俳句を生きた表現者
http://blog.livedoor.jp/hojo9m2/archives/57656013.html 【新刊『金子兜太――俳句を生きた表現者』】より
『金子兜太』カバー 『金子兜太――俳句を生きた表現者』を昨日(2021年1月30日)上梓した。定価2,200円+税。藤原書店に感謝。
雑誌「兜太 TOTA」の1号から4号に連載した「前衛兜太」に大幅に加筆したもの。一般読者にも読みやすいはずである。
金子兜太は戦後最大の俳人。一般には、2015年7月、澤地久枝の依頼を受けての「アベ政治を許さない」の揮毫で知られる。
(こちら、日刊ゲンダイのページに、自身の揮毫を掲げた金子兜太の画像付きの記事あり。これを揮毫したために政府の機嫌を損じて文化勲章受章を逸した、と噂されたそうだ。)
『金子兜太』帯&背 「俳句を生きた表現者」という副題も帯文(右画像)も黒田杏子さんからいただいた。(「あとがき」参照)
さすがに帯文の「句友」はあまりに過褒、おそれいったが、黒田さんいわく、金子さんは年齢や性別や結社にこだわることなく人間に接した、兜太さんはあなたに逢えて本当にうれしかったはずだ、だからこれでよいのだ、と。
晩年の金子兜太に寄り添い続けた黒田さんのご判断、ありがたく頂戴した。
http://blog.livedoor.jp/hojo9m2/archives/57656145.html 【『金子兜太――俳句を生きた表現者』あとがき】より
あとがき
『金子兜太』カバー折返し 本書は「兜太 TOTA」一号から四号に連載した「前衛兜太」に大幅に加筆したものである。新型コロナウイルスのために逼塞を強いられる日々での仕事だった。
執筆に際しては、「外部」からの観点を大事にするよう努めた。私が俳句界の「内部」などまるで知らないせいでもあるが、案外これが本書の取得になっているかもしれない。
具体的には、ジャンルの特殊性(という名目)に閉じこもりがちな俳句を詩や短歌や小説といった文学全般の中でとらえ、俳人・金子兜太の歩みを戦後表現史や戦後精神史の中に位置づけることである。それは造型俳句論で金子兜太自身が志向したことだったし、また、こういう「外部」の観点に耐えられる俳人は金子兜太ぐらいだろうとも思う。
つまり私は、ふつうの文芸批評の方法で、一般の読者に向けて、書こうとしたのである。
そのため、時にはかなり理詰めになったり、時には兜太からも俳句からも遠く離れたりして、いわゆる俳論や俳人論を読みなれた方には「野暮」と思われる書き方になった部分があるかもしれない。「野暮」とは「内部」の暗黙の作法を知らない者のふるまいを意味するのだから。
しかし、そもそも金子兜太は俳句や俳壇という狭い枠を大胆に踏み越えた存在だったのであり、閉じた小世界での「洗練」など意に介さず、現実世界の荒々しさへと開かれた「野暮」の方を好んだ人だったのだ。
ともあれ私は、戦中戦後を生き抜いて九十八歳の長寿を全うしたこの堂々たる「存在者」、俳句歴だけでも八十年に及ぶこの稀有な「表現者」の世界に、正面から、取り組んだつもりである。本書が俳句の「内部」の読者のみならず、「外部」の読者にも、広く読んでもらえれば幸いである。
私は以前、第一句集『天來の獨樂』に収めた短文で、「俳句が詩を羨望することの必然性と俳句が詩になることの不可能性とを、同時に知った」と書いた。それは前衛・富澤赤黄男についての感想だったが、加筆を終えたいま、同じことを思う。
金子兜太は俳句が「詩」になることの可能性と不可能性を、「社会性俳句」から「前衛俳句」へと遮二無二表現の高度化を推し進めた「往相」(ほぼ一九七〇年代前半まで)と、大衆的な平明さへと、また「原郷=幻郷」へと、還ろうとした「還相(げんそう)」(ほぼ一九七〇年代後半から)とに、振り分けて生きたのだ。しかも往相においても還相においても規格外の表現者として俳句を生きたのだ―と。
