかを知るには、この一冊が一番良いように思います。

 表紙はご存知マルクスですが、文庫版になる際に主に右上のあたりがだいぶポップになりました。トランプや鳩などのマジック道具だったり競馬だったりが、画像の右上(マルクス側からすると左脳?、という意味もあるかもしれません)から溢れ出しています。そう、それらが短編集の内容です。

 早川書房にて刊行され、SF棚に並ぶことも珍しくないこちらの本ですが、内容としては時空を超える手品をしたマジシャンの父の話や、子どもの頃に父と見た競馬、馬の系譜についての話、「流行」が消滅した時代で最後の特攻服姿のヤンキーとなりデモに参加する話、など内容はなかなかポップです。さらに、作者はその職業の人だろうかと思うくらい随所のディテールが極め細やかなのです。

 表題作の「嘘と正典」もまた、あらすじに歴史改変SFとありますが、大筋はポップで、CIAモスクワ支局の主人公と、協力者となるソ連の技術者のお話になります。今回のテーマである「嘘」も、作品上の何を指すかは明確であるわけです。

 どれも読みやすい。だがしかしですよ、上記で大筋という単語を使いましたがそれ以外に作者の意図的な物語の輪郭があり、展開にも結末にも驚きが伴います。各編読み終わった後に、うわ、っとその景色にめまいを覚えます。

 とにかく云いようのない余韻が残る、それは間違いなく文学性によるものです。


 ……実は『地図と拳』は、絶対読みたいリストに入れているのですがまだ手を付けられていない私です。ただこの『嘘と正典』や『君のクイズ』をあのように書いた作者だからこそ、彼が何をどのようにしているのか、他の作品がいま気になって仕方がないのです。




浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』

 2021年春に出版され、一大ブームを巻き起こした作品です。先生(ポラン堂店主)が大学の授業内でとる「最近面白かったもの」アンケートにも多く名前が上がっていたと聞きます。出版から2年が経ちましたが未だに人気は根強く、多くの読書人たちがランキングにそのタイトルを出す、凄まじい作品です。

 私はこのブログのテーマを決めてから、遅ればせながら初読みを果たしたのですが、正直な感想を言いますと、ごめんなさい舐めてました。学生さんたちやお若い方々で評判が良いのだとばかり思って、と言い訳をするのも恥ずかしいのですが、実際に読んでみて、本当にこんなに面白いなんてと驚かされたのです。

 舞台は就職活動、成長著しいIT企業の最終選考に残った六人の大学生のグループディスカッションを描いた作品です。企業側は最終選考に残った六人に、六人全員の内定も考えていると告げ、彼らに一ヶ月後素晴らしいグループディスカッションをしてほしいと課題を出します。六人は交流を深め、やがて尊敬し合うチームになるのですが企業側は本番直前で、六人の中の一人しか内定を出さない、と内容を変更。グループディスカッションの議題も「六人の中から一人の内定者を決める」こととなるのです。果たして六人の最終選考は熾烈な内定争奪戦となっていくわけですが……。

 この粗筋で充分面白いという思う人もいれば、そんなに、大学生たちの熾烈な内定争いを見てもなぁという人もいると思います。ただ読んだ側としては、後者の方ほど読んでほしい。私と同じ、衝撃を受けると思います。

 ネタバレは禁物なのでこれ以上話せず歯がゆいのですが、粗筋をわかっていればフリでしかない、六人が仲良くなる序盤から、驚くほど面白いのです。人物造詣がしっかりとしており、読みやすくて清々しい。すごく魅力的な六人、と言えるのは人間性の善悪ではなく、細部に整合性のある生き生きとした人物たちだからです。

 そう遠くないうちに文庫化され、その際に再ブームを巻き起こすことも確定しているように思えます。未読の方は今のうちにぜひ。




入間人間『噓つきみーくんと壊れたまーちゃん』

 ご存知でしょうか。2007年6月「第13回電撃小説大賞の最終選考で物議を醸した問題作」として出版された、ライトノベル作品です。第13回と言えば、今も小説家として活躍が著しい紅玉いづきさんの『ミミズクと夜の王』が発売された回で、ライトノベルのトップレーベルと言ってもいい電撃文庫が、その輝きを年々増していた頃とも思えます。

