「第1回伝道旅行の開始」
使徒の働き 13章1―12節
1. さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。2. 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。3. そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。4. 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、5. サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。6. 島全体を巡回してパポスまで行ったところ、ある魔術師に出会った。バルイエスという名のユダヤ人で、偽預言者であった。7. この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った。8. ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。9. すると、サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、10. こう言った。「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。11. 見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。12. 総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った
礼拝メッセージ
2023年4月16日
使徒の働き 13章1―12節
「第1回伝道旅行の開始」
新しいスタートを迎えた4月、今日から「使徒の働き」も新しい局面に入っていきます。よみがえられた主イエス様は天に昇って行かれる直前、弟子たちに約束されました。使徒の働き1章8節、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」。―「地の果てまで」キリストの証人となるという約束がこれから実現していくのです。
福音が世界中に宣べ伝えられていきます。世界宣教の拠点となるのはアンティオキア(アンテオケ)教会です。世界宣教の担い手として選ばれたのはパウロです。そして、これらすべての働きを聖霊なる神が導いておられました。
パウロは、アンティオキア教会から合計3回、ローマ帝国各地へ遣わされ、福音を宣べ伝えます。福音を聞き、主イエスを信じる人たちが起こされ、各地に教会が誕生していきます。この13章は、そんな伝道旅行の始まり、第1回目の伝道旅行のスタートが刻まれています。パウロやバルナバが、神様から宣教師として選び出されていく。そして教会の熱心な祈りの内に送り出されていった場面を見ていきましょう。
13章1~4節まで
1. さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。2. 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。3. そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。4. 二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、
この出来事から、私たちは三つのことを教えられたいと思います。
第一に、宣教は聖霊のお働きです。聖霊がバルナバとサウロを選ばれました。まず神様の側で「選び」と「召し」があります。そして、「わたしが召した働きに」(2節)と、神様がなすべき宣教の務めを備えていてくださるのです。さらに4節にも、「二人は聖霊によって送り出され」と伝道の主導権を聖霊が担っていてくださるのです。
私たちは、イエス・キリストの十字架の御業に感動し、この福音を信じて救われます。そして「この喜びを他の誰かに伝えたい」との思いが与えられます。出て行って、ある人は家族のもとに、ある人は友人のところに、ある人は国外に住む人々のもとへと遣わされていきます。この宣教の働きは、まず聖霊が先行して動いていてくださるのです。
神様は福音宣教のために、私たちを選び出し、用いてくださいます。神様は福音宣教のために、私たちが今、置かれている状況や、教会の状況など、ありとあらゆることを用いてくださいます。この時、バルナバやサウロがいたアンティオキア教会は、多国籍で多様な人たちがたくさん集まっていました。1節の教会の牧師たちの顔ぶれを見ても、非常に国際色豊かです。ユダヤ人もいれば、北アフリカのクレネ出身のルキオという牧師もいました。シメオンはニゲルと呼ばれていました。彼はアフリカ出身の黒人でした。さらにあのヘロデ王家のヘロデ・アンテパスの幼なじみで宮殿で育ってきたマナエンという人物もクリスチャンとなり、牧師となっていました。
神様はこのような国際色豊で、多くの人種や民族と接点があったアンティオキア教会を、世界宣教の拠点として選び出し、用いてくださいました。
またバルナバもサウロ(後のパウロ)もユダヤ人でしたが、生まれ育ったのは外国でした。彼らは、ギリシア語を自由に使いこなせる国際人(帰国子女)でした。国外宣教に出て行った時、当時の共通語ギリシア語を話せることは、大きな武器だったでしょう。現代の宣教師に英語力が必須なように。
第1回伝道旅行でパウロたちが最初に遣わされた場所は、地中海に浮かぶキプロス島でした。このキプロスはバルナバの出身地でした(使徒4:36)。なじみの場所から神様は宣教を始めさせてくださいました。あらゆることを整え、すべてを導いてくださって、神様は私たちにも宣教という大きな務め、喜びに満ちた務めを任せてくださっています。宣教は、私たちの思いや熱意だけではできません。まず神様のご計画があり、聖霊の導きが先行しています。宣教は聖霊の御業だということを覚えましょう。
二つ目のポイント、宣教は教会みなの働きです。アンティオキア教会は、ともに礼拝をささげている時に、聖霊の導きを確信し、宣教師を派遣していきました(2節)。「こうすることが神様のみこころだ」と確信したならば、すぐに教会挙げて真剣に祈り、パウロたちを送り出していきました。3節後半の「二人の上に手を置いてから送り出した」。このことは「私たちの代表者として二人を宣教に派遣します」という意思表示です。送り出される側も送り出す側もみなが一つの思いとなって、教会全体が一つになって、この第1回伝道旅行が始まりました。送り出す方も真剣です。熱心な祈りと多くのささげものをもってバルナバとパウロを送り出し、支援し続けていきました。
約2,000年前、アンティオキア教会が、教会挙げて真剣に祈り、熱心に世界宣教を推し進めたように、私たちも宣教のために思いを一つにしていきましょう!5月母の日に渡辺真理先生ご夫妻をお招きしてのコンサートを予定しています。ご家族・お友だちを教会にお誘いするチャンスです!