「現代」の表現者としてお前は「詩」を志向しなければならない、しかし俳句の作者としてお前は「詩」を志向してはならない―富澤赤黄男のように、金子兜太のように、我々もやはり、このダブル・バインドの声を聴きつつ各自の試みを続けるしかないようだ。
なお、言わずもがなのことながら、私自身は実作において金子兜太のあとを追うものではない。金子兜太は唯一無二。あとを追ったって無駄だ。私自身は晩年の兜太の野太いユーモアを感嘆しつつ遠望しながら、いまはむしろ、イロニー的屈折性と間テクスト的重層性の可能性につきたいと思っている。
最後に、黒田杏子さんに心からの感謝を。第一章に書いたとおり、なにしろ黒田さんに声をかけてもらわなければ金子さんにお目にかかることもなかったし「兜太 TOTA」の編集に携わることも金子兜太論を書くこともなかったのである。この奇縁のすべては黒田さんのおかげなのだ。しかも黒田さんからは「俳句を生きた表現者」という本書の副題ももらい、帯文までもらった。
そして、出版を快諾してくれた藤原書店社主・藤原良雄氏と、編集実務を担当して索引まで作ってくれた刈屋琢さんにも、感謝。
http://blog.livedoor.jp/hojo9m2/archives/57830299.html 【高山れおな氏の『金子兜太 俳句を生きた表現者』評】より
やっと新聞(毎日新聞)書評が出た今日、高山れおな氏がブログ「翻車魚ウェブ」に『金子兜太 俳句を生きた表現者』の長文の書評を載せてくれた。(高山氏のブログはこちら。)
パイクのけむりⅢ ~画期的金子兜太論の出現~ 高山れおな
前回の本欄の原稿は、二月一四日に歌人の川野里子さんと対談したその夜に書いたのだったが、今日三月一六日、帰宅すると対談が載った「現代短歌」五月号が届いていた。二十頁の対談が取材から一ヶ月で誌面に載るのは、ヴィジュアル誌の編集をやっている者としては信じ難いハイペースながら、文字中心の雑誌の場合は普通でしょうかね。それにしても、ゲラの回転はかなりきつかったし、編集長も疲労困憊の様子でした(私も生業が忙しいタイミングだったこともあり、初校を戻したあとめまいに襲われました)。
同号の特集は「震災10年」で、まず冒頭に和合亮一「三月十六日、静かな夜に。」、長谷川櫂「当事者性とは何か」の二篇が置かれ、ついで川野さんと私の対談「短詩型にとって東日本大震災とは何だったか」(俳句五十句選・短歌五十首選付き)があり、そのあと二十八人の歌人が「記憶に残る歌集/残すべき歌集 2011.3~」を各人三冊あげるエッセイがならぶ。テーマがテーマということもあり、最初から最後まであくまでテンション高く、重い。和合・長谷川両氏の文章も、二十八歌人のエッセイも読みごたえあり。対談だけは例外的に時おり(笑)などという文字も目につくとはいえ、川野さんがツイッターで「何回か目の前に火花が見えた気がした議論でした」と言っているような部分もある。どう読まれるかはさておき、私自身はこの対談の経験からも、また特集全体からも、多くの宿題をもらった気がしている。
対談の中盤、私は井本農一の俳句イロニー説について口走っている。これはそもそも私が(特に第一、第二句集の頃は)イロニーを梃にして俳句を作ってきた人間だからではあるものの、単にイロニーを云々するのではなく、大昔に読んだだけの井本農一の名前までがとっさに出てきたのは、実は対談をした前後の時期に井口時男氏の『金子兜太 俳句を生きた表現者』(藤原書店 二〇二一年一月三〇日刊)を繙読しつつあったためだ。同書に収められた論考は、雑誌「TOTA 兜太」に連載されていた時から面白く読んでいたが、かなり加筆もされているらしく、本になったのを見ると面目一新、というか、これはじつに画期的な金子兜太論ではないかと思った。金子兜太については安西篤の大著(『金子兜太』 海程新社 二〇〇一年)もあるし、これまでさまざまな人が論じている。ではあるけれど、没後最初に執筆刊行された本格的論考として、まさに「蓋棺事定」の口火を切るのが井口のこの本になったことは、兜太その人にとっても、またわれわれ読者にとっても幸運だったと言うべきだろう。
