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「前向きに生きる事に疲れたら読む本」を読んで分かった事それは人生を棒に振る位に楽に生きた方が良い、そうすれば寿命が来て死ぬ時も楽に苦しむ事無く楽に死ぬ事が出来る

2023.04.10 09:39

前向きに生きる事に疲れたら、後ろを向いても良い。

皆さんどうもこんにちは、ブログの更新を始めたいと思います。

本日は、禅僧である南 直哉さんの、「「前向きに生きる」事に疲れたら読む本」

をご紹介いたします。 


南さんは僧侶と言うお立場ですが、仏教その物をこの本で伝えるのでは無く、

仏教と言うツールを使って拘りや執着から起こる苦しみの正体を知りその取り扱い方を身に付ける本だと仰っております。 

現代はとても便利な時代ですが、その一方でとても複雑な世の中でもあります。

何処か何かが満たされ無い、トラブルが特にある訳では無いけれど、

何処と無く人生が息苦しいと言う違和感が捨てられ無いこう言った悩みを抱えて生きている人達が少なからず入らっしゃると思います。

今この記事を見ているあなたもそうかも知れません。

然し、この本を読み進めて行くと自分の置かれている状況を全く別の視点から捉える事が出来るかも しれません。

今日はそんな人生論から本のタイトルにもある様に、特に前向きに生きる事に疲れた方が肩の荷を下ろして元気になれるお話を中心にお伝えします。

是非最後まで楽しみに読んで言ってください。

さあ本日ご紹介する内容は以下の3つです。

第1章 あなたが大切にしている自分とは何か。
第2章 夢や希望と言う重荷を降ろす 。
第3章 感情に振り回され無い為に。

どれもとても大切な内容です。

この時代を生き抜く為に是非最後まで読んで見て言って下さい。

それでは早速始めたいと思います。

第1章 あなたが大切にしている自分とは何か。

さあこの自分とは何か。

何だか哲学っぽい質問ですが改めて問いかけられると自分って言うとそりゃ〇〇って言う名前で 何歳で何処に住んでいて何処に勤めていて家族は何人いてと言う、

自分を特定している属性がまず思い浮かぶかと思います。

また他にも肉体に宿る魂とか心とか体と言う言葉が思い浮かぶかも知れません。

然し、著者はもっと違った角度から自分と言う物を定義しているんです。

その考え方を3つのポイントから整理して説明して行きましょう。

1、自分を大切にする事を辞める生き方

自分を大切にする事を辞める、最初から著者は私達が普段良く言われている自分を大切に仕様と言う言葉と真逆の事を言っておられます。 

著者の元に人生相談に来る殆どの人が自分と言う存在がちゃんとあってその自分を大切にしなければなら無いと思っている。

ですが著者はその考え方その物が勘違いだと言っておられます。

確かに翌々考えて見ると自分と言う存在はとても曖昧で不安定な物です。

自分と言う存在は自分自身の記憶と他人からの承認、この2つがあって初めて認識出来る物です。

自分自身の記憶が無くなって仕舞えば、自分と言う存在は誰かは分から無くなります。

また周りの人全てがあなたの事を別人のAさんだと言い出したらあなたはAさんとして生きるか。

精神を病んで仕舞うか、自死するか、その選択しか無くなるんです。

それ程自分と言う存在は脆い存在何ですよ。

つまり普段私達が自分と呼んでいる物は突き詰めれば自分自身の記憶や他人との関わりで成り立っている存在に過ぎない、そんな曖昧な存在何です。

ですので、そんな大した根拠も無く存在する自分を大切にすると、

言う事はあまり意味が無い事何だと仰っております。

自分はこの世に、たまたま生まれて来た存在である。

そして生まれる日も場所も性別も体の特徴も自分で選べた訳では無い。

名前だって親に勝手に決められた物です。

そもそも、この世に生まれたいと自ら望んで生まれて来た訳でもありません。

こう考えると、自分と言う存在自体が重要な物では無い様に思えますし、

自分で選択した物は何も無いんだと気づかされます。

私達は、この世に、たまたま生まれ他人から自分にさせられて仕舞ったんです。

その自分が安心出来る為には人から認められ、褒められる、必要があるんです。

その為人間の最大の欲求は他人から承認されたいと言う物になるんです。

