祈り
「苦しい時の神頼み」という、ことわざがある。
普段から神仏に対して信心をもたない者が、己が窮地に立った時にだけ加護を祈る、という意味。
⇒これは人間の”利己的”な側面を表現していることわざではないだろうか?
現代人は無宗教者が多く、信仰心をもっている人が少ないように思われる。
何処かの宗教へ入信せずとも神仏を敬うことは、この世に生を享けた我々が行うべき道徳的行為だ。
現代人は日頃より「見えない存在」への感謝がないのに、困り果てた時だけ神社仏閣へ出向き神頼み
をする傾向がある。
⇒その際にお賽銭を納めるが、祈りが大願であるほど五百円玉や千円札などお賽銭としては高額な金
銭を入れているのではないか?
それはまるで「今回はお札を入れたから頼みますよ」と、神様を相手に駆け引きをしているようなも
の。
祈りは、金額ではなく誠心誠意の【思い】と【動機】が重要。
⇒前述したことわざの様に、困難に陥った時だけ祈願するのは虫が良すぎる。
常日頃から神仏、並びにご先祖様と守護霊に感謝を伝えることによって神の補助が受けられると私は思っている。
最後に、『ワールドメイト教祖・深見東州』さんの祈りに関する格言。
深見さんの著書『死ぬ十五分前に読む本』より幾つかチョイスしたものです。
★霊界へ行く前に、必ず心掛けておくこと、それは、「何事があっても、祈りを神仏に捧げる」ということ。
この祈りの習慣のない人は、まず、「祈るのだ」ということを覚えておこう。
★例えば…こんな世界だったら…岩石がドーッと落ちてくる。
「ウワーッ、怖い!」そのときは、落ちてくる岩石に向かってあれこれ考えず、まず祈ろう。
生前、何かと頭で考えるくせのあった人は、霊界へ行っても、また考えてしまう。
この岩石は何なんだ? なぜ落ちてくるんだ? そんなことを考えずに岩石に向かって、祝詞やお経
を奏上すること。
すると、パッと瞬間に岩石が消え、野原や美しい景色が現われ、神様や菩薩様が現れる。
★断崖絶壁から真っ逆さまにウワーッと落ちている。
そのときは落ちながら、目をつぶって「高天原に神留座す。神魯伎神魯美の詔似て。……」 と祈る
と、ふと見ると、あなたは地面に静かに降りて歩き始めているでしょう。
仏教の人は、「南無観世音菩薩」か「般若心経」か「南無妙法蓮華経」を必死で唱えるとよい。
生前、そうやって神仏に対する信仰心や、危ないときに祈る習慣がない人は、ワーッと落ちながら、
「落ちたらどうなるのかな」「ウワーッ、死ぬな、ばらばらになるな」と考える。考えながら落ちて行く。
こんな緊急の事態に陥ったとき、信仰心がある人は「祈る」ことを知っている。祈りは、天津祝詞で
始めるとよい。
★必死で祈ること「助けたまえーッ!」と、頭の先から血液が噴き出すぐらい、髪の毛が逆立つぐら
いの祈りをウワーッとする。
すると、パッと瞬間に、場面が変わってくるのだ… 仏教徒、キリスト教徒、イスラム教徒などは、それなりに、一番なじみの深い祈りの句がよい。
とにかく、必死でわれを忘れて祈りに徹すること。