中今とはなにか
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)三尾投稿記事
ある哲学者によると、「嫉妬」というのは4度の苦しみを伴うそうです。
まずは自分が仲間はずれというか疎外されたことへの苦しみ。これが嫉妬を呼び覚ますものですが、ここで終わりとならないようです。
次に自分が嫉妬という感情に囚われていることの苦しみ。自分の嫉妬が愛する人を傷つけるという苦しみ。そして最後に自分がそんなありきたりで俗っぽい感情に負ける人間であることを知る苦しみ。妬みややっかみは、ぐるりとまわって、自己嫌悪や自己否定につながるものとなります。
嫉妬だけではないですね。俗に言う、マイナスの感情。その中でも怒りは自分に盛る毒とすら言われます。
「この世には三通りの人がいる。それは、水に書いた文字のような人。砂に書いた文字のような人。岩に刻んだ文字のような人である」。
怒りを文字になぞらえてお釈迦さまが諭しています。
水に書いた文字は流れて形にはならない=他人の悪口やイヤな言葉を聞いても心に跡を留めず、さらりと手放してしまえる人。
砂に書いた文字は、風で消え去ってしまう=腹を立ててもしばらくすれば、心の中から消しさることが出来る人。
岩に刻んだ文字は? いつまでたっても怒りは消えることなく心に傷のように刻む人。
情報と言いますが、人は、自分の求めるものは敏感に見たり聞いたりするものですが、関心のないことは目にも耳にも入らないものです。見たいようにものごとを見て、聞きたいように言葉を聞いて、都合よく「解釈」しています。自分というフィルターをかけたものを正義と主張して嫉妬したり怒りを覚えたり。その正体は、結局自分というフィルターですね。
年齢を重ねて頑固になる人もいますが、考えてみると、いつでも今日を生きる「初心者」です。そして、初心者は未熟であるものです。それを受け入れる素直さが成長というものだと思います。いくつになっても・・・。
Facebook出口光さん投稿記事〈中今とはなにか〉
「今に生きる」という言葉を聞いたことはありますか。
英語で言えば。「Here and now.」
禅でも、「今この瞬間しかない」と言われます。
でも本当に「今この刹那しかないのでしょうか」
私はそうは思いません。
日本には、「中今」(なかいま)という言葉があります。
古来、日本人は先祖を敬い、未来の子孫のことを考えて、今を生きてきました。
それは、悠久の過去から永劫の未来を含む真ん中の「今」という意味です。
過去も未来も、今ここに同時に存在しているのです。
これは現代の量子力学で明らかになってきたように、量子のレベルでは現在から未来や過去に影響が与えられるというのです。
私は、悠久の過去からの先人の知恵を借り、さらに自分の想いを未来に伝えようとこの文章を、書いています。
あなたも、今この刹那に生きるのではなく、今日は、過去と未来を含んだ中今に生きてみませんか。
どうやって?
志を持つことです。志は、永遠の命を持っています。
たとえば、「人を育てる」という志は先人もやっていますし、私もあなたもやっています。
そして、そのバトンを受け継ぐ人たちがいる。
つまり、志は、過去も、現在も、未来も生き続けているのです。
私たちの身体は有限ですが、志は生き通しです。
志を持ったそのとき、あなたは肉体を超えた存在になる!
