特別なあなたに冠を
ルイスには生まれたときから兄がいる。
その兄はとても頭が良くて優秀で、ルイスが出来ないことをいとも簡単にやってのけてしまう器用な人だ。
いつも優しく守り愛しんでくれる兄のことがルイスはだいすきで、この人のために生きたいとずっとずっと願っていた。
けれど兄はルイスよりも素晴らしい人だから、兄に出来ないことの中でルイスに出来ることはとても少ない。
本当にとても少なくて、ルイスはいつだって兄より全てが劣ってしまっていた。
兄のことがだいすきで誇りに思っていたからこそ、ルイスが彼に対する劣等感を覚えたことはない。
それでもほんの少しだけ、無力な自分が悲しく虚しくなったことはあった。
「凄いね、ルイス。僕が作ったものよりもずっと上手に出来ているよ」
だから兄に教えてもらった草遊びで、兄よりも上手な花冠を作ることが出来たのは、ルイスにとって初めてのことだった。
去年だったか一昨年だったか、ルイスは兄に小さな花同士を編み込んだ冠の作り方を教わった。
ろくに手入れもされていない広場に咲いている、雑草にも見える白や黄色の小さな花。
それを丁寧に編んでいき、いくつもの花冠を作るのがルイスにとって春の習慣だった。
ルイスがそうやって花冠を作っている最中、兄は近くの作業場で仕事をしている。
一緒に働こうとしたけれど体の弱いルイスには任せられない仕事のようで、大人の人に断られてしまったのだ。
だから兄が働いている間、「冠を作り終わる頃には迎えにくるからね」と言う兄の言葉を信じて、ルイスは作業場の近くにあるこの広場の片隅で一人黙々と花冠を作りながら彼を待つ。
そうして過ごす三度目の春、ルイスはついに兄から初めての言葉を貰ったのだ。
「ほ、本当ですか?これ、上手に出来ていますか?」
「本当だよ。ルイスはお花の冠を作るのが上手だね。僕も負けていられないな」
大事にするからね、と受け取ったばかりの冠を嬉しそうに抱きしめる兄を見て、ルイスの心はホワホワと浮かぶように軽くなった。
もう何回も何十回も作ってきた冠には白と黄色だけではなく、この近くではなかなか見つからない桃色の花も混ざっている。
丁寧に編み込んで頑丈な作りになったそれは花が映えるように配置されていて、ルイスも我ながら上手に出来たと思っていたのだ。
だから兄の言葉はルイスにとって、とても嬉しいものだった。
兄に教わったことを繰り返し練習した結果、やっと兄よりも上手に作ることが出来たのはルイスにとって何より嬉しい。
いつだって彼よりも劣っていた自分なのに、ようやく彼よりも優れた特技と言えるものがルイスの中に生まれでたことが嬉しかった。
「来年も再来年もその先も、僕が兄さんの分まで冠を作ります。兄さんは僕が作るのを待っていてください」
「それならお願いしようかな。ルイスが作るお花の冠はとっても綺麗だから」
「兄さん、よく似合っていますね」
「ありがとう、ルイス」
ルイスは兄の手から冠を取り、金色の髪が覆うその頭に乗せていく。
たくさんの小さい花で飾られている冠は兄にとてもよく似合っていて、だいすきな兄が自分の作った花冠でより一層素敵な姿になっていることが、ルイスはとても誇らしかった。
その日からルイスの特技には「花冠を上手に作れる」が追加された。
初めての特技で、やっと自分にも秀でた部分があるのだと実感できた自慢の特技である。
他愛もないどころか子どもそのもの、なんの役にも立たない特技だけれど、ルイスにとっては大事な特技だ。
平均から見れば非凡なほど優れた人間なのに、ウィリアムという兄がいるだけでルイスは平凡に成り下がる。
それを恥じることはなかったけれど、ウィリアムよりも上手に出来ることがあるというのはルイスにとっての安寧と自慢だった。
「屋敷は近頃、随分と暖かくなってきたんですよ」
「そうだね。過ごしやすい気候になってきた」
「この調子でイースター当日も天気に恵まれると良いものだね」
幼い兄弟がモリアーティ家の一員になってから二度目の春。
イースターのため寮から帰省していたウィリアムとアルバートを屋敷で出迎えながら、ルイスは春を思わせる風を取り入れるために窓を開けた。
青々した葉が立派な庭木に混ざり、花壇には色とりどりの花が咲いている。
手入れは庭師に一任しているが、孤児だった頃には想像できないほど立派な花ばかりがそこにあった。
毎日水やりをしているのだから真新しくない光景なのに、ウィリアムとアルバートとともに見るとキラキラ輝いて見えるほどに新鮮だ。
ルイスに続いて窓際までやってきた二人は同じように外の景色を堪能する。
「ねぇルイス。久しぶりに冠を作ってくれないかい?」
