🏫授業🏫
新学期が始まり、子どもたちの頑張る姿に、教師としての私は元気をもらいます。
「学校閉鎖」という大きな出来事があってから3年が経ちました。
令和2年の3月。
突如として学校に子どもはいなくなり、運動場には鳥たちが集まっていたことが今でも鮮明に思い出されます。
草も生え、先生たちにも緊張感が薄れ、子どもたちの存在の大きさを痛感しました。
「もし、また同じようなことがあっては、子どもたちの学びの場を失わせてしまうかもしれない」
その対策から、支給された一人一台のタブレットを子どもたちに持ち帰らせ、いつでも「オンライン授業」を可能な状態に整備してきました。
有り難いことに、再度令和2年の3月のような閉鎖は起きていません。
時を同じくして、「ICT機器を取り入れた授業の活性化」が求められています。
せっかくタブレットがありますから。
活用しないのはもったいない。
先生たちが思考を凝らした授業の準備を進めます。
新しいことにも果敢に挑戦していきます。
廊下を歩いていますと、各教室で笑い声が聞こえてきます。
見せられた動画を見て、子どもたちは笑っています。
ICT機器の取り扱いを得意とする先生は、苦手とする先生にレクチャーをします。
「ICT機器を使った授業」の活性化は各学校で目標として掲げられていますから。
…
ふと、気づくと…
笑い声の聞こえていた教室は、動画が終わり先生の説明する声のみとなり。
ふと、思うと…
授業は、全て動画の方が集中しているのではないか!?。
「生」の授業だからこそ伝えられることがあります。
どんなキレイな景色や、どれだけ面白い出来事であっても画面越しに見るものよりも、実際に勝るものはありません。
「誰でもできる」、「どこでも同じ」そんな授業ではなく、先生たちに「個性」を持ってもらった授業の展開が大切。
そうでなくては、子どもたちが学校に来る意味も半減してしまいます。
「ICT機器による授業」
ではなく
「ICT機器を取り入れた授業」
の必要性。
「分かりやすい授業」
ではなく
「イメージしやすい授業」「想像しやすい授業」
の必要性。
そんなことを考える、今日この頃です。