そこに苦しさを感じているそう言う人が少なからず入らっしゃると思います。

無理やり自分にさせられた自分と折り合いをつけ苦しさに立ち向かっているのですが、

その苦しさに立ち向かうのでは無く、

その状況を調整しやり過ごして生きて行くと言う生き方もあります。

著者はそう言う生き方をこの本で語ってくれているんです。

他人から勝手に与えられた自分を過度に重要し守って行こうとする。

そう言う生き方を一度考え直して見ましょう。

2、 生きる意味は見つけ無くても良い。

なりたい自分になら無くて良い人は自分で望んだ訳でも無いのに、

生まれて来て何の根拠も無い人生を生きて行かなけねばなら無い。

釈迦の諸行無常の教えを著者はそう解釈しています。

つまり 生きる事自体に意味何て無い。

自分の存在には確かな根拠が無い。

人の存在には確固たる根拠等無いと、こう考えているんです。

それが分かれば意味のある人生とか有意義な人生こう言った人生を送らなければなら無いんだと、

肩肘張って頑張ら無くても良くなります。

そんな意味のある人生とか有意義な人生と言う物は、そもそも存在し無いかもしれ無いんです。

生きる意味を見つけなければと躍起になる必要もありません。

そう生きる意味何て探す必要は無い、

生きる意味何て探さなくても人は十分に幸せに生きていけるんです。

そんなこれまでの自分の視点とは別の見方に気づく事が出来れば今まで見ていた景色がガラッと変わります。

それを提供出来るのが仏教何だと著者は言っておられます。

 自分の存在が、たまたま生まれてきた借り物に過ぎ無いと分かるとその借り物の自分を引き受け如何にか元気付けて大丈夫だよと励ましながら人生を終えるその最後の日迄、この世を渡って行くそう言う生き方もあるんです。

自分の存在と言うのはただの借り物に過ぎ無いその借り物自身を元気付けて行くんです。

さあなりたい自分になると言う言葉があります、今の自分では無くて憧れの自分になると幸せに生きる事が出来るんじゃ無いかと言う考え方です。

しかし自分と言うのは、自分自身の記憶と他人からの承認で規定される作り物に過ぎません。

ですので、そのなりたい自分処かこの自分と言う存在も良く分かりませんよ。

本当の自分になる、ありのままの自分になる、

と言う考えもありますがこれも同じです。

では、本当の自分とは一体何でしょうか?。

ありのままの自分とは一体何でしょうか?。

何を基準にその自分が本当だとかありのままだとか言えるんでしょうか?

判定する方法が無い事に気づくはずです。

そう言う生き方を目指しても結局は記憶と他人の承認の中を彷徨い自分は果たしてこれで良いのだろうか?。

と葛藤しているだけになるだろうと著者は言います。

忠実した毎日を過ごしたいんだとか、人生をもっと有意義に楽しく明るく元気に過ごしたいんだと言う気持ちは分から無くは無いですが、そう考えて苦しいのであれば、そんな物語からは降りても良いんです。

今の人達はそうやって意識して自分の人生に価値を見つけ様としてとても力んで生きている感じがするんですよ。

より良い人生を生きなければなら無いと、

思い込み人に勝たねばなら無いと焦っているんです。

より良い人生とは一体何でしょうか?。

誰に勝たなきゃ行け無いんでしょうか?。

そう言った生き方は嘸かし苦しい事でしょう。

ですから、肩の力を抜いて大した事の無い自分を生きたってべつに良いんです。

 人と言うのは、価値のある人生を生きる為でも、人に勝つ為で無く、

たまたまこの世に生まれて来たんです。

人生を棒に振る位の気持ちで生きるのが丁度良い

そう考えると楽に生きる事が出来て楽に死ねるんです。

是非この考え方を取り入れて見て下さい。

3、 置かれた場所で咲け無くても良い

社会で苦しんでいる人が周りの人に相談するとそれこそ、カウンセラーの人からでも置かれた場所で咲きなさいと言うアドバイスを貰う事があります。

然し、あなたが今苦しんでいる置かれた場所と言うのは、

誰かに一方的に配置された仕舞った場所ですよね。

つまり、自分がたまたま生まれて来たのと同じ様に、

たまたま置かれた場所それがあなたが今のあなたが配置されている場所何です。

それを絶対的な物と捉えて然も、そこで咲きなさい何て言うのは、

捉え方によっては余りにも無慈悲で過酷な話では無いのでしょうか?

