『歩きながら考えよう 建築も、人生も』を読んで
みなさん、こんにちは。
東京で一人暮らしを初めて2ヶ月が過ぎ、
徐々に東京の良いところも感じられるようになってきたコウベジンのYuichiです。
昨日紹介した高校生外交官プログラム・HSDの同期と、読書についてSNSで話をしていた時に、「自分とは違う価値観を持った人の本を読んでみるのも面白い」ということを聞いて、久しぶりに自ら進んで読まないであろう本を読んでみようと思い、その子にオススメの本を聞いて見ました。そうして、その子が薦めてくれた、安藤忠雄氏の『歩きながら考えよう 建築も、人生も』という本を慶應の図書館で見つけ、先ほど無我夢中で読んで感じたことを今回は記事にしようと思います。
この本では安藤忠雄氏の生き様や考え方などがあらゆる角度から書かれています。その中に、日本人の自然との関わり方について書かれた箇所がありました。日本人は俳句の季語に見られるように、とても感受性が高く、自然と多く関わってきた民族です。自然という命あるものを深く鑑賞し感じることができる民族は世界的に見ても珍しい。しかし、最近はそんな命あるものとの対話をする機会が失われているのではないか、という議論が綴られていました。
この話を本で読んでいた時に、この『人間と自然』について訴えかけたとある映画を思い出しました。スタジオジブリ・宮崎駿監督の作品『もののけ姫』です。
アニメには全く興味のない僕ですが、スタジオジブリの映画だけはそのメッセージ性・哲学的モチーフ・奥深さに惹かれて、もう何度観たか数えきれないほど、小さい時からゆかりがあります。
この『もののけ姫』もそんな映画の中の一つですが、最近また見直した時に、幼稚園の時には気づかなかった、その哲学的メッセージを感じることができました。それこそ、『自然と人間』の関わり方についてです。
この映画の中では人間と自然という2つの対立を主軸に話が展開されていきます。発展を続ける人間と、自然を保全しようとするもののけ達。映画では互いに憎しみあい、殺し合い、傷つけ合っています。急速な発展・人間の発展を推し進めようとする人間にとって、自然を破壊せずにはそれを達成することは出来ないという考えが、前提というか当然に取られています。一方、もののけ達も人間を排除することができなければ、自然を保全することはできないし、何より自分たちが平和に生きることができないと強く考えています。
この映画を観る時に僕の中でキーワードだなと思う2つが「自己中心性」と「生きる」ということです。
上記の対立がなぜ起きているのかを映画の中で探っていると、人間ももののけ達も、まずは「自分たちがどうしたいのか」を考え、そこから「そのためにはどうすればいいのか」を考えています。その行動が人間ならもののけ達へ、もののけ達なら人間へ、どのような影響があろうと御構い無しだと考えていることが見て取れます。
こうした「自己中心性」がなぜ起こってしまうのか。
それはお互いにお互いのことを何より恐れているからです。
そしてその恐れが、自分を守らないといけないという衝動に駆られる誘発剤となり、結果として傷つけ合うことになってしまうのではないでしょうか。そして、この「恐れ」が「自己中心性」へと繋がり、結果として「他者への憎しみ」に姿を変えてしまう。そのことをこの映画を通じて学んでほしい。そして、「恐れ」はサンとアシタカのように対話をすることで解消することができるということを伝えようとしているのではないでしょうか。
そして、もう一つ「生きる」ということについてです。この映画でもっとも印象的なセリフといえば「生きろ」というアシタカがサンに発した言葉ではないでしょうか。
この「生きる」というテーマをこの映画がどう伝えようとしているのかは、僕にはまだ納得した答えを見出していません。ただ、人間も自然も「生きている」という点では同じであるということは、この映画から伝わってくるメッセージなのではないでしょうか。
生きているものはいつか必ず死んでいく。
この受け入れるには過酷ということもできる『事実』を、ジブリを見ている子供にまっすぐに伝えたいという思いが映画を通して伝わってきます。そしてこの『事実』にまっすぐに向き合い生きているサンとアシタカというロールモデルを提示することによって、『生と死』を知った上でどう「生きる」べきなのか、深く考えさせる導火剤のような映画が『もののけ姫』なのではないかなと思います。
上記にあげた「自己中心性」と「生きる」という2つのテーマを『人間』と『自然』の対立を通して伝えようとする映画ができるのは、日本ならではであり、日本でしか生まれないものなのではないかと、この安藤忠雄氏の本を読んで強く感じました。