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夕張太鼓保存会「竜花」支援サイト by 成人部

<番外編>『夕張暁鐘太鼓』

2018.05.27 08:57

『夕張太鼓★classic(クラシック)<番外編>』 ~夕張太鼓を楽しむための手引き♪~ 

『はじめに』

  夕張太鼓の魅力を少しでも多くの方に知って頂きたいと書き始めた「夕張太鼓☆クラシック」ですが、「夕張祈願太鼓」から「夕張男太鼓」までを夕張太鼓保存会「竜花」設立以前の夕張太鼓として、その魅力を勝手な解釈で書いてしまいました。

今回は、夕張太鼓保存会「竜花」と改名した以降の夕張太鼓の魅力を「番外編」として書いてみます。「竜花」以降の演奏は、いわゆる「クラシック」スタイルではないため、「番外編」という扱いにさせて頂きます事をご了承願います。

 

 

『夕張暁鐘太鼓』

1)「夕張暁鐘太鼓」誕生の背景

 前回も書きましたが、「夕張男太鼓」が作られた昭和52年の後、夕張太鼓は、昭和54年に全国3位という輝かしい成績で、全国に名を馳せたのでした。その数年後の昭和56 年。夕張市民にとって忘れることのできない悲しい事故がおきます。それは93名が犠牲となった北炭夕張新炭鉱ガス突出事故です。その翌年には北炭夕張新炭鉱が閉山となり、人口もみるみる減少していきました。夕張太鼓も打ち手が減少し、ついに昭和59年には「夕張太鼓の会」を解散しなければならなくなったのです。

 

 しかし、夕張太鼓の会を解散しても夕張太鼓という伝統文化の火を消さないよう、有志・商工会議所の懸命な努力のもと、市内の子供達を集めて、新生「夕張太鼓保存会」が誕生したのです。

「夕張太鼓保存会」が誕生してからも、夕張は炭鉱事故・災害の町、閉山によって疲弊した町として暗いイメージがつきまとっていました。そして、平成2年には夕張最後の炭鉱、三菱南大夕張炭鉱が閉山したのでした。

 

 夕張太鼓保存会も子供達を中心に市内の演奏活動を行なっていましたが、かつての栄光は影を潜めていました。しかし、新たな指導者となった青木裕行氏はその苦難の時代においても夕張太鼓の伝統の火を消すこと無く、保存会を存続するため、打ち手の子供たちに厳しい指導を行い、力を蓄えていったのです。青木先生は自らの想いをあまり語る人ではありませんでしたが、「全国3位になった夕張太鼓をいつかは超える打ち手を育てたい」、「夕張太鼓は全国に誇れる太鼓であるし、子供たちにもその力はあるんだ」と語っていたのを今も忘れることができません。

 そして、青木先生が考えたもうひとつの夕張太鼓復活のシナリオは、成人の部「竜花」の立ち上げだったのです。「夕張太鼓は大人の打ち手が頑張って行く事によって、子供たちも変わっていく。そして僕がやりたかった太鼓は、成人の打ち手で地元の皆さんに演奏を聞いてもらうことなんです」と語り、平成10年にそれを実現させたのでした。

 

 平成10年以降は、シンセサイザー奏者「喜多郎」さんとの競演に代表される大イベントの出演や、前回に語りました御諏訪太鼓の小口大八氏との出会いによる日本太鼓ジュニアコンクールの出場、そして夕張太鼓興起30周年・保存会設立15周年の記念演奏会の開催などを行い、「夕張太鼓☆モダニズム」時代に入っていったのです。

 夕張暁鐘太鼓は、そんな夕張太鼓の新しい時代の幕開けに作られた曲でした。実に夕張男太鼓から20年近くたった時の新曲なのです。

 

 

2)「夕張暁鐘太鼓」ってどんな曲?

 「夕張男太鼓」が作曲され、その演奏で全国3位となってから20年近くが経っていましたが、その間、新曲が作られることはありませんでした。それは「夕張男太鼓」が夕張太鼓を表現するのにあまりに完成された曲であった事と、保存会という夕張太鼓の伝統を守る事を主眼においた活動が中心だったため、新しい曲を作ることが出来なかったのです。

 しかし夕張太鼓興起30周年を迎えるにあたり、これまでとは異なる演奏活動にも対応できる新曲を求める声が多く出てきたため、青木先生は作曲に取り掛かかり、1年以上を費やして、平成12年に「夕張暁鐘太鼓」が完成致したのです。

 