3つ目のポイントは、宣教には犠牲が伴うことです。アンティオキア教会にとって、バルナバとサウロを宣教師として送り出すことは、大きなチャレンジ(挑戦)でした。バルナバは、以前エルサレム教会からアンティオキアに遣わされて来た素晴らしい牧師です(11:22―24)。人々を慰め、教会員の信仰を正しく導いて来たリーダーでした。13章1節の複数牧師の筆頭にバルナバの名前が出て来ます。教会を代表する牧師、今で言えば主任牧師であったと思います。
サウロはダマスコ途上で劇的な回心をしていました(9章)。明確な救いの体験を持っていました。さらに元パリサイ人(旧約聖書・律法の教師)でしたから、聖書知識にも満ちている優秀な牧師であったでしょう。
そんな教会を代表する二人の牧師、バルナバとサウロをアンティオキア教会は派遣したのです。主任牧師を宣教地に派遣する。それは犠牲がともなう大きな決断でした。経済的な負担も大きかったでしょう。けれどもアンティオキア教会は、聖霊の導きに従って二人を派遣したのです。
やがてその犠牲は大きな喜びへと変わります。異邦人世界に福音が宣べ伝えられていきます。各地に主を信じる群れが起こされ、キリストの教会が建て上げられていきます。犠牲は喜びになったのです。神様のみわざを聞き、アンティオキア教会は皆で主を賛美したのではないでしょうか。
私たちの宣教も真剣に取り組むなら、多くの犠牲、涙や痛みも生じます。けれどもその先に主は恵みと祝福を用意してくださっています。先ほど交読した詩篇126篇5節、6節には、こうありましたね。
涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え 泣きながら出て行く者は 束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。
このみことばの通りになったのです。
第1回伝道旅行の最初の宣教地は、船出してたどり着いたキプロス島です。そこでは、主イエス様に対する正反対の反応がありました。神のことばを聴きたいと真剣に願う求道者、地方総督セルギウス・パウルスがいました。州知事とか県知事クラスの島全体の統治者が、まことの神のことばを聞きたいと願うのです。「イエス・キリストとはどのようなお方なのか」知りたい、教えてほしいと真剣に求めました。宣教の主、聖霊なる神様がセルギウス・パウルスの心の内にそのような飢え渇き、求道の思いを与えてくださったのでしょう。7節、
この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った。
しかし、彼の求道を妨げようとする力:まことの神・主イエス様から引き離そうする悪魔の力も働きました。「魔術師エリマ」、「バルイエスという名のユダヤ人」、「偽預言者」といくつもの肩書を持っていた怪しい存在です。パウロは「あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者」、「悪魔の子」、「すべての正義の敵」と彼に言い放っています。彼は総督官邸で力を持っていたようです。魔術の力を駆使して、総督の心を引き付け、島の宗教や、政治経済にも口を出していたのでしょう。
8節、ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。
魔術師エリマは、バルナバ・パウロに反対し(彼らのことや教えを悪く言いふらしたでしょう)、「総督を信仰から遠ざけようとした」のです。島における自分の独裁的権威・力を邪魔されたくない思いもあったでしょうし、彼の内に住み着いた悪魔・サタンが、島での宣教を妨害しようと働きかけて来たのではないでしょうか。誠実な求道者となっていた総督に、何とかしてキリストの真理・み救いから遠ざけよう、引き離そうとする悪の力がありました。
福音に対して、「知りたい、信じたい」という反応と、「聞きたくない・聞かせたくない、離れたい・離そう」という正反対の反応が起こる。それは、私たち自身の心の内でも起きていることではないでしょうか? 心に聖霊のうながしと悪霊のささやきが聞こえてくるのです。私たちの心にもエリマは住み着いてはいないでしょうか? 先祖代々引き継いできたもの、若い頃から止められない悪しき習慣、そういったものに縛られ、神様の愛を100%信じ、キリストの救いに100%飛び込めない自分がいないでしょうか?
この悪魔と神様の対決は、どっちが勝つか分からない…そんな世界ではありません。
神様の圧倒的勝利は決定しています。人となられた神の子イエス様はサタンの誘惑に打ち勝ってくださいました。悪しき霊のせいで苦しんでいる人たちをイエス様は、解放し、救い出されました。そして主イエス様の十字架の死と復活によって、すべての罪と悪の縄目は断ち切られています。今日の魔術師エリマも、神様の力の前には何もできませんでした。目がしばらく見えなくされます。11,12節、
見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。
聖書の最後、ヨハネの黙示録を見れば、悪魔・サタン・悪霊の完全な敗北が預言されています。負けは決定済み、神様の完全勝利は決定しています。
しかし、ポツダム宣言を受諾し日本の敗北が決定した後にも、まだ抵抗して戦っていた軍隊がいたように、この世にあって悪の力、サタンの力が最後の悪あがきを日々、私たちにけしかけてくるのです。
だからこそ、アンティオキア教会の信徒たちが熱心に祈り、主の御心を尋ね求めたように、私たちも神様の前にへりくだり、主により頼み、神様のみ心・神様のご計画をいつも尋ね求める信仰を与えられていきたいと願います。
祈りましょう。