「花で作るあれですか?」
「そう、あれ」
三人並んで庭を見ていると、ウィリアムが石で出来た通り道に足を下ろした。
そうして花壇で咲き誇る花を指さしてルイスを呼べば、よく似た赤い瞳が丸く見開かれる。
アルバートは何のことだと僅かに首を傾げるが、ひとまずは会話に混ざらず二人の様子を見守っていた。
「去年もその前の年も作るどころじゃなかったけど、今年はルイスの花冠が見たいな」
「でも…この花達は高価なものですから、手折るのは勿体ないです」
「あ、それもそうか…せっかくなのに残念だな」
「僕も、作りたい気持ちはあるんですけど」
二人は未だ貴族になりきれていないまま、庶民感覚で咲き誇る花を評価する。
これだけ大輪で咲き誇る花を昔のように子ども遊びで摘み取るのは、どうにも心苦しく勿体なかった。
しんみり気落ちする弟とは違い、話について行けていなかったアルバートはますます持って首を傾げる。
「何の話だい?花冠、とはどういうものだろうか」
純粋な疑問を口にするアルバートに気を悪くするでもなく、むしろウィリアムは自慢するかのように声明るく正解を教えてあげた。
「花を茎ごと編み込んで冠の形にしたものです。ルイスは花冠を作るのが凄く上手なんですよ。ねぇルイス」
「えっと、はい。花で冠を作るのは得意です」
「ほう、花の冠か」
「昔は春になると毎年作ってもらっていたんです。ルイスが連れてきてくれる春の風物詩ですね」
「なるほど」
ルイスの背に手を添えながら我が事のように誇らしげに話すウィリアムは、事実とても誇らしいのだろう。
可愛い弟の特技を紹介する兄を見たアルバートは、なんとなしに気分が良かった。
そのルイスも照れたように頬を染めてはいるが、決して恥ずかしそうにした様子はない。
いつも謙虚で控えめなルイスが自ら「得意」だと口にするならば、言葉の通りさぞ得意なのだろう。
アルバートであれば子どもの戯れのような、いっそメルヘンチックで気恥ずかしい気もしてしまうのだが、それがルイスであればよく似合っている。
無論、馬鹿にしているつもりはない。
ルイスとウィリアムが育った環境は二人に子どもでいることを許さず、早くに大人にならざるを得なかった。
そんなルイスが見せる幼い一面は、ルイスに子どもらしさという人間味をプラスしているように思うのだ。
見た目通りに可愛らしい限りでは無いか。
アルバートは一人頷きながら、遠慮している弟達へと長男かつ次期当主として許可を出した。
「では僕が許可しよう。ルイス、僕とウィリアムに花の冠を作ってくれるかい?」
「え?で、ですが」
「ルイスが思う通りに作ると良い。花はどれを摘んでも構わないし、庭師には僕の方から事情を伝えておこう」
「良いんですか?アルバート兄さん」
「あぁ。僕も得意だというルイスの冠を見てみたいからね」
「やったね、ルイス。作っても良いって」
「はい!僕、すぐに作ってきます!」
アルバートが許可を出した瞬間こそ呆けていたが、言葉の意味を理解するとよく似た弟達はたちまち笑顔になる。
見頃の花を摘むのはやはり惜しい気持ちになるけれど、ルイスにしてみれば久しぶりにウィリアムへ冠を作る方がよほど貴重な案件だ。
ましてアルバートにも作って欲しいと頼まれたのだから、ますます持って気合いを入れて作らなければならない。
張り切るルイスを見て、ウィリアムもようやくきちんとした春を迎えられると知って心が躍る。
はしゃぐ弟達を見ていたアルバートは同じように微笑み、張り切って花壇に向かっていくルイスの後ろ姿を見た。
するとルイスは何故かすぐさま二人の元へ戻ってきてしまう。
「鋏を忘れていました。取ってきます」
勇み足になってしまったことを恥じるように早口で言いながら、ルイスは倉庫から園芸用の鋏を持ち出す。
そうしてそれを片手に持ちながら、色とりどりの花達を真剣に見定めてから摘み取っていった。
ルイスの目が花とウィリアムとアルバートをそれぞれ交互に見ているのは、作る冠のイメージを固めているからなのだろう。
時折いくつかの質問が飛んでくることを気分よく思いながら、二人はきちんと返事を返してあげた。
「兄様、緑はお好きですか?」
「そうだね、良い色だと思うよ」
「ではこの緑の薔薇、濃い色と薄い色だとどちらが好きでしょう?」
「ふむ。薄い方が綺麗に見えるな」
「分かりました。……兄さん、この赤とオレンジはどちらの方が好きですか?」
「うーん、赤い方が良いかな」
「この白とピンクでは?」
「その真っ白い花は可愛くて好きだな」
ふむふむなるほど、と呟きながら、ルイスは花を選んでいく。