過去から何を得て、そして未来に何を伝えたいですか。
https://ameblo.jp/197001301co/entry-12497819479.html【今を生きる抒情 その一】より
今を生きる抒情
① なぜ〈抒情〉か
「俳句」と「抒情」ということをなぜ改めて問うてみたくなったか。
「滝」の創刊主宰、菅原鬨也の作品です。
草おぼろ傷つきにゆく乳房かな 鬨也 もう誰もははを叱らず桐の花
枯れきつて教会の白かなしけれ
また、菅原鬨也の師、藤田湘子の句
愛されずして沖遠く泳ぐなり 湘子 揚羽より速し吉野の女学生
うすらひは深山へかへる花の如
言うまでもなく「抒情的」な作風です。
ところが、俳句という文芸で「抒情的」であることは、時にあまり良いイメージを持たれません。
現代詩の分野で「あの人はムード派」という場合、褒め言葉というよりは一種、侮蔑の意味合いが含まれます。
俳句における「抒情派」と呼ばれる人は、現代詩の「ムード派」の立ち位置に近い扱いなのでしょうか。
俳句が「抒情的」であることは良くないことなのでしょうか。
そもそも俳句は「抒情詩」ではないのでしょうか。
それらの事をみなさんと改めて考えてみたくなったのです。
②しらべよき歌
こんな句があります。 しらべよき歌を妬むや實朝忌 阿波野青畝
ここで青畝がどんな作品を「妬んだ」のか興味のあるところではありますが、なぜ青畝は「妬んだ」のでしょうか。
大雑把に言ってしまえば、「俳句」は五・七・五という便利な十七音の器に、「季語」と「自分の言いたいこと」を流し込んでしまえば誰にでも作れる、成立してしまう文芸とも言えます。
そしてさらに誤解を恐れずに言えば、そこに盛られた「内容」が「ほどほど」のものであっても、「しらべ」が良いと不思議な説得力を持つ、という不思議な文芸でもあります。
青畝が「妬んだ」句。「妬む」というのは「羨む」より、さらに強い感情であると思います。
「しらべ」が良かったばかりに句会でたくさん点が入った、師に褒められた。
青畝が幼い頃から耳を患っていた、ということもあながち無関係ではないかもしれませんが、「しらべ」の良さが嫉妬をうむほど、日本の詩歌において「しらべ」がいかに重要であるか、をこの句は如実に物語っている様に思います。
一方、俳句は目新しく新鮮な句材で詠まれていても、措辞がよろしくないと見向きもされない。その逆もまたしかりで、「内容」と「しらべ」が完全なる一致をみた時、内実ともに素晴らしい作品となることはここで改めていうまでもないでしょう。
そして人が俳句作品を「抒情的だ」と評する時、この「しらべ」は必ずセットになってついてくるように思います。
https://ameblo.jp/197001301co/entry-12497820100.html 【今を生きる抒情 その二】より
③そもそも「抒情」とは
「抒情」を辞書でひくと「自分の感情を述べ表すこと」と出てきます。
「抒情」は英語で「lyrical」(リリカル)。「抒情詩」は「lyric」(リリック)。
そもそも「lyric」は「lyre」(リラ)というギリシャの琴に由来しており、この「lyre」に合わせてうたう歌を「lyric」と言いました。
抒情詩はその発生をそもそも「音楽」に置いていました。
こころのままを旋律にのせてうたう、今日の抒情詩の出発点はここにあります。
ここで、今回「抒情」について考えてゆく中で、紹介したいことばがあります。
「あらゆる芸術は音楽の状態を憧れる」。イギリスの文筆家ペイターの論文の中の一節です。
これはどういうことなのか。
このことばは、詩歌において「音楽性」「リズム」「しらべ」がいかに大切か、という単純なものではなく、ペイターの芸術全般の理想にかかわる有名なフレーズなのです。
ペイターのことばをそのままひきましょう。
「理想的な詩や絵においては、作品の構成要素が渾然と一体になっているため、内容あるいは主題が理知を動かすだけのこともなければ、形式が目あるいは耳を動かすだけのこともない」。(『ルネサンス』所収「ジョルジョーネ派」)
「内容」と「形式」の一致こそ、芸術の理想だと説きます。また、この「内容」と「形式」が「完全に融和」しあっているものこそが「音楽」なのだといいます。
そして芸術の中で「音楽」だけが完全にこれを「実現している状態にむかって努力している」と言い、さらに大胆にも、芸術作品における批評家の仕事とは「音楽」にどれだけ接近しているか、を探ることだと述べるのです。