では、どの辺が画期的なのか。まず、没後に書かれたことにより、兜太のキャリアの全容を押さえた上で、初期から最晩年までの仕事の意義付けがなされていること。これは、いかに大部の本であっても前掲の安西著には無理な注文だ。ただ、それだけなら、今後書かれる兜太論はすべて同じ条件を具備することになるわけだが、それらの多くにはたぶん望めないだろう要素が本書にはある。簡単に言えば、兜太が同時代の文学史・文化史一般の中に適切に位置づけられていることだ。「俳句を生きた表現者」というサブタイトルは、文言としてはどうということもないようでいて、この間の事情を端的に表すものになっていよう。金子兜太という抜群の表現者がいて、彼が生きたジャンルがたまたま俳句だった。その逆ではない。そんな本書のなりたちが伝わってくるからだ。 ある作者を同時代の文学史・文化史の中に位置づける評論が俳句の世界に乏しいのは(近年では青木亮人氏がひとり頑張っているが)、俳人の力量不足、とりわけ俳句以外の文学・文化に関する知識不足・教養不足が原因だろう。これは自分自身を顧みて日ごろ痛感するところだ。その点、井口氏はこれまで、俳句以外の同時代文学(要するに主には小説・批評)を論じてきた人である。『物語論/破局論』(1987)、『悪文の初志』(1993)、『柳田国男と近代文学』(1996)、『批評の誕生/批評の死』(2001)、『危機と闘争――大江健三郎と中上健次』(2004)、『暴力的な現在』(2006)、『少年殺人者考』(2011)、『永山則夫の罪と罰』(2017)、『蓮田善明 戦争と文学』(2019)、『大洪水の後で――現代文学三十年』(2019)……と、著書のタイトルを列挙するだけでも方向性はおわかりいただけるはずだ。
もっとも、いくら小説や批評に詳しかろうと、肝心の俳句についての理解が胡乱なものだったら何にもならない。幸いにして、その点でもこの著者は信用できる。俳句以外の文学・文化について広範な知識を持った俳句についての書き手として、もちろん過去には山本健吉がいた。しかし、山本は乱暴にくくれば人間探求派の同行者であって、ついに金子兜太の意義を認めることができなかった。俳句をめぐる知識の量を云々するなら、井口は芭蕉の全発句の注釈までものしている山本の足もとにも及ぶまいが、同時代の俳句を批評的に論じる上で、そのことは大した問題ではないだろう。俳句についての常識を基盤に、必要に応じて論拠を提示する労を惜しみさえしなければよいのだから。
『金子兜太 俳句を生きた表現者』は全六章立てで、イントロダクションを別にすると大まかに三部構成――前衛前史(社会性俳句まで)/前衛兜太/還相兜太――になっている。このうち「還相(げんそう)」とは吉本隆明経由の親鸞の用語である。井口は、『最後の親鸞』(1981)の吉本が、親鸞における往相/還相の問題を知識人の「最後の課題」としての非知への着地の問題に読み換えて論じる部分を引きながら、それが『種田山頭火 漂泊の俳人』(1974)の終幕で兜太が山頭火に見たところとほとんど重なるような認識であることを確認する。それを指摘するだけなら俳人の誰彼にもあるいは可能かもしれない。また、そこに七〇年代に広範に見られた転向の問題(日常性への、明るさへの、消費社会への)を結びつけることも、それ自体としては著者を待つまでもないだろう。しかし、その転向を指すのに、還相という吉本/親鸞用語をあえて召喚したところにはやはり、著者ならではの深い用意があった。この言葉を使うことで井口は、過大視とも矮小化とも無縁な冷静さと温かさを保ちながら、兜太の大衆回帰の意味を、俳諧時代以来の全俳句史的な文脈に乗せることに成功しているのである。
