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「バカと無知人間この不都合な 生き物です」を読んで分かった事それはバカに付ける薬は無いと言う位、如何仕様も無い存在だと言う事

2023.04.19 07:25

 ブログの更新をします。いつも読んで頂いて有難う御座います。

本日ご紹介する本は「バカと無知人間この不都合な 生き物です」。言わずと知れた大人気作家、

社会評論家でもある橘玲さんの新刊であり発売を心待ちにしていました。

今回もめちゃくちゃ面白い内容で、

相変わらず残酷な現実の描写がめちゃくちゃ上手いなと感じました。

勿論、全ての内容に、納得と言う人は少無いかも知れませんが、

知的好奇心擽る内容満載の一冊です、

是非本日の記事を読んで興味を持たれた方は読んで見て下さい。


 さてそんな激推しの一冊の中から本日ご紹介致します。

内容は、以下の3つになります。

第1章 バカの問題は自分が〇〇である事に気づか無い事。
第2章 バカ程、声が大きく論破を喜ぶ本当の理由。
第3章 美男美女は幸福じゃなかった最新研究が示す衝撃の真実。

どれもとても大切な面白い内容です。

是非最後まで読んで見て行って下さい。

 それでは早速行きしょう。

第1章 バカの問題は自分が〇〇である事に気づか無い事。

問題は自分が 〇〇である事に全く気づか無い事、皆さんは、

自分の運転技術が世間一般の平均と比べてどの位だと思いますか?

ユーモアのセンスは如何でしょうか?

論理的思考能力は如何でしょうか?

この様に自分の能力と世間一般の平均を比較した時、大多数の人は、まあ自分は人並み以上の能力を持っている、と答える事が分かっています。

これをそのままですが人並み以上効果と呼びます。

あなたも共感力はどの位ありますか?。

等と聞かれた場合まあ人並み以上はあるんじゃ無いかなと内心思うのでは無いでしょうか?。

恋愛や仕事での成功の見込みであれ我が子の才能であれ平均と比べて如何ですか?。

と聞かれるとまあ人並み以上だよなと考えて仕舞うのが人の習性だと言う事です。

そしてこの習性は、人によって出方に、ばらつきがあります。

この習性が強く出るのは平均よりもかなり下の能力の人だと言う事が分かっているんです。

この事を示す面白い実験がありますので、

ご紹介致しましょう。

その実験では学生に対して論理的推察能力に関するテストを行いました。

テスト後に点数を設定最低点0点、最高点100点、平均点が50点、

になる様に設計されたテストです。

そして学生達に、テストを受ける前に質問をしました。

その質問の内容は自分は何点位取れそうですか?、と言う物です。

そしてその回答の 平均つまり自己評価の平均は66点でした。

これは先程説明した人並み以上効果による物で皆自分を平均点以上だと予測する為自己評価の、点数は本来の50点を大幅に超えた66点になって仕舞ったんです。

皆が正確に自分の能力を予測出来ていたら自己評価も綺麗に50点になるはずですので、かなり皆自分の能力を過大評価していると言う事が分かります。

ただこの実験が本当に面白いのは、ここからです。

実際にテストを受けてもらって点数を付けると、成績下位25%の学生達の平均点は12点でした。

さてこの時に25%の学生達はテストを受ける前に自分は何点位取れそうだと予測していたと思いますか?。
まぁ本来の実力が12点何だから甘めに付けていて30点位だったのかなと、

思われるかも知れませんが全く違います。

実は、25%の学生達は平均して自分は68点取れそうだと考えていたんです。

実際は12点だった物が予測の段階では68点、つまり自分の能力を5倍以上過大評価して仕舞っていたんです。

一方で成績が上位25%の学生達の平均点は86点でしたが予想時の平均点は74点でした。

成績上位者は逆に自分の点数を低く見積もって仕舞ったんです。

これは、興味深い現象です。

ただしこの様に 成績上位者が自分の点数を低めに見積もるのは自分がこれだけ解けたんだから他人も 解けているだろうなと平均が50点になる様に点数を設定するテストだから自分の点数はこの位かな。