この論文の中で、「抒情派」の流れをくむ作家たちに注目すべき一文があります。「抒情詩は、内容そのものから何かを取去ることなく内容を形式から分つことが最もむずかしい点からして、詩のなかで最も高く完成された形式だということになる。」と。
逆に言えば、内容と形式が分断されてそれぞれが別の方向を向いてしまえば、抒情詩としては認められない、ということになるでしょうか。
「抒情詩」とは、そもそものルーツが「音楽」にあること、ペイターによれば「音楽の状態」こそが芸術の理想であり、「詩」の中では「抒情詩」がそれに近い、ということがおわかりいただけたでしょうか。
④わが国の抒情詩の発生と俳句
ここでわが国における「抒情詩」の発生に少し触れたいと思います。
「抒情詩」という言葉が初めて日本で用いられたのは、明治三十年、国木田独歩、田山花袋らによるアンソロジー『抒情詩』だと言われています。また同時代の島崎藤村、与謝野晶子などもまちがいなく抒情詩人といえるでしょう。
しかし、その発生自体は古く『万葉集』時代までさかのぼります。記憶にあたらしいところでは「令和」の元号の典拠となった
梅花の宴
初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫らす
などを挙げれば最も親しみやすいでしょうか。
この抒情性は勿論『古今集』『新古今集』にもひきつがれますが、民間にうたわれた民謡なども広義の抒情詩として差し支えないでしょう。
この「抒情」は俳句よりは短歌に引き継がれた、とするのが一般的ですが、それ以前の以下の芭蕉の句などはどうでしょうか。
行く春や鳥なき魚の目は泪 さまざまのこと思ひ出す桜かな
この秋は何で年よる雲に鳥 秋ふかき隣は何をする人ぞ
海くれて鴨のこゑほのかに白し
これらの句から立ちのぼる抒情性はいかがでしょうか。善かれ悪しかれこれらの「抒情」が今日の俳句的抒情の下敷きになっていると言っても過言ではないと思われます。特に「海くれて」の句などは「しらべ」の面からも、句またがりの独自のリズムに芭蕉特有の抒情が横溢しているように感じられます。
俳句はその短さゆえに、自己の内面を直接表す「うれしい」「さびしい」「かなしい」と言ったことばを入れずに作るのが理想、とは特に初心者向けの入門書などでは必ず見かける文言です。
自己の内面の感興を「モノ」に託して表現する、それが俳句の理想である、と一般的に解されます。
俳句の抒情を評価する際「硬質な抒情」という表現をよく目にします。
「硬質」と「抒情」。一見相反するこの表現にはじめて触れた時、少々違和感をおぼえましたが、例えば山口誓子の
夏草に汽罐車の車輪来て止る 誓子 夏の河赤き鉄鎖のはし浸る
冬河に新聞全紙浸り浮く などは「硬質な抒情」と表現する他はなく、また、
寒や母地のアセチレン風に欷き 秋元不死男 眞處女や西瓜を喰めば鋼の香 津田清子
萬緑や死は一弾を以つて足る 上田五千石
などの作品もまさしくこの「硬質な抒情」に彩られているといえるでしょう。即物的手法が用いられ、表現自体はやや抑制されていながら作者の内面が十七音の器から横溢しているように感じられます。
俳句は、短歌の「七・七」にあたる部分がないので、心情を直接述べる余裕がない分、より「モノ」に即して表現しなければならない宿命があります。
しかし、よくよく考えれば、直接「うれしい」「かなしい」と表現するより、「モノ」に即してそれを表現するためには、より深い凝視、および抑制が必要であり、作句するとは自身の感受性が一句ごとに試される厳しさを含有しているといえるでしょう。
簡単に出来るゆえ、その事がおざなりになってしまうのは、私自身が俳句の実作者として常々反省しなければならない点でもあります。
その詩を生む感動の「源泉」は、短歌も俳句も変わりはないと思いますが、俳句の場合はより、物の本質に肉薄してより深く「感じ」なければ、「モノ」に即して描くことは難しい。
先の山口誓子に「俳句・その作り方」という文章があり、その冒頭が印象的なので引用します。
「私の俳句の作り方を、図式で現わせば、至極簡単である。感動が先立たねばならぬ。感動は「ああ」という叫びである。感動は自己と事物の出会によって起る。事物と出会って、思わず「ああ」と叫ぶその叫びから、俳句は生まれる。」(『自選自解 山口誓子句集』白鳳社 1969年)