ちょっと極端な例になりますが、例えば南北戦争前のアメリカでも黒人奴隷として扱われていた黒人に対して置かれた場所で咲かなければならなかったのでしょうか?。

違いますよね、しかし自分が苦しい状況でもそこで咲きなさいと、

言われれば諦めが付くからそう言った言葉も最もらしく聞こえるんです。

仏教では全ての物事は一つの条件によって成立している仮の物と考えられています。

人間関係・仕事・家庭どれも一定条件でしか成立し無い曖昧な物ばかり何です。

例えば、会社で上司との人間関係が上手く行かなければ、それは深刻な問題になります。

しかしその職場を辞めて仕舞ったりその上司が何処かに転勤となったりするとその人間関係は途切れます。

家族ですら一緒にいるから家族ですが、離婚すると赤の他人です職場や結婚相手を自分で選んだとしても予想に反してたまたま辛い場所だったと言う事は良くある事何です。

そうであれば、もしあなたがその場所に居て今辛いのであれば、別の場所を探したって良いんです。またもう暫く其処にいるもうちょっと頑張って見ると決めて見ても良いんです。

自分で選択する事が出来るその考えが大切何です。

ブラック企業に囚われて辞める事が出来ない、そんな事は無いんです。

あなたは、あなた自身決定権を持っています。

自分で選択出来るそう思う事が大切何です。

自分の居場所が何処にも無いと言う人もいますが、居場所何て言う物は無くて当たり前何です。

全てはこの世と言うのは、仮の宿であり一時的な場所何です。

どんな場所もどんな人間関係も絶対では無いんですよ。

置かれた場所で咲無くても良い、ただやり方によっては、咲く事もあるそう言った程度の軽いスタンスで置かれた場所に入れば良いんです。

全ての話に対してトータルに言える事ですがある意味気楽に適当に考える余裕を持つ絶対的な物何て何も無いんだと知る事、それが大切な事何です。

さあそれではここまで

第1章 あなたが大切にしている自分とは何か。をまとめておきましょう。 

1、私達が自分と呼んでいる物は記憶や人との関わりで成り立っている存在に過ぎないのでそんな大した根拠も無く存在する自分を大切にすると言う事は余り意味が無い

2,人はやる気満々で生まれて来た訳では無いので人生を棒に振る位の気持ちで生きるのが丁度良く楽に生きられて楽に死ねる。

3、どんな場所も絶対では無いので丁度良く置かれた場所で咲け無くても別の場所へ移れば良いし遣り様によっては咲く事もあると言う楽な気持ちでそこに居ても良い。

第2章 夢や希望という重荷を降ろす。

著者がある中学校に講師として招かれた時夢や希望を持てと言う月並みな言葉をかけたのでは無く、次の様に語ったと言います。「現実では殆どの人間は夢に破れ挫折する、でも心配するな、例え夢が破れても挫折を味わっても、人は生きて行く事が出来る、その方がもっと大事な事だ。」

未来ある中学生に取っては身も蓋も無い話かも知れませんが、そのリアルな話に生徒達は明らかに話に食い付いて来たそうです。

実際に夢や希望と言ったこのキラキラした言葉をどの様に捉えれば良いのか?。

著者の語る内容を3つに分けて見て行きましょう。

1、夢や希望が無くても人は生きていける

長く生きて来た人なら分かると思いますが、人生では夢が叶わなかったり、

希望通りに行かなかったりする方がずっと多いです。

それは自分の親や周りの年配の人達を見ると良く分かる事だと思います。

勿論、夢や希望を持つ事自体は悪い事ではありません。

叶えた人も素晴らしいと思います。

ただ夢や希望を持た無いそれも一向に構わないんです。

夢や希望を持たなければなら無い何て言う法律は無いですよね。

殆どの人に取って夢と言うのはなりたい職業であってそれを通して自己実現したい、

そう考えているんだと思います。

然し。その考え方と言うのは、子供の頃から良く親や周りから大きくなったら何になりたいと言う様な質問と夢は大きく持てと言う様な刷り込みから始まって要るかもしれません。