と言う他者を過大評価したがゆえの見積もりだと言う事が分かっています。

つまりですよ、この研究から分かった事は能力の低い人は自分の能力を過大評価し能力が高い人は自分の能力を過少評価し逆に他者の能力を過大評価していると言う事です。

この内、特に重要なのは能力の低い人は、

特に自分の能力を途轍もなく過大評価していると言う事です。

これは論理力のテスト以外でも同じで文法問題やユーモアのセンス等でも同じ様な結果になる事が知られています。

つまり能力が低い人は自分に能力が無い又は、低い事に気づか無いと言う事何ですよ。

この事をこの本書では、

バカの問題は自分がバカである事にすら気づか無い事だ、何故ならバカだからと簡潔に表現されています。

途轍も無く残酷な話かも知れませんが、バカな人は自分がバカな事に全く気が付いて無いんです。

ここから、ちょっとバカ、バカと少し不快な表現が続きますが、

もし記事を見て読んでいる途中で非常に不快な気分になったのならここから先の記事は読まずにページを閉じて仕舞っても構いません。

然し、本書のタイトルが「バカと無知」であり他の言葉に言い換えると印象が変わって仕舞う為、

もう少し我慢してお付き合い下さい。

さて

バカの深刻な問題は自分がバカである事に気づか無い事だ。何故ならバカだから。

と言う事を聞くとバカな人って如何仕様も無いんだな!。

とあなたは思うかも知れません。

何故なら正論を言ってもバカには話が全く通じ無いし、その為

「バカに付ける薬は無い」と言う言葉がある位ですから、

日本人の3人に1人は日本語も、まともに読め無い様なバカと話し合いをすると、

賢い頭の良い人は損をする為、

賢く頭の良い人は、バカな人に誰も関わりたがら無い

民主主義が上手く行か無いのはバカな人と優秀な人が一緒に議論や話し合いで決めるからです。

それに付いては、第2章で説明します。

ですが世の中にはバカと無知を混同している人も中にはいるかも知れませんが

無知と言うのはその事に対して何も知ら無いと言う事であり無知なだけなら知っている人から教えて貰ったりその事に付いて書かれている書籍等を購入して学べば良いだけの話何です。

一方本当の、バカは何が分から無いのかも分から無い、だからバカは、学べ無いし学ぶ事が出来ないんです。

如何仕様も無いのも仕方が無いのかも知れません。

ですがあなただけで無く恐らくこの記事を見ている殆どの人があなたも私自身もこの記事を見ている他の人もみんな自分はバカじゃ無いしバカな人はバカで可哀そうだなと思っている。