客観的に描く事、写生する事はともすればそこに「自己」がないかと思われがちですが、その客観的事実を切り取るのは、まさしくこの自己の「ああ」という感動の深さなのではないでしょうか。
その「ああ」が強ければ強いほど、描かれた「モノ」が質感を伴っていきいきと俳句作品に浮かび上がってくる。ごく当たり前の事ですが、俳句を作っていると不思議とこの事が頭から抜け落ちてしまうように思うのです。
事物を良く見ず、季語を弄び機知に溺れ、目新しさのみを追って「俳句のために俳句を作っている」という状態に疑問を持たなくなったら、それは表現者としての資格を失うことでもある、と私は自戒の意味も込めてここに記しておきたいと思います。
https://ameblo.jp/197001301co/entry-12497821046.html 【今を生きる抒情 その三】より
⑤主観と客観
俳句をうむ「ああ」という感慨。
まず初めにこの「ああ」という主観があって俳句が生まれます。
その「主観」を「客観」的に「モノ」に即して描くのが俳句の手法だということもできます。「客観」的で「モノ」に即している例として、「俳句的」と感じたさくらももこさんの詩を紹介したいと思います。
「たかし君」
いじめられている たかし君が 泣いている。
たかし君のシャツは きいろくて 小さい小鳥のマークが ししゅうしてある。
そでが よごれているよ。
たかし君の おかあさんが たかし君のために 着せてくれたシャツ。
(『まるむし帳』集英社文庫)
ここでは「たかし君」のシャツの「小さい小鳥のマーク」を描く事で、いじめられているたかし君の「おかあさん」の気持ちにまで読者を肉薄させるしくみになっています。
「小さい小鳥のマーク」が「モノ」であり「客観」です。この「客観」は、いじめられているたかし君に激しく心を揺さぶられた作者の「主観」 が源泉となっています。
「かわいそう」という言葉をひとつも発することなく、その気持ちを読者に生々しく伝えています。
俳句は「主観」を表に出さずより「客観」的に描くのが基本ですが、「主観」が表に出た俳句も数多く存在します。
虚子の『俳句の作りやう』にわかりやすい例がありました。
虚子は、俳句の作り方として「じっと眺め入ること」と「じっと感じ入ること」のふたつがあると言い、自句をひいて、「じっと眺め入る」結果出来た句として、
一つ根に離れ浮く葉や春の水
「じっと感じ入る」句に、生涯に二度ある悔や秋の風 勝ちほこる心の罅や秋の風
等を挙げて説明しています。
「客観」「主観」という分類でいえば、後者がまぎれもなく「主観」的な句であり、作者の心情がそのまま句に詠み込まれています。
この「心情がそのまま詠み込まれた句」「言いたいことがそのまま詠み込まれた句」というものも俳句には数多く存在します。
泣く時は泣くべし萩が咲けば秋 山口青邨 羅や人悲します恋をして 鈴木真砂女
百千鳥ほんとうは来ぬ朝もある 宇多喜代子 自我のなきものは去るべし青嵐 鷹羽狩行
流星やいのちはいのち生みつづけ 矢島渚男
〈桐一葉日当たりながら落ちにけり 虚子〉〈金剛の露ひとつぶや石の上 芽舎〉〈くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 蛇笏〉これら「客観」の句に加え、上記の様な「主観」的な思いに、季語をあてがって個人の思いを「普遍」化する方法も俳句の王道的な作りと言えるでしょう。
萩原朔太郎の『詩の原理』という評論集に「主観と客観」という文章があります。
朔太郎はここで、芸術作品を「主観主義」と「客観主義」に分類し、主観主義の典型が「音楽」、客観主義の代表が「美術」であるとしています。「主観主義」は「情熱」「抒情」「短歌」、「客観主義」は「静観」「叙事」「俳句」だとも述べています。
しかし、「叙事」とともに「客観主義」に分類している「俳句」ですが、おおまかには朔太郎も俳句を「抒情詩」にカテゴライズしているようです。
「西洋の詩は、一般に観念的・冥想的であるけれども、日本の詩は極めて現実的で、日常生活の別離や愛慕に関してゐる。特に俳句の如きは、就中、レアリスチックの詩であって、殆ど自然の風物描写と、日常茶飯事の詠吟を以て事としてゐる。思ふに世界に於て、日本の俳句の如く現実主義な抒情詩は一もなからう。」(「特殊なる日本の文学」傍点筆者)
