半歌仙「龍門」の巻 連句解説 1
「古志」4月号に掲載された半歌仙「龍門」の巻をかんたんに解説します。
連句作品の解説です。
今回の連句は18句連ねたもの。
半歌仙といいます。(歌仙は36句、その半分なので半歌仙)
すでにある芭蕉の句を発句(第一句)にして、
脇(第二)から開始しましたので、「脇起こし」となります。
捌きはわたくし大谷。連衆は古志YouTube句会で募った有志です。
まず発句と脇。
龍門の花や上戸の土産にせん 芭蕉
古き世の口開いて蛤 弘至
芭蕉の発句は吉野の「龍門の滝」で詠まれたもの。
この花については、桜か山吹か二説あるようですが、
花の吉野ですから、ここでは桜でとりました。
上戸(じょうご)は下戸(げこ)の反対。つまり酒呑みのこと。
土産は「つと」と読みます。おみやげのことです。
したがって「龍門の滝に咲くみごとな花をあの酒好きへのお土産にしよう」という句意。
ちなみに同時の作に「酒のみに語らんかかる瀧の花」という句があります。
芭蕉はこの酒呑みの友人のことを試している感じもします。
ふつうは肴をお土産にするだろうが、じぶんは花をお土産にする。
これで酒が呑めたらお前は本物の風狂だと。
脇は発句の心をしっかり受けなくてはいけません。
わたしの句は芭蕉の「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」を踏まえたものです。
ご存知、奥の細道の最後の句です。旅の終わりに悲しい別れがやってきたことを詠んでいます。蛤の蓋と身に引き剥がされるような別れだというのです。二見ヶ浦が掛けてあります。
そこを転じて、焼きはまぐりで酒を飲んでいるところにお土産の花が届いたというニュアンスにしました。
いにしえの世、つまり芭蕉の時代が目の前に広がって、再びあたらしい物語の幕開けになるように詠みました。
続いて第三。
古き世の口開いて蛤 弘至
行く春をいまだ外せぬマスクにて りえこ
第三は大きく転換しなくてはいけません。
「古き世」に対して、現代の世相をぶつけています。
これによってがらっと転換しました。
脇のはまぐりの口があくということに対して、
第三ではマスクで口を塞がれている。
はまぐりは口を開けているのに、自分たちはまだマスクをしていなくてはならない。
現代の息苦しさ(生き苦しさ)が反映されています。
また、前句と併せて読めば、古典軽視の風潮への批判と読むこともできると思います。
いにしえの世が現出しない閉塞の世なのです。
古き世の口開いて蛤 弘至
行く春をいまだ外せぬマスクにて りえこ
最前列で一人芝居を 洋子
第四ですが、これもうまく転じています。
連句は前々句からしっかり離れることが基本中の基本であり、
それが難しいところなのですが、
ここでは芝居の観客を登場させたことで、焼き蛤をつついている酒呑みからはきれいに離れました。
二句だけ並べてみましょう。
行く春をいまだ外せぬマスクにて りえこ
最前列で一人芝居を 洋子
芝居を観に来た観客がマスクをしている様子になっています。
脇と第三の情景とはまったく趣が変わっています。ぜひ読み比べてみてください。
付句によって前句は表情を一変します。連句の醍醐味の一つです。
続いて、第五(月の定座)、第六ですが、いずれも良い句、良い付けです。
解説も不要ではないでしょうか。
最前列で独り芝居を 洋子
月今宵請はるるままに舞ひとつ まこと
葉落とす枝に鬼の捨て子も 政治
以上が「初折の表」(しょおりのおもて)の六句です。
【続く】