善立寺ホームページ 5分間法話 R⑨ R5.4.15日更新
「しあわせって」なんだろう―その②
前回に続いて「幸せって」なんだろうというテーマでお話ししたいと思います。
最初に、お釈迦様が説かれた『仏説阿弥陀経』という経典の中の言葉を紹介します。
「田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。牛馬などの家畜類や金銭・財産・衣食・家財道具、さては使用人にいたるまであればあるにつけて憂いはつきない……。また、田がなければ田をほしいと悩み、家がなければ家をほしいと悩む。牛馬などの家畜類や、金銭・財産・衣食・家財道具、さては使用人にいたるまで、無ければ無いにつけて、またそれらを欲しいと思い悩む。たまたま、ひとつが得られると他のひとつが欠け、これがあればあれが無いという有さまで、つまりは、すべてを取り揃えたいと思う。そうしてやっとこれらのものがみな揃ったと思っても、それらはほんの束の間ですぐにまた消えてしまう。」
お釈迦様のこのお言葉を、皆さんはどのように受け止められますか?。
以前に、人間の欲は、どんな山よりも高く、どんな海よりも深いと述べましたが、ここには、人間の貪欲さがわかりやすく述べられていますね。
私は、80代半ばを過ぎた後期高齢者ですが、幼児の頃から戦前戦後の貧しかった時代を振り返りつつ現代の暮らしを見ると、国民は想像もつかない豊かな暮らしの時代を迎えていると感じています。
田舎の家に生まれた私が子どもの頃は、お金を出してお菓子などを購入することは全くといって無かった。家の周りにある富有柿や御所柿や野苺、山ではイタドリを探して塩をつけて食べ、秋にはイナゴを取って焼いて醤油を付けて食べて空腹を満たしていた。田の中で獲ったドジョウやタニシの煮物が食卓の上を賑せていた。魚や肉を日常に口にすることは無かった時代である。ご飯の中にはお米は少なく零余子(ヌカゴ)やさつま芋が溢れていた。
現代は、衣・食・住などすべてに物が豊かになっている時代である。テレビの画面からは、人の心の欲望を駆り立てるかのようなコマーシャルが流され、新聞の折り込み広告は購買意欲をそそる食料、衣料、車、電化製品や化粧品などが溢れている。健康食品も、口にすればまるで不老不死に繋がるかのような歌い文句が並べられていて、スーパーやコンビニには買い物客が溢れている。
高校に進学するとき、父は、はたして通学に必要な自転車を買ってくれるのだろうかと心配していた。私が住んでいる地区内に電話のある家はお医者さんと新聞販売店と裕福な家の3軒のみであった。
今は田舎では、成人の多くの人が自動車を所持していて、家族全員が携帯を所持している超文明時代を迎えているが、社会の事象を見ると、文明に比例して精神文化が豊かになっているとは到底思われないことが多発している。
鎌倉時代に親鸞聖人が記された『一念多念文意』(いちねんたねんもんい)には次の言葉が記されている。
「凡夫とは、われわれ人間のことであるが、まことの智慧がなく、煩悩がその身にみとみちて、欲は多く、怒り・うらやみ・ねたむ心もやむことなく湧いて、いのち終わるときまで、とどまらず・消えず・たえぬのであると善導大師(註1)は水火二河(註2)の
たとえに教えられている。
※註1 善導大師 親鸞聖人が敬った中国、唐の時代の高僧。念仏往生こそが末法悪世の人びとのための本意であることを明らかにした
※註2 水火二河―人間が抱え持っている「貪欲・とんよく」を水の河に譬え、「瞋恚・しんに=怒りや憎しみを火の河に譬え、その大河の中に白道という救いの道があると説く教え。
これらの文を読むと、人間は、文化的には計り知れない豊かな暮らしを手にしてはいても、精神的には全く向上していないばかりでなく、むしろ退化しいるのではないかと危惧する事象が頻発していると思われる。
二河の中から脱出する手立て、方法はないのであろうか。
京都の観光寺院の「竜安寺」(りょうあんじ)は石庭で名高い。茶室近くにある蹲(つくばい)・手水鉢には次に記す言葉が石に刻まれている。「知足の蹲」として知られている。
中国の思想家・老師が記した「知足者富、強行者有志」から引用したと伝えられている。蹲の石には、「吾唯足知」という文字が彫られている。「吾ただ足るを知る」である。
「知足とは、足るを知る」で、人間だれしもが持っている欲深さを戒める教えである。
原文といわれる「知唯者富」は、足るを知る者、満足できることを知る人は富める」という意であろう。「強行者有志」は、努力を続ける人はそれだけて志を成し遂げるこができる、という意であろう。
人は、黄砂で汚れた車は洗い、衣服が汚れたら洗濯機を使い、床の塵埃は掃除機を使う。病に罹ればお医者さん行って手当をするが、日常、心のクリーニングやメンテナンスは放置したままではあるまいか。それでは、精神的な満足度や富める成長などはあり得ないのではないか。
身の回りの現象や身近に接している人たちについて、視点を変えてよくよく見つめ直してみると、いっぱいの幸せに包まれていることに気付き、「ありがたいことだ」と感謝することができる人の上に、幸せの光が降り注ぐと、私は考えています。
次回は、6月15日に更新します。「幸せ」についての3回目をお届けします。