朔太郎の分類とそれに連なる文章からも、「俳句」は「主観主義」「客観主義」両方の面を併せ持つ文芸だといえるのではないでしょうか。
「しらべ」的には「音楽的」要素があり、「形式」的にはより客観的で「美術的」である、それが俳句なのだと思います。
また別の文章で朔太郎は、「芸術は感動によって生れる。文学をはじめ美術、音楽の作曲も、自然もしくは人生に対して作者が何らかの主観的感動をもつことによってのみ初めて創作される」とも述べており、これは先の誓子の俳句の作り方とも同様のものであって、俳句もまた「文学」とする以上、「主観」がその創作の源にあることは間違いないと言えるでしょう。
そしてこの「主観」を源泉とした一句に「しらべ」を伴ったものが、「抒情的」な俳句ということが出来、また俳句は抒情的であることで、ペイターの芸術の理想概念である広義の「音楽の状態」に近づけるといえるのではないでしょうか。
もちろん、西洋と東洋の「抒情詩」の在り方が、西洋ではキリスト教的宗教観や倫理観の裏付けがあるのに対し、日本では無常観、わび、さびといった独自の東洋的虚無感に端を発している、という決定的な違いがありますが、この件に関しては別の機会に稿を改めることとします。
⑥これからの抒情句
角川『俳句』5月号、鴇田智哉氏による平成の俳句及び俳壇を振り返った「俳句の不謹慎さ、そして主体感」の一文は興味深いものでした。鴇田氏はこの中で「俳句」と「災害」に触れ、災害が詠まれた事で、俳句がそもそも持っている「不謹慎さ」が「顕在化」したのではないか、と述べています。
私もこの件に関しては非常に共感できる部分が多く、以前同誌で〈鎮魂の想いの詠い方〉というテーマが組まれてびっくりしてしまった事などもふと思い出しました。(そういったことをマニュアル的に学んでまで俳句を作る必要があるのか、とタイトルを見てがっかりしたのですが、内容的には執筆者の方々がそれぞれ真摯にこの問題に向き合っておられ、大変読み応えのあるものになっていました。)
以前にも「滝」誌上で書きましたが、私自身が「震災を詠めなかった」理由に季語や切字といった俳句特有の表現が、目の前の生の現実と著しく乖離していたことが挙げられます。
そして突き詰めればいわゆる「しらべ」を伴った「抒情的」な表現が震災をはじめ非常事態を詠むには最も適さないこと、抒情的なしらべが「客観」でなく著しく「傍観」者的態度を生むことへの生理的嫌悪感が震災を契機にあらためて認識されたことが挙げられます。
その表現がいわゆる「こなれ」て、いればいるほど、傍観的態度が強くなり、嫌悪感が増します。
日本の近代詩のなかで「現代詩」の成立時点を「戦後」とする一般的な解釈に基づけば、戦争でこれまでの価値観が一掃されたなか、それぞれの表現を必死で模索した当時の詩人たちの「もがき」を、「震災後」の私たち俳人にもあてはめることが出来るのではないでしょうか。
災害を詠む際には、いわゆる「抒情的」といわれる「しらべ」を伴った表現は適さないかもしれません。
しかし、現実に触発されて起った作者の内面の「もがき」や「葛藤」を「しらべ」を通して詠む事自体には実は何の罪もない。
要は作者が「どのような」表現方法を選択するかにかかっているのだと思います。
季語およびそれをとりまく世界が、震災によって一度こなごなになってしまった。
このこなごなになった世界を、既存の「しらべ」にのせて詠うことに著しい錯誤感があるのです。
私たちが目指すのは、既存の表現に寄りかからず、自分の脚で立って、自分の目で現実を見て、自分のことばで自分の「抒情」を打ち立てることなのだと思います。
具体的には季語や切字、助詞の使い方、リズムといった修辞上の問題から、何をもって「詩」とするのかという根本的な問いまで掘り下げていく必要があると思います。
それを成し遂げるには、あくまで自身が「人生の当事者」であることだと私は思っています。
たいせつなのは感動すること 愛すること 希望を持つこと 打ち震えること
生きること 芸術家である前に、人間であること ~ロダン
「客観的」ではあるが「傍観的」であってはならない。
改めて言うのもはばかられるようなごく当たり前の事ですが、決して傍観者であってはならない。
俳句における新しい抒情表現を目指す者に一番大切なのはここなのではないか、私はそう思っています。