そんな誰かに埋め込まれた考え方に縛られる必要はありません。

然も、夢を実現したいと言う自分がいて当然その物がこれ迄、

説明してきました様に非常に曖昧な存在です。

ですので、夢を追いかける事自体不安定な事が多いんです。

勿論、夢や希望を叶えて生きる人これも偉いです。

ですが

本当に強く偉い人は夢に敗れてもしぶとく生きて行く人何です

例えば、オリンピックで金メダルを取った選手は素晴らしいですがその影には血の滲む様な努力をしたのにメダルに手が届かなかった人やオリンピックに出場すら出来なかった人達が大勢います。

それでもその挫折感から立ち上がって再び歩き出す人そう言う人の底力は凄いんです。

そう言った経験は考え方の幅や強さと、なってその人の一生の財産となるはずです。

人間に取って挫折感はとても大事何だと著者は語ります。

何故ならその時、人は、挫折した時に人は損得勘定から離れられるから何です。

自分の欲を満たしたい、人から認められたい、自分の為になる事をしたい、

そういう得をしたいと言う思いから人は損得で動いている事が多いです。

然し、人生躓くとそんな財産等脆くも吹き飛んで仕舞うんです。

挫折を味わった時に損得から離れて自分が本当に大切にする物を見極め様とするんです。

そしてその見極めを行った後自分の努力が報われるか!。

如何かは分からなくてもまた歩き出す事が出来る様になります。

そんな人にはある種の凄みが、備わるんだと著者はいっておられます。

ですから、夢や希望が叶わなくてもがっかりする事等無いんです。

夢や希望が叶わなかったら人生は負け、そう言う訳じゃ無いんです。

人生の目的は夢や希望を叶える事では無いんですよ。

むしろ夢や希望と言うのはある意味麻薬の様な物です。

それが切れた時の禁断症状が怖い、

そんな思いでいつの間にかずっと夢や目標・希望に追い縋って居るかも知れません。 

もしあなたが夢や希望を持つ事に疲れていると、

感じているのであれば勇気をもって手放す事、これもまた一つの方法です。

そしてその夢の後ろに隠れている自分の本音に徹底的に向き合って見る事が大切です。

2、夢も夢を追う自分も徹底的に冷たく見る。

本当にその夢を叶える事が出来るのか?。

そ為為にリスクと犠牲を払う覚悟があるのか?。

ひょっとしたらダメかも知れ無いと言う冷めた目で冷静に考えなければ 夢は夢で終わります。

それでも。

叶えたい夢や希望があるなら冷たい夢や冷たい希望を持つべき何です。

冷たいと言う言葉は夢や希望との距離を自分自身できっちり測れる事です。

それが出来て初めてそこへ至る迄の手段を考える事が出来るんです。

それがイメージ出来なければただ漠然と○○になりたいんだ、

と言う夢を見ているだけでその先は無いでしょう。

本気でその夢を叶えたいのであれば、むしろ目標と言う言葉に変えた方が良いです。

そして上手く叶える事が出来たらそれで良し、

出来なかったら後は夢を断念するそのタイミングを見極める事が大切です。

つまり目標と言うのは断念する可能性をちゃんと織り込んだ上での夢の事何です。

冷たく見ると言うのと冷めた目で見るとは全く違います。

ダメかも知れ無いと言う事を想定の上で織り込んで、それを覚悟の上で見るのが冷たく見るのか?。

冷めた目と言うのは真だ余裕がある状態の事です。

目標はそんな風に徹底的に自分に対して冷たくなって追いかける物何です。

それを著者は「夢もその夢を自分も絶対0度にして始めよ」と仰っております。

これは如何言う事かと言いますと、ひょっとしたら自分に才能が無いかも知れ無い夢は叶わ無いかも知れ無い、そう考える事から始めると言う事です。

そうすれば安直な夢にコミットし無くなると言うんです。

夢が叶わなければ自分の人生は終わりだ、

そんな考え方からは抜け出して行きましょう

3、 生きているのも悪く無いなと思える人生を生きる。

夢は持っても持たなくても良いどちらを選んでも自分に手間暇をかけて過ごして行くのが良いです。あなたが生きる1日に良いも悪いも無いんです。

ではこれを日々是好日と言うそうです。