 「夕張暁鐘太鼓」曲紹介文をみると、「夜明けの鐘の響き、人々の心の響き」とだけ書かれております。夕張太鼓ファンの方ならお気づきかと思いますが、この紹介文に何か違和感が無いでしょうか。それは、これまでの夕張太鼓にあった、炭鉱への祈りや炭鉱マンの力強さなどの表現が書かれていないのです。これは夕張太鼓としては魂が入っていない曲と言われかねない問題なのです。では、本当に夕張太鼓暁鐘太鼓には魂が無いのでしょうか。あらためて曲紹介を分析してみたいと思います。

 

 まず、「夜明けの鐘の響き」とはどのような事なのでしょう。それと「人々の心の響き」ですが、人々は心に何を響かせたのでしょうか。

 これまで、夕張太鼓の曲は、炭鉱への安全祈願や力強い炭鉱マンの姿を表現してきましたが、これまでの曲でほとんど表現され尽くされたと言ってもいいほどです。

では、まだ表現されていない炭鉱や炭鉱マンの姿は、どのようなものがあるのでしょうか。そこに「夕張暁鐘太鼓」のコンセプトが隠されているのです。

 

 話が少しそれますが、かつて炭鉱が栄えていた頃の夕張は、1年のうちで大きなイベント(=お祭り)が3回ありました。

 一つ目は「炭山祭り」です。5月の11日から13日の3日間、炭鉱が休みとなり、夕張神社の境内や本町には出店が並び、多くの人が着飾ってくり出し、各地域には神輿が練り歩き、獅子舞も出るお祭りでした。

 二つ目は「盆踊り」です。炭鉱町の盆踊りは有名ですが、仮装したり、電飾の前掛けで朝まで踊る姿は昔の写真でもよく出てくる光景です。人々はやぐらを囲み何十にも輪を作って朝まで踊っていたそうです。

 三つ目は「秋の運動会」です。これも盛大なお祭りと言えるもので、地域(地区)ごとの対抗戦で行われて、毎回大白熱したそうです。

 

 「夕張暁鐘太鼓」に話を戻しましょう。この曲はそんな炭都夕張の祭りにスポットをあてて作られた曲なのです。ヤマの男は仕事も遊びも全力で行う人達であり、その姿を表現することによって、夕張太鼓の魂が吹き込まれた新たな曲としたかったのです。

 

 

3)「夕張暁鐘太鼓」の演奏スタイルの謎

 ここからは、夕張太鼓「初めて物語」風に話を進めます。

 

 一つ目の「お初」は、夕張太鼓の曲では初めて「大太鼓2人+宮太鼓4人」というスタイルではなく、「大太鼓2名+小締(座)2人+宮太鼓(前列)3人+宮太鼓(後列)4人+手拍子(チャッパ)2人」というスタイルを取り入れた曲としたのです。(※今は、この構成を演奏場所や打ち手の状況により変えているようです) これまで私が勝手に「クラシックスタイル」と呼んでいた太鼓構成を大胆に変更しました。これは、夕張太鼓の原点を見詰め、かつ新しい時代の幕開けにふさわしい曲とするために必要なスタイルでした。そして、この曲の隠れたコンセプトである「炭都の祭り」を表現するためにもどうしても必要だったのです。

 

 二つ目の「お初」は「小締太鼓」です。これまでの夕張太鼓の演奏は炭鉱マンの荒々しさや力強さは宮太鼓と大太鼓で表現してきました。夕張暁鐘太鼓では、「神楽太鼓の勇壮さを取り入れた手法」という夕張太鼓の原点に戻り、小締太鼓を使用した曲づくりを考えたのであります。

 

 三つ目の「お初」は、曲の途中に宮太鼓の一人打ちパートを設けたのと、宮太鼓の配置を「二重」としたことです。一人打ちのパートは、夕張炭鉱太鼓の流れを取り入れつつも、さらに難易度の高い演奏となっています。スローテンポから徐々にスピードをあげたバチさばきとなる演奏は打ち方の基本ができていることはもちろん、一人で夕張太鼓らしさ、すなわち炭鉱マンの力強さを表現する夕張暁鐘太鼓の重要な部分になのです。もうひとつ、宮太鼓の前後2列に配置したことは、次の四つ目の「お初」とあわせて書きます。

 四つ目の初めて物語は、前記した小締太鼓とともに取り入れた「手拍子(チャッパ)」です。 この手拍子(チャッパ)も神楽太鼓の勇壮さを表現する一つであることはもちろんのことなのですが、実はもうひとつ大事な役割があるのです。夕張暁鐘太鼓を見た人はわかると思いますが、この手拍子(チャッパ)を使った演奏は、ほかの太鼓団体が手拍子(チャッパ)を鳴らす手法と少し違っています。そのことについて以前、青木先生は「手拍子(チャッパ)も本来の演奏手法とは少し異なり、当時の打ち手達が、鐘の打ち方、振り付けを考え作り上げた...」と話しておりましたが、本当はこの手拍子(チャッパ)の演奏スタイルは、青木先生が新曲のために暖めていたものであり、その手拍子(チャッパ)の動きの基本は青木先生と先生の奥様によって練り上げられたものなのです。