小さな手では園芸用の鋏が扱いづらいようで、切り取るのにやや時間がかかってはいるが、それも楽しそうにこなしている。
たくさんの花を手に持ったルイスはウィリアムとアルバートの元に帰ってきて、三人揃って近くに置かれている椅子に腰掛けた。
机に花を広げて一本一本の土を払い棘を抜いて並べていくルイスの姿は、まるで花屋の店主のようだった。
「この花で冠を作るのか」
「そうですよ。魔法のようにあっという間に作るんです」
「魔法は大袈裟ですよ、兄さん」
照れたように頬を染めてルイスは花を手に取り茎を編み込んでいった。
折れてしまわないよう丁寧に扱い、見栄え良く花を配置するようにリース状に整えていく。
ウィリアムの言葉の通り一度も手が止まることはなく、あっという間に花で作られた冠が完成した。
「凄いな、プロの仕上がりにも劣らない完成度じゃないか」
「大袈裟です、兄様」
「そうでしょう。凄いんですよ、ルイスが作る冠は」
「もう、兄さん」
兄が手放しで褒めるものだからルイスは若干俯き加減で二つ目の冠を作り出す。
先ほど作ったものは丸みのある花弁が特徴の薄緑色の薔薇をメインにした冠で、今作っているものは花弁がやや尖っている赤い薔薇をメインにした冠である。
二人の好きな色を優先するのではなく、ルイスが選んだ二人の瞳に合わせた色だ。
薔薇という立派な花で冠を作るなんて、昔のルイスならば想像も出来ないだろう。
形の良い薔薇を引き立てる意味で小さな花も編み込んでいるが、確かに完成度は以前とは比較にならない。
ルイスは冠を作りながら、懐かしい気持ちの中に特技を披露しているという誇らしさを実感していた。
「出来ました!こちらはウィリアム兄さんに、こちらはアルバート兄様に差し上げます!」
完成した二つの冠を掲げ、納得のいく出来に頷いてからルイスは兄の頭にそれを乗せようとする。
冠を持った腕を伸ばせば察してくれたウィリアムが頭を下げて、アルバートも倣うように頭を下げてくれた。
それを見たルイスは喜んで二人を飾るための冠を乗せていく。
優しくて格好いい兄達の頭に自分の作った花冠が乗る姿を見て、ますます嬉しくなった。
「二人ともよく似合ってます!格好いいです」
「本当かい?ありがとう、ルイス」
「素晴らしいものをもらってしまったな。このお礼は何が良いか考えておいてくれるかい?」
「お礼なんていりません。僕が作った冠を受け取ってくれるだけで嬉しいです」
花冠はルイスが持つ数少ない特技だ。
何の役にも立たない特技だと思っていたけれど、ウィリアムが認めてくれて、その上アルバートにも褒められるなんて、これ以上ないほどに素晴らしい特技ではないか。
「ルイスの花冠を見ると春が来たと実感するね」
「確かにこれは春の風物詩と言いたくなるな」
「えぇ。ルイスは僕に春を教えてくれるんです」
「それは良い。ルイス、ウィリアムだけでなく僕にも次の春を教えてくれるかい?」
兄があまりにも自分と冠を褒めてくれるので、ルイスは気恥ずかしい気持ちを隠すように余った花を手元で遊ぶ。
花弁を開いて花を大きく見せるよう細工している最中にアルバートからそんなことを頼まれたので、思わずぎゅうと握りしめて逆に形が悪くなってしまった。
しかしそれに構うことなく、ルイスは大きく頷いてみせる。
「は、はい!勿論です!」
「ありがとう。ルイスのおかげで来年が待ち遠しいよ」
「せっかくだからこの花はしばらく部屋に飾っておきましょう。寮に戻る頃には駄目になってしまうだろうけど、少しでも長く楽しめるように」
「では麻の紐を使ってリースにしましょう。お二人の部屋の扉にかけられるようにします」
工具入れから茶色の紐を取り出してそう提案するルイスに二人は賛成する。
けれどその頭から冠を取ろうとするルイスには逆らい、もう少しだけ被ったままでいるのだと笑顔で主張するのだった。
(立派な薔薇を使ったので豪華な冠になりましたけど、少し重たく大きくなってしまうのが難点ですね)
(そうなのかい?)
(確かに、昔作ってくれた冠は花が小さかったのでもっと軽かった気がします)
(兄様の冠も頭に乗せていると重たいでしょう?)
(言われてみればそうだね。初めてだから気にしていなかったよ)
(もう少し小さい花で作れば軽くなりますし、その分だけ花もたくさん使えるんですけど)
(庭師の人に別の花を植えてもらうのはどうだい?白や黄色の小さい花とか良いんじゃないかな)
(それは良い案だな。僕の方から伝えておくとしよう)
(でしたら、僕がお世話をする花壇を作ってほしいです。僕が専用の花を育てて、来年の春にまた兄さんと兄様に冠を作りたいです)