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SUZUKI RG500Γ 1985

2018.05.24 10:21

SUZUKI RG500Γ 1985y

(リード)

長い沈黙を破って、スズキがGPシーンに復帰した1974年、レーサー「RG500」は、デビュー戦でいきなり2位に入賞し、そのポテンシャルを見せつけることになる。しかしそれは、その後のスズキの躍進の、本の序章に過ぎなかったのだ。

(本文)

 1976年にはコンストラクターズタイトルはもちろん、エースライダーであったバリー・シーンが個人タイトルも手中に納める。さらに上位10名のうち、1名を除くすべてを「RG5 00」ライダーが占めるという、途方もない快挙をやってのけたのだ。この後もその勢いはとどまるところを知らず、7連覇の大偉業を成し遂げるのである。

 その由緒正しきRGの血統を正当に受け継いだ生粋のサラブレッド=リアルRGレプリカが、この「RG500ガンマ」である。見方によっては、この公道用モデルはGPマシンをも超える存在であるといっても過言ではない。というのも、GP復帰直後のRG500のパワーが公称値で90ps/15、000rpmとされていたのに対し、輸出用のRG500ガンマは、なんと95ps/9、500r pmというのである。「スクエア4」のエンジン構成もGPマシンそのものと言えるもので、一時全日本の500ccクラスにこの市販車をベースにしたレーシングマシンを参加させるエントランとがあったほどなのである(鈴鹿8耐久にもRG500ガンマはエントリーしていた)。

 1983年に輸出先行でリリースを開始したRG500ガンマは、翌年1984年2月にスケールダウン版の400ccモデルの国内販売を開始し、さらに同年5月に500ccモデルも国内販売を開始する。しかしメーカーの自主規制により、95psの最高出力は64psまで落とされてしまったことは、今なお残念だ。

 RG500ガンマの最大の特徴は、前述のスクエア4エンジンと、250ですでに実績のあるアルミフレームを採用していたことだ。ステアリングとスイングアームピボット部分を鋳造とし、そこにアルミの引き抜き材を溶接する方法は、生産効率とコスト面でかなり有効であった。また、ステアリングピボット部分の空間をエアクリーナーボックスとして利用するなと、スペース効率の面でも非常に効率よく作られていた。それでなくとも、キャブレターがエンジンの両サイドに配されるレイアウトであるため、車体をコンパクト化するための方法は、実に細部にまで行き渡っている。こうした努力の結果、車体は400ccクラスの標準的なボリュームに押さえられ、かつ車重も乾燥重量で153kgと、400ccなみとなっている。

 この車体に輸出仕様の95psエンジンが組み合わせられたらどんな走りをするのか、恐ろしささえ感じてしまう。フロントサスペンションにはスズキお得意のアンチノーズダイブ機構が付き、リアサスペンションは当然フルフローターのモノサス。前後ブレーキはフロント4ポット×2、リア2ポット×1の合計10個のピストンを持つ、で初採用の「デカピストン」を採用、500ではフロントのディスクをフローティングマウントするなど、ハイパワーエンジンとバランスを図られた当時としては強力な構成となっている。

 400にも共通する国内版RG500ガンマの特性として、高回転域での絶対的なパワーと同時に、実用面でも非常に扱いやすいマシンであったという点が挙げられる。2サイクルエンジンの欠点とも言えるピーキーな特性が大排気量のトルクによって打ち消され、かつマルチエンジンらしいスムーズで軽い吹け上がりと一体感の強いライディングポジションによって、市街地でも意外なほど乗りやすいのである。もちろん、ひとたびスロットルを開ければ、胸のすくようなジェットフィールとともに、リッターマシンを置き去りにできるほどの高い動力性能を持っている。そうした2面性が、ビッグ2サイクルの特性であり、また面白さでもある。