オイスター・バー
【ショートエッセイ】
1980年の秋口。仕事先のサンフランシスコから急遽飛行機に飛び乗りNYに出向いて、作家の開高健さんに会いに行ったことがある。彼がアラスカから南米のアルゼンチンまで南米大陸縦断の釣りの旅をしている中途を捕まえたのだ。そのとき彼は『週刊朝日』連載の北のアラスカから南端のアルゼンチンまで北米大陸・南米大陸縦断釣り旅行記(後刻出版:『もっと遠くへ!』『もっと広く!』)で北米大陸を終えて、NYで一休みのあとまたぞろ南米大陸を目指すそのちょっとの隙間を貰ったわけだ。
コマーシャル出演のお願いに臨んだのだが、のらりくらりと彼の関西弁に易々と翻弄され、ビール瓶でうなぎを押さえ込むような思いをした。 ま、彼に時間的な余裕がないということだったのだが。
「カナダには本当にワニのようなカタチして、獰猛な魚がおって・・・」
「わたしも若くないので、ほとほと疲れましたわ。まだ半分なんやけど、もう放って日本に逃げ帰ろうかいなと……。でももう金もろうているし……」
「このNYのハドソン河にサケが遡ってくるの知ってはりますか?いやほんま。昨日わたし釣りあげましたんや。5匹もでっせ」
さすがに、ハドソン河にシャケというのは意表を衝かれて、なんか感動した。思わずその部屋から見えるその大河を見下ろしたものだ。
しかし、話を散らしに散らされて、ネゴシエーションは不調に終わった。こんなに濁されてしまってすっかり“ニゴシエーション”を喰らってしまった。
「貴重なお時間頂いてありがとうございました。それでは、本日は諦めて退散いたします。どうかお体を労わり、最後のアルゼンチンまで恙無きよう……」と暇乞いをして、しおしおしょんぼり部屋を立ち去ろうとした私の背中に・・・
「今日の夕食決めていますか」
「いいえ」
「それなら、グランドセントラルステーションの地下の『オイスターバー』をお薦めしますよ。昨日行ってきたんですが絶品です。是非とも…」
とネゴがダメだった詫びの代りの“おひねり”を手の中に押し込まれるように勧められた。それも見事に標準語に変換している。これだから関西人は油断ができない。
まあ、グルメでも高名な開高さんのリコメンドを無駄にすることもないだろう。結局はそこに足は向ってしまった。
ひどく広大なレストランにポツンとひとりでオイスターとクラム(開高さんのご推薦メニューであった)を食した。
退勤途中の人々などがワイワイガヤガヤと楽しんでいる横での一人ぽっちは孤独が余計に身に沁みる。
アメリカでは大体そうなんだが、ここでさえ砂出しがうまくいっていない。スチームしたクラムにバターソースをつけて口にほおりこむ。うまい。うまいが、口の中がジャリジャリザラザラ。
ネゴがうまくいかなかった苦いものもせり上がってきて、心もジャリジャリザラザラ。