 発刊された月に近所の明屋書店で買って、読んで、瞬く間に私のライトノベル読書史のメインストリームを担う作品となりました。

 刊行から十五年以上、2011年に染谷将太さん主演で映画化されるなど脚光も浴びつつでしたが、今年3月、メディアワークス文庫にて「完全版」という名の新装版が発刊されました。十五年以上ぶりに前日譚が書き下ろしされているというのも驚きですが、表紙も当時と同じイラストレーターさん・左さんが書き下ろしており、なかなか凝ったものとなっています。

 ストーリーは、とてもあの時代のライトノベルらしい、ダークポップ、しかしダークがやりすぎというもの。

 「みーくん」「まーちゃん」は八年前に起きた誘拐事件の被害者です。舞台はその凄惨な誘拐事件が起きて以来、特に事件という事件も起きない平穏な田舎町。しかしここのところ連続殺人事件と小学生兄妹の失踪事件が話題となっています。

 そんな時、高校二年生の主人公の「僕」は、同級生である御園マユ(まーちゃん)に自身があのみーくんであると明かし、劇的な再会を果たします。みーくんはある確信をもってまーちゃんの家についていき、彼女の部屋で、足首が繋がれた状態の、失踪中であった小学生兄妹を発見するのです。果たしてまーちゃんは何故二人を誘拐したのか、みーくんの目的は何か、謎が謎を呼ぶミステリ作品となります。

 この作品の魅力はというと、普段はクール系美人でみーくんの前では激甘ヤンデレなまーちゃん、というよりも、みーくんである「僕」の一人語り、に尽きます。一人称の地の文には何度も「嘘だけど」という言葉が挟まります。なんだ真面目やれ、と思われるかもしれませんし、後にこれほど話題になっておきながら電撃大賞で賞がなかったのは、この語り手の持つ不真面目さの所為かもしれないなとちょっとだけ思います。しかしどうでしょう、語り手が信用ならない、という部分で勘のいい方なら、ある小説ジャンル、ミステリジャンルを思い浮かべられるのではないでしょうか。その点もこの作品は加味しています。挑戦的といってもいい。

 実際「嘘だけど」という語尾も、「半分嘘だけど」「一つだけ嘘だけど」のようなバリエーションが数多くあり、今回の読み返したのですが、全てに細かい意味があって凄いことをしていた作品だなと思わざるをえませんでした。飄々として、誘拐事件にも動じず、まーちゃんにも動じず、本心がどこにあるかわからない主人公を探る面白さは、高校生の頃も今も、変わらず味わうことができます。

 作者本人も明言していますが、一人語りの口調や主人公の名前について、嘘というキーワードなど西尾維新さんの『戯言シリーズ』の影響を十二分に受けた作品でもあるようです。ただし作品の本質は違っていて、ある一点を特化させた作品が『噓つきみーくんと壊れたまーちゃん』のように思えます。よろしければこれを機会に。




 以上です。

 エイプリルフールらしいことができたんじゃないかなと思いつつ、「嘘」をテーマにミステリのジャンルに偏らなかったところも少し達成感があります。

 エイプリルフールへの盛り上がりは一時期よりも落ち着いてしまった印象があります。年々企業がSNSなどで打ち出す「嘘」への盛り上がりが、慎重になってきているように思うのです。そこには、エイプリルフールとはいえ、配慮に欠けたもの、迷惑な売名行為に思われるものへの批判の姿勢があって、嘘をつく者が委縮している──なんて、面白くない話にも一理あるんですがそれよりも要するに、嘘の受け手の目が肥えてしまっているんですよね。SNSの時代もだいぶ積み重なって、新しいものへのハードルが自ずと上がっている。

 そんな中、どうでしょうか小説は。日々誰もまだ味わったことがない嘘が生まれ続けている、まだまだ旨味に溢れたコンテンツです。

 嘘の出来やセンスに厳しい時代が来ようとも、人間が嘘を一切合切嫌いになる時代は来ないと私個人は思っています。皆さまぜひ、嘘の楽しさを読書で味わってみてくださいませ。