これは、日常を生きる上でこれに意味は無く毎日に良い日も悪い日も無いと言う事です。

一生を振り返って良い人生だったなぁとか、悪い人生だったなぁと言う様な考えは関係無いんですよ。

死に際して「まあそこそこの人生だったかな」、と思えればそれで十分なんだ。

と著者は語っております。 

そしてそんな死を迎えるには大切な自分から降りて、

他人に自分を開く事つまり損得勘定から離れて、

人との縁を結んで行く事が大切だと言っておられます。

多くの人は、取引と競争の中で生き自分を消耗させて疲れきって仕舞っています。

自分を高め人に勝って得をし役立つ自分や凄い自分で居なければなら無いと思い込み疲弊して仕舞っているんです。

あなたもそうでは無いのでしょうか?。

これが、まさに世間でも時々取り上げられている現代病又は文明病とも言えます。

私が私がとか僕がとか俺がとか自分ばかりを前面に出し自分自身の中心で物事を考える自分だけが得を仕様と考えているんです。

ですが自分を決定付けるのは他者との関わりにしかありません。

そこで、ちょっと見方を変えて自分の為、自分中心では無く人の為と考えて見て下さい。

それはもちろん他人の言いなりになると言う事ではありません。

他人と問題を共有して取り組む事を意味するんです。

それはやりたい事では無くてやるべき事目指すのはそこ何です。

完璧で無くても良いし我慢して良い人になれ自分を犠牲にしろと言う訳ではありません。

大切な自分や本当の自分、夢を叶えて生きると言った妄想から降りて 自分中心に生きるのを辞めて他者との関わりで成立している自分の存在を改めて知る事が大切何です。

そこを目指せば「生きているのも悪く無いなぁ」とか、「生きていて良かったな」、と思える日々を過ごす事が出来るはずです。

是非、今日から自分が得をする事を考えるのでは無く、

他人と自分と如何生きるのか?。

そこを考える様にして見ましょう。

さてそれでは

第2章 夢や希望と言う重荷を降ろす。をまとめておきます。

1、人生では夢や希望が叶わない方々が多く夢が叶わなかったとしてもそれは成長する良い機会でありがっかりする事は無い。

2,夢を冷たく見ると言うのは夢との距離を自分自身できっちり測れる事でありそれが出来て初めてそこへ至る迄の手段を考える事が出来る。

3、生きているのも悪くないなぁと思える様になるには大切な自分や本当の自分、夢を叶えて生きると言った妄想から降りて他者との関わりで成立している自分の存在を見極める事が大切である。

第3章 感情に振り回され無い為に

人間 関係の悩みを誰かに相談した時に相手を変えたければ、

まず自分が変わりなさいと言われた事はありませんでしょうか?。

然し、一度拗れた人間関係は、愛情や努力では如何なる物でも無いんです。

むしろ新たな苦しみを生むだけとも言えます。

幾ら努力しても人間関係と言うのは報われ無い事の方が多い。

そう思って於いた方が人生上手く行きます。

家族から国家までどんな集団であっても、人間関係の基本は政治つまり利害関係と力関係が働いているんだと見通す事が大切です。

第3章 感情に振り回され無い為に。

では記憶との格闘を辞め自分の問題を正確に見る、

具体的な方法や感情を扱う為のテクニックと考え方をお伝えして行きます。

これも3つに分けて説明して行きましょう。

1、感情との距離の取り方

人は他人の海で生きて行く必要がありますが、

その際にストレスや葛藤があると言うのは当然の事です。

その時、感情が揺れたり乱れたりするこれも当然の事です。

その時に大切なのは感情が心と言う器から零れ無い様にする事です。

その為に感情の振れ幅をある程度に収めると言う技術をご紹介致します。

まず、感情の波から一旦降りる頭で渦巻く感情や思考と言うのは、

医師の力で止める事が出来る物ではありません。

自分をクールダウンさせる為には体の方から

感情をコントロールする テクニックが有効です。

これは座禅がお勧めですが、日常生活の中では散歩や愛読書を読むお茶をじっくり味わう食事を一人で味わって食べる肌の感覚に意識を向けながらお風呂に入ると言った事があります。

