かわりたいひと、わかりたいひと
わたしは現在、早稲田大学の公認演劇サークル「劇団てあとろ50’」に所属しています。
4月からはじまった新歓もあと少しでおわり、3週間後には仮入団員との新人訓練がはじまります。
WSや説明会に来てくれる未来の後輩たちを見ていて「わたしは去年の今頃なにをしていたたんだろう?」と思い返して、考えたことを今回は書こうと思います。
わたしが去年、演劇をはじめようと思った時の話です。
かわりたいひと
わたしは去年、かわりたいひとでした。
大学に入って1年間、わたしは普通の女子大生でした。
普通にお友達と遊んで、普通にバイトして、普通に授業をサボって、普通にハメを外して。
このまま4年間適度にサボりつつ普通に卒業して、普通にお金稼げるところに就職して、その先も普通に楽しく生きていこうかなあと考える、高校時代にイメージしていた通りの、普通の女子大生になりました。
それはそれでとっても楽しかったし、後悔はありません。
でも、とにかく普通で。
「変わりたかった」と言うと少しかっこいいけど、「変わったことがしたかった」と言う方がふさわしかったかもしれません。
これは、結構みんなと同じ、普通の理由ですね。
わかりたいひと
わたしは、わかりたいひとでもありました。
わたしは高校時代3年間、演劇部で脚本と演出をしていました。発表したのは9本、細かいものを含めると15本近く書いたり演出したりと、我ながら必死にやっていたなあと思います。
しかし3年間で、都大会に進めたことは1度もありませんでした。
高校演劇では年に一度全国大会というものがあります。全国大会に出場するにはまず地区大会→都大会(県大会)→関東大会(地方大会)と勝ち進まなくてはいけません。
都立高校に通っていたわたしは、倍率も高く強豪校も多い中で、せめて都大会に自分の作品を乗せることを目標にしていました。
けれど、先にも言ったようにわたしの高校は都大会に進むことはできないまま、わたしは引退し、卒業し、大学生になりました。
わかりたいひと、と言っておいてなんですが、実はそのときわたしは、わかりたくなくなっていました。
審査員に「なぜダメだったのか?」と聞きに行っても結局何がダメだったのかわからない。君の高校も良かったと言ってくれるなら、面白かったと言ってくれるなら、だったら都大会に出してくれ。評価してくれ。結果をくれ。
……と、今思えば、青!と思うようなことを本気で思っていました。
(高校時代に書いた本の中にあったセリフです。
青!)
もうわかんないや、ていうか、もうわからなくていいし、なんなら、わかりたくないや、と思って、わたしは演劇を辞めました。
そして大学に入り、作ることはもちろん観ることもきっぱりと辞め、普通に大学生活を送ることにしたのです。
でも、超つまんなかったです。
わからないままでいることを、わたしは受容できませんでした。
たった3年間かもしれないけど、それでも自分なりに必死でやったものを、わからないままでいたり、わからないことを良しとして処理することは、どうしてもできなかったです。
わからなくていいと思うなんて本当はできないんだ、ということに気づいたのが、演劇を辞めてから1年後、そして今から1年前のことでした。
かわったひと?わかったひと?
大学に入って演劇を再びはじめて、それでかわれたか、わかれたか?と聞かれれば、正直まだまだです。というか、全然です。
今のわたしがどれだけ普通(あるいは普通以下)で、どれだけ何もわからないかを見に染みて感じて、かわることやわかることがどれだけ難しいかを突きつけられています。
でも、かわりたいと思いつつ普通を肯定するふりをしたり、わかりたいと思いつつわかりたくないふりをしていた1年前よりはずいぶんと、比べ物にならないほど、わたしはわたしのことを好きになったと思います。
最後に
いつだって新しいことをはじめるのは少しだけ勇気がいるものだけど、あなたが今よりもっとあなたのことを好きになれるなら、それは素敵なことじゃないかなと思います。
演劇をはじめようか迷っているひとで、かわりたいひと、わかりたいひと、好きな自分に近づけるかもと思ったひとは、ここだ!と思うところでぜひ演劇をはじめてみてください。
そこが劇団てあとろ50’だったら、劇団員のひとりとしてとっても嬉しいです。
お会いできることをこころよりお待ちしています。