それこそが、この現象の面白い所何です。

つまりバカは原理的に自分がバカだと知る事は如何しても出来ないと言う事何ですよ。

あなたもこの私自身もバカかも知れない、だけど、自分もバカだとしたらそれにも気が付く事が出来ない、

だからこそ他人がバカな事をしているのを見てバカだなあ!。

とさも自分はバカじゃ無いかの様に笑えて仕舞うんです。

恐ろしくも面白い現象と言えます。

何故こんな事が起きるのかに付いて、

本書では人類の進化の歴史の観点から説明があります。

人は旧石器時代から何百万年も150人程の小さな共同体の中で地位を巡って争ってきました。

評価の基準は時代や環境によって異なりますが能力のある物が高い地位を獲得すると言う原則は同じです。

だとしたら自分に能力が無い、もしくは低い事を他者に知られて仕舞うのは致命的だったんです。

何故なら集団の中にたった一人でもバカな人がいると集団の足を引っ張って仕舞うからです。

だからこそ集団の中に居続ける為に無能である事を隠す為に、自分の能力を大幅に過大評価する様になったんです。

その一方で優れた能力がある事を他者に知られると言う事もまたリスクだったんですよ。

と言うのも権力者が真っ先に排除仕様とするのは、将来のライバルになりそうな有能な人物だったから何です。

つまり有能な人は自分の能力を過小評価し逆に他人の能力を過大評価する事で共同体の中で極端に目立つ事を避け様としたと言う訳何です。

この様な進化論的な理由から私達は自分の能力が高い時、それをさも低い様に振る舞い、

逆に、自分の能力が低い人はまるで能力が高い様に振る舞って仕舞うんです。

この厄介な勘違いがあなたにもたらす悪影響に勘違いアドバイス言う物があります。

人間は、自分が出来もし無い事に付いて、つい口を出したくなって仕舞います。

その根底にはこれ位なら俺だって出来るかもと言う自分への過大評価があるのかも知れません。

アドバイスしたいそう思った時にあなたは本当に相手に対してアドバイスする程それが出来るのかを考える必要があります。

人にヘンテコなアドバイスをする前にあなたが、その土俵に立つ事が出来るのかに付いて考えて見て下さい。

またアドバイスと言うのは実は、言い方をめちゃくちゃに気を付け無いと他人の自尊心を傷付けて仕舞うと言う事が分かっています。

それはアドバイスと言うのが上からの目線で物を言う一種のマウントとして働いているからです。

自分じゃ出来ない事を得意げにアドバイスする人は、

相手から見たらマウントを取りに来た敵と同じ何です。

ですから、基本的には余程あなたが得意な事でもなければアドバイスはし無い方が良いでしょう。

又、あなたが本当に得意な事であっても相手から頼られてアドバイスを求められてと言うのでなければアドバイスはし無い方が無難です。

如何してもしたい場合であっても下から目線で遠慮しながらにアドバイスするべきです。

「あなたは、アドバイスを必要としてい無いかも知れ無いけど私だったら、こうするかなと思うよ、よかったら参考にしてもらえたら嬉しいな」と低姿勢で話すと言う事が超重要な事何です。

マウントじゃ無くて本当にあなたに、この情報を伝えたいただそれだけ何です。

と言う事を相手に見せて相手の自尊心を極力傷付け無い様にしなければなら無い。

これがアドバイスの難しい所何です。

と話が少しそれましたが結局アドバイスは求められている時以外は極力し無い方が良いと思います。

得意な事でもそう何ですから。

何と無く自分自身で平均よりは出来るんじゃね、

程度の自信であればなおさらし無い方が良いでしょう。

きっと多くの事で人間は、平均以下の存在です。

全てを平均以上に熟せる人何て殆どいません。

私自身、あなた自身、まあ多分平均位は出来るだろう、

平均以上は出来るだろうと思っている能力の殆どが

平均以下何だと言う認識を持ち自分自身を客観視出来る様になりましょう。

そして同時に低く見積もりがちな自分が得意な事を長年続けて来た事に付いては、誇りを持ちましょう。

先程の実験からも分かる通り人と言うのは自分が出来る事は周りも出来ると思いがちです。

その結果自分の能力をついつい低く見積もって仕舞います。

例えばイラストを書くのが得意だったとしてもこの位描ける人は幾らでも要るしTwitterを見たら私より遥かに上手い人達ばかりだしと自分の能力に自信が持てず最終的には絵を描く事自体辞めて仕舞う何て言う人が多いんです 。

それは余りにも勿体無い、あなたが出来る事は他の殆どの人が出来ない事何です。

あなたに、それっぽいアドバイスをして来る人も自分が平均以上だと思い込んでいる。

無知なバカ何です。

自分が出来る事を大切に出来ない事を過剰評価し無い。

これが自分を客観視する上でとても大切な事何です。

謙遜が美徳の日本人は特に自分が得意な事を低く見積もって仕舞い易いと思いますので、

自分自身の能力を大切にすると言う事から始めて見ると良いかも知れません。

さあそれでは、

第1章 