少しマインドフルネスに近いですがこうやって、

何かに集中する事によって感情をコントロールする事が出来るんです。

続いてすぐに答えを出そうとし無い、自分の問題を他人が分かる言葉にして見ると解決の糸口が見えて来ます。

主語と述語を明確にして自分の置かれた状況や問題を整理するのが効果的です。

また怒りは何も解決し無い事を知り、

相手から距離を取ると言う事も大切です。

怒りが湧くと言うのは自分が正しいと信じているからです。

怒りに翻弄されたくなかったら、

自分が正しいと信じている事が本当にそうなのか?。

冷静に考える必要があります。

当座の怒りを鎮める為には、

怒りの相手から物理的に離れる事をお勧めします。

そして立っているのでは無く床に直接座って仕舞うこれも効果的です。

また怒りと言うのは、嫉妬や錯覚が生んだ感情何だと知りましょう。

嫉妬の根っこにある物は所有欲であり自分の物のはずなのに、

不当に奪われていると言う感覚が怒りや嫉妬を生みます。

冷静に見て見れば不当では無く自分の認識自体に錯覚があっただけ、

嫉妬から解放される為には、そこが理解出来るか如何かです。

そして最後、怒りや嫉妬が収まら無い時はルーチン作業をすると良いでしょう。

頭の中に怒りや嫉妬が渦巻く時は、首から上と首と言うから下を切り離すと言うイメージをすると、良いです。 

首から上の頭は感情の嵐が荒れるがままに任せる、

しかし首から下の体は淡々と日常生活を送るんです。

そうやって、怒りや嫉妬の感情をやり過ごして見れば頭の中で激しく渦巻いていた感情が 実はさほど大した事では無いと分かります。

是非この方法を試して見て下さい。

2、人脈も友達も、要らない

本来人が生きて行く為には、必要な人間関係と言う物があります。

ですが、その必要な人間関係と言うのは極々小さく限られています。

多すぎる友達と言うのは、新たな悩みやストレスを生み出し疲れさせて仕舞うだけ何です。

考えて見て下さい、あなたは自分に取って本当に大切な人と言うのはどれ位いますでしょうか ?。

精々10人程度で多くても20人位では無いでしょうか?

自分の生き方や在り方を決定付ける人間関係と言うのはそう多くは無いんです。

人が生きていく為に必要な人間関係は極々限られているこれを知る事が大切です。

友達が要らないと言うのは暴論の様に思えますが、著者は次の様な理由を挙げて説明しています。

「友達を作ると人は如何しても相手と良好な関係を維持仕様と努力する、友達に自分を分かってもらいたい、感謝されたい、認めてもらいたい、と思って仕舞う」この自分の思いを思惑通りに受け取ってもらえば良いんですが、いつもそうだとは限らないですよね。