 では、なぜ夕張暁鐘太鼓では、手拍子(チャッパ)の基本の動きと違うスタイルとしなければならなかったのでしょうか。その答えは、チャッパの振り(動き)にあります。

 何度か書きましたがが、夕張暁鐘太鼓は、夕張太鼓創設以前の炭山祭りやお盆の盆踊りなど、炭鉱マンや地域の人々が、朝まで騒ぎ・踊る賑わいを表現して作られた曲であります。手拍子(チャッパ)は単にリズムを奏でる楽器としてではなく、櫓(やぐら)の周りで炭鉱マン達が、派手な仮装や電飾の前掛けで着飾り、夜通し踊る姿を表現していると捉えると、その動きにも納得が行くのではないでしょうか(当然、私の勝手な推測ですが)。

 手拍子(チャッパ)や小締太鼓を使った演奏は、一見するとこれまでの夕張太鼓の流れと違うように思われますが、そこには夕張太鼓の原点である神楽太鼓の勇壮さを取り入れた手法を見つめなおし、炭鉱と炭鉱マンを表現してきた夕張太鼓の本流を外れることのない緻密に計算された曲であることがわかります。そして、はじめて聞いた夕張暁鐘太鼓の手拍子(チャッパ)の音色は、新しい夕張太鼓の時代の始まりを知らせる鐘の音のようでした。

 

4)「夕張暁鐘太鼓」の楽しみ方

 ここからは夕張暁鐘太鼓の楽しみ方について語ります。夕張暁鐘太鼓の序章は夕張太鼓の命の音色である大太鼓から始まり、やがて神楽太鼓の勇壮さを彷彿させる小締太鼓の乾いた音が響き渡ります。第1の見どころはもちろんこの序章です。

 大太鼓の音が炭鉱や夕張神社を表現した演奏と見立てるなら、小締太鼓の音色は、これから始まる祭りへの高揚を表現した演奏とも見ることができます。かつて、遠くから聞こえてくる笛や太鼓の音色にワクワクしたあの頃が蘇ってくるようです。みなさんも小締太鼓の音色で子供の頃の夕張にタイムスリップしてみませんか。

 宮太鼓打ち手全員で「祭りのうねり」を叩いた後、宮太鼓は3つのパートに分かれた演奏となります(ここの部分をドン・ド・コで表現すると複雑になるので省略致します)。私の解釈としては、ここからは「炭山まつり」ではなく夏の盆踊りの頃の街の賑わいを表現していると考えています。パートごとに分かれた演奏は、櫓(やぐら)の周りを何重にも囲んで踊る人々を表現しているかのようであり、その次に控えている手拍子(チャッパ)は、「はしゃぎ過ぎの電飾前掛け炭鉱マンの姿」そのものではありませんか(手拍子(チャッパ)の演奏の説明は、前記をご覧下さい)。

 もちろん、手拍子(チャッパ)の登場部分も見どころです。最近の「竜花」の手拍子(チャッパ)の登場は、少々凝り過ぎの感もありますが、お祭り表現ということで深く考えずに楽しんじゃいましょう。

 手拍子(チャッパ)が登場した後は、宮太鼓のセンターの一人打ちです。この曲は夕張太鼓で初めて宮太鼓の一人打ちを取り入れてます。 ゆったりとしたリズムからダイナミックに太鼓をたたき始め、そして徐々に力強くかつ早いリズムに移行しながら打ち鳴らす演奏は、見た目以上に難しいのです。センターでしかも一人打ちという緊張は、かなり練習した打ち手でも、手が止まることがあるようです。この部分がしっかりと表現できるかどうかで夕張暁鐘太鼓の曲の出来が評価されてしまうほど重要な部分です。ツウの見どころとしては、センターの周りで一生懸命応援している打ち手の姿を見てみて下さい。ソロパートでも全員が一体となっている姿に、感動間違いなしです。

 宮太鼓一人打ちが終わると、大太鼓、小締太鼓、宮太鼓そして手拍子が一斉に演奏します。そして、ここからは迫力のある太鼓演奏です。それはまるで祭りの最高潮のようでもあり、炭鉱マンが力の限り祭りを楽しむ姿がそこにあります。そして一挙にラストまで全力でたたみかけていきます。最後は夕張太鼓らしく左手を頭の上から打ち下ろす「採炭技法」で力の限り太鼓を打ち鳴らします。手拍子(チャッパ)も会場内を縦横無尽に駆け巡り、祭りのクライマックスを盛り上げます。手拍子の鐘の音は、まるで夕張太鼓の次代の幕開けを告げる暁鐘の響きのようでもあります。