だからこれ以後、金子兜太は他の誰でもない金子兜太として、「頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向って着地する」という「最後の課題」に取り組むことになる。
井口が描きだした「最後の課題」に取り組む兜太は、芭蕉・蕪村・一茶から新興俳句、プロレタリア俳句、楸邨、稔典までに照らし合わされつつ、さながら“最後の俳人”の相貌さえ帯びるものの、だからといってそこにはいかなるネガティヴな、あるいはパセティックなニュアンスも生じていない。それは兜太のキャラクターのゆえでもあろうが、加えて著者が〈もとより「俳壇」とはまるで無縁の身〉だからだろうか。区々たる俳壇事情から(そのオプティミズムやらペシミズムやら、から)遠い、「俳句を生きた表現者」をめぐるどこまでも活き活きとした叙述に、私個人は鼓舞される一方だった。
井本農一の俳句イロニー説にたどりつくまでに前置きが長くなってしまったが、イロニーについての言及があるのは、第四章の「前衛兜太(二)」においてである。この章は、造型論をはじめとする兜太の理論と実践をその頂点において論じつつ、副題に「イロニーから遠く離れて」とある通り、兜太の特性を彼があくまでイロニーを拒む作者であったという側面から捉えようとしている。前提として、文学におけるイロニー、俳句におけるイロニーを噛んで含めるように解説してくれているのも当方のような文盲にはありがたいところで、井本農一の名前は俳句の発生史をイロニーの観点からたどりなおす部分で出てくる。イロニーと俳句のかかわりをめぐる考察のうちに出てくる、「虚」の主体、「実」の主体という概念も面白いし、説得力がある。中でも、これらの概念を使うことで、兜太造型論における重要ファクターでありながら、私がこれまでその意義をなかなか了解できずにいた「創る自分」の問題が鮮やかに解析されているのには瞠目した。
兜太において、「創る自分」は芸術派の「虚」の主体を代替する機能をもつ。「実」の主体である社会派が芸術派の方法論を十全に摂取するためには、生活主体と別位相に「創る自分」の設定がどうしても必要だったのである。
とはいえ、兜太が芸術性だけに傾くことはない。「創る自分」が対象と自己とをいったん分離するのも、両者を再結合させたメタファーを獲得して作品を構成するためであって、その機能を完遂すれば消滅するのである。つまり、兜太にあって、「創る自分」は実体ではなく、あくまで句作に際しての暫定的で仮設的な機能概念なのであり、それは芸術派の「虚」の主体のように独自の存在位相を持続的に確保した創作主体ではないのだ。
「虚」ならざる兜太の主体は、あくまで現実的諸関係の中にある。現に兜太は、「『創る自分』の自惚れを解消するためにも、リアリスティックな態度が要求される」(「俳句の造型について」)と述べている。「『創る自分』の自惚れ」とは、ドイツ・ロマン派的な「虚」の作者の絶対自由(主観的自由)のことだと思ってもよいし、現実によって規制されない美学的前衛の陥りがちな独りよがりの放縦さのことだと思ってもよい。ここで兜太は、高柳重信的な「虚」の前衛と別れることになる。
ちなみに、「虚」の主体は高柳重信たち美学的前衛派の占有ではない。それどころか、中世隠者文学の系譜に憧れ、〈世俗世界(社会性)から身を引いた脱俗者の文学〉を志向した芭蕉以下、俳諧時代の表現主体はすなわち「虚」の主体であると井口は言う。また、〈「虚」の人と名乗った高浜虚子〉の客観写生や花鳥諷詠の理念は、〈俳句の「隠者性」を近代的にアレンジ〉したものであり、〈俳句と俳人を社会や政治といった危険な領域から隔離〉した。〈俳句作者も実人生においては苛烈な実社会を生きているのだが、虚子の保護下にいる限り、俳句の表現主体としては「虚」であり得る〉のであり、〈「ホトトギス」の圧倒的な成功は、社会心理的にはこの一点が大きかったはず〉なのである。