コミュニケーションと言うのは、いつの時代も行き違いが新たな悩みやストレスを生んで仕舞います。 

特に多すぎる友達はそれだけ多くの人間関係を、

維持しなければならないので心を疲弊させ精神的な健康を害して仕舞うんです。

今の世の中SNSが流行していますがそこで繋がるだけの関係何て一切無くても大丈夫です。

友達を作ろうとしなくても自分自身のやるべき事をやっていれば必ず自然と友達は集まってきます。

同じ様なテーマや同じ様な心情を持つ人間がそれを嗅ぎ分けて人間関係が自然と出来上がってくるんです。

そんな相手とは年に一度しか会わない関係であっても合えば深く通じる物があるんです。

無理して人間関係を作ろう友達を作ろうとし無くても良いんです。

本当に大切な相手にはその様な自分が大切にしたい物が決まれば自分に取って必要な人間関係だけを調整して行けば良いので心が楽になります。

3、家族にも日々の労りや心遣いを示す。

人の御縁と言うのは手をかけ時間をかけなければ育ちません。

他人に対しては、誰もがそれなりに手間暇をかけるのでは無いでしょうか?。

ですが家族の場合は如何でしょう。

家族なんだから言わなくたって分かるだろう。

そう思って仕舞いがちですがそうは行か無いんですよ。

水をやり肥料をやって手をかけ無いと美しい花が咲か無い様に、

家族へも日々の労りや心遣いが必要です。では如何すれば良いのか?。

改めて聞かれると戸惑う人も居らっしゃる人もいるかも知れませんが、

人として当たり前の事をすれば良いだけです。

つまりお礼や挨拶をきちんとする事何です。

お早う、御休みと朝晩に挨拶をする、食事を作って貰ったら有難う、ご馳走様美味しかったよ、とお礼を言うこの様な当たり前の事が果たして出来ていますでしょうか?。

家族の間では、ついついこう言った事を忘れがちです。

今一度初心に還ってやって見ましょう。

それだけで見る見る内に家族関係が良くなって行くはずです。

嘘だと思ったら是非、照れ臭くても一度やって見て下さい。

家族のあなたの見る目が変わるのは 間違い無いと言えます。

家庭の間にストレスがあると知らず知らずの内に、

その人に取って決定的な問題になっていまます。

表面上は元気に過ごしている様に見えても内面で、

深い問題が進行する事になって仕舞うんです。

そしてその問題がいざ表面化した時その時に手を打とうとしてももう何もかもが遅いんです。

家族関係に手間をかけると言う事は、手を抜かずにコミュニケーションを取って行くと言う事で。

毎日水や肥料をやって花を育てる様に日頃から手間をかけて家族と言う関係を丁寧に丁寧に育てて行く必要があるんです。

繰り返しになりますが、この事は肝に銘じておいた方が良いでしょう。

まず日頃の挨拶を疎かにし無い、有難う、御免なさい、をきちんと言うこれだけで十分何です。

その上で相手に何かをして欲しいと思ったらまず自分がその様にして必要に応じて相手を褒めたり提案したり諭して見たりする事が大切です。

それでも、調整が上手く行かない時、はやり過ごす事も視野に入れて考えれば良い。

やり過ごせ無い程の負荷を感じるのであれば、例え家族であっても距離を置くと言う選択肢もあるんです。

自分が何を誰を大事にしたいか?。

それが分かっていれば、対処法はおのずと見えてくるはずです。

家族であっても重要視しすぎない、重荷に感じすぎない、

そう考えて楽に生きる事を意識して行きましょう。

さあそれでは

第3章 感情に振り回され無い為に。をまとめておきます。

1、人はストレスや葛藤によって、感情が揺れたり乱れたりするのは当然なので感情の振れ幅をある程度に収める技術を身に付ける必要がある。

2、多すぎる友達は新たな悩みやストレスを生み心を疲れさせるだけなので自分が大切にしたい物を決めて必要な人間関係だけを調整して行けば良い。

3、水をやり肥料をやって手を掛け無いと、美しい花が咲か無い様に家族へも日々の労りや心遣いが必要である。

如何だったでしょうか?。

今の複雑で気負いすぎる人生を生きている私達にヒントとなる様な言葉が沢山ありました。

得に重要な要点だけに絞って紹介しましたので、まだまだ為になるお話を読みたいと言う方は是非本書を手にして読んで見て下さい。

最後にも一度今回の書籍を紹介して終わりにさせて頂きます。

本当に、この本は生き疲れた人、

人生に疲れた人や鬱を患っている人、心が疲弊している人にこそ

読む価値のある本だと思いました。

自分も読んで見ましたが

特に「本当に強く偉い人は夢に敗れてもしぶとく生きて行く人何です。」

この文章を見て読んでいる内に涙が流れて来てきました。

もう片意地張らなくても良い、楽に生きたい

その様な思いを抱かせてくれた書籍はこの本以外にありませんでした

得に人生を生きる事に疲れ果てている人にこそ読んで貰いたい書籍です。

きっとこの本は精神を病んでいる人に取って、

心の重りを取り除いてれる最高の書籍だと思い自信をもってお勧めします。

今回の記事は以上となります。

こお記事お最後まで読んでくれた皆様に感謝します。

本間義昌でした。