焼津の海 〜ジュンと僕の物語5
小六の夏休み。ジュンの家に三つのコップが並んでいた。
コカ・コーラとコカ・コーラ ライトとペプシ。
「飲んじゃダメだよ。それ、姉ちゃんの自由研究だから」
訊くと、それぞれにジュンの姉さんの乳歯が漬けてあるのだという。『コーラは歯を溶かす』という都市伝説を実証する、という趣旨だった。
(この記事を書くにあたって調べたところ、『魚の骨を漬けておくと溶けてしまう』そうだ。人に飲用されたコーラで骨がもろくなったり溶けることはないとのこと。/Wikipedia)
結果から言うと、夏休み中に三つの乳歯が溶けることはなかった。
特に予定もなく、放課後が延々と続いているような夏だった。そこへ、父が小旅行を持ちかけてきた。「焼津在住の推理作家を訪ねる」と言うのだ。
伊豆半島で生まれ育った僕らは、魚介類にウルサイ。その推理作家は「同じ駿河湾でも焼津の魚のほうが旨い」と、親父に勝負を挑んだようなのだ。
県内で一泊。「しょぼいバカンスだな」と思いながらも、僕はジュンとトオルを誘った。
駿河湾は、紺青に波立っていた。僕とトオルは、ブイに覆われた限界地点まで泳いだ。
砂浜に腰掛けているジュンが、遠く、小さく見えた。
「戻ろうか」と、どちらからともなく目配せをした。
海からあがった僕とトオルは、ジュンを挟んで座った。彼の手首には、いやに可愛らしいピンクの腕時計が巻きついていた。「ださいな」と、笑うと「姉ちゃんのを借りたんだ」と、ジュンは俯いた。沖のほうで、推理作家が素潜りで鮑獲りをしている。親父は、海の家でビールを飲んでいる。
「すごいのが獲れたぞ。一キロはある」
もはや『駿河湾魚介合戦』を制したような顔で、作家が帰ってきた。その掌で、仰向けの鮑が身悶えていた。
暫く経って、ジュンが「泳いでこいよ」と僕らに言った。僕らはまたジュンを残して海に入った。
ジュンには持病があって、いつ発作が起きるか判らなかった。それが水中なら、大変なことになる。
僕も何度か、発作を見たことがあった。それは、なんの兆候もなく、唐突で、率直に言って衝撃的だ。倒れたときに頭を打つことも多い。それが始まったら、口に布巾かタオルを突っ込む。舌を噛む危険性があるからだ。ジュンの父親は自分の手を入れてしまい、くっきりと歯型が残るほどの傷を負った。学校の教師は慣れていたのか、駆けつけたときにはタオルを準備していた。
だから、ジュンは水に入れない。プールの授業も見学だった。
気を遣うのも、気を遣わせるのも、わざとらしく感じた。僕とトオルは泳ぐことに決めた。
ブイの辺りで振り返ると、砂浜にジュンの姿がない。いつの間にか消えた。「あいつ、どこいった」と、僕らは地上を見回した。「おい」と、すぐ背後から声がした。
ジュンが、海中にいる。Tシャツのままだ。
なにも知らない推理作家が、浮き輪の紐を引いて連れてきてしまったのだ。
僕とトオルは顔色を失って、すぐさまジュンを浜辺に戻そうとした。
「やっぱり海、気持ちいいな」
当の本人は、僕らに引っ張られながらはしゃいでいた。ほんとうに気持ちがよくて、楽しかったんだと思う。
それからは三人、波打ち際で水遊びをすることにした。
「あーあ。姉ちゃんの腕時計、壊しちゃったよ」
おもちゃのような時計だ。海水に浸かっては、ひとたまりもない。「どうしよう、怒られる」とジュンは怯えていたが、ついさっき、僕とトオルはもっともっと肝を冷やした。時計なんてどうでもよかった。
『駿河湾魚介合戦』についても触れておこう。
焼津の鮑は、凄まじかった。デカいうえに、海藻をずっしりと蓄えた肝が圧巻だ。それで和えた塩辛や、刺身、ステーキ。どれもが確かに旨かった。親父は敗北宣言せざるを得なかった。
旅の終わり。帰路に着いたとき、トオルが車酔いに青ざめだした。行きも同じだった。
このトオルというヤツは、社会科見学や遠足のバスでも、必ず酔う。おとなになってから彼の運転する車に乗ったとき、開口一番「酔うなよ」と釘を刺したほどだ。「自分で運転するときは酔わないよ」とのこと。
ともあれファミレスに駆け込んで、暫くトオルの背中をさするハメになった。
車に戻ると、ジュンがきょとんとして「ぜんぶだしちゃったのか」と質してきた。トオルが頷くと、「もったいないだろ。あんな豪勢なアワビを食ったのに」と、ジュンは声を荒らげた。
なんだか、な、と、僕とトオルは笑った。
そこから先、トオルはもう酔わなかった。
↑仕事中、出先で久しぶりに海を見た。当たり前だけど、ぜんぜん焼津と違う。酒井。