高柳重信が阿波野青畝の俳句を大好きだったのも、前衛派と花鳥諷詠派の看板だけを見るとなにやら落ち着かない光景だけれど、「虚」の主体が「虚」の主体を愛でていたのだと思えば難なく腑に落ちる。また、大地震が起これば俳句は震災を詠むのに向いてないとか、パンデミックが起これば俳句でコロナを詠むべきでないとか、先走って言いまわる人が出現しがちなのも、「虚」の主体のふるまいと考えると了解しやすい。そうした場合、「虚」の主体は、俳句のジャンル意識における一種の抗体として機能していることになるだろう。かく言う私自身、なぜ自分の俳句にはこうも「私(わたくし)性」が欠乏しているのだろうと常々考えていたが、これも「虚」の主体のひとつの現われ方だと思うとさしあたり納得がゆく。要するに、俳句の表現主体としては「虚」の主体の方が通時的にも共時的にもより一般的であり(ただし、表現自体は花鳥諷詠から美学的前衛までそれなりに幅がある)、兜太のような「実」の主体の方が例外的なのだ。ちなみに、その例外的な「実」の主体である兜太と草田男の差異をもたらすものこそ、イロニー的屈折の有無だというのが井口の見通しである。
「還相兜太」では兜太という人間の魅力の所以が縦横に語られている観があったが、本書の白眉はやはりこの「前衛兜太(二)」の章だろう。それは兜太の作品そのものへの理解において資するところが大きいばかりでなく、兜太個人を離れた俳句本質論としても、“俳句の近代”をめぐる状況論としても秀抜なものになっていることは、上にわずかに見ただけでも察していただけると思う。私は俳句史的遠近法が失われたかのような現在に戸惑いを感じ、過去半世紀来の俳句の歴史化の必要を痛感しているが、本書は一作家論であることをはるかに超えて一種、羅針盤的な意義を有するものではないかとの予感を持った。俳論書としては十年来(二十年来? 三十年来?)の収穫ならん。読むべし。
なにより、高山氏が本書をまっすぐ受け止めてくれたことに感謝。
(著者として、俳句関係者以外には「まっすぐ」届くはずだという自信はあったが、「俳句」という小世界に立てこもりたい人たちは各自のバリアーによってかなり屈折させてしまうのではないか、と危惧していたのだった。*→本稿後半に加筆)
末尾二文をここに引用させていただく。
「俳論書としては十年来(二十年来? 三十年来?)の収穫ならん。読むべし。」
21-5-9追記
俳人(&俳句関係者)の書いた書評も散見するが、案の定、なんだかぐずぐずした文章が多いみたいだ。読解力や文章力だけの問題ではなく、ぐずぐずせざるを得ない心理的な要因があるのだろう。とにかく「晴朗」ではない。(それは兜太精神にもとる。)
仕方ないかもしれない。私のような「よそ者」(私は現代俳句協会にも俳人協会にも所属していない、無所属だ)が「兜太 TOTA」の編集委員に名を連ね、あまつさえ上梓した金子兜太論の帯には「最晩年の句友」などと麗々しく書かれたのだから、俳句界のしがらみの中に跼蹐している人々には「晴朗」ならざる感情もわだかまるだろう。(「句友」とは、1月31日の記事に書いたように、兜太精神を踏まえた黒田杏子さんの大らかにして晴朗な言葉なのだが。)
そうした中で、高山氏のこの驚くほど率直な文章には心から感服し感謝する。これこそ真に「俳諧自由」の精神だ。
おそらく、若くして朝日俳壇選者に就任した高山氏は、おそるべき妬みややっかみにさらされてきただろう。しかし、氏には、俳句の「外」(文化諸領域)を見渡す広く自由な精神があるのだろう。その精神によって、かくも晴朗な視野を保てているのだろう。
氏からうれしい礼状をいただいた時、私は次のような意味のことを返信に書いたのだった。
多くの読者に広く届けたいとはあらゆる著者の思いだろうが、同時に、たとえ狭くとも、信頼できる読者に深く届けたい、というのもまた著者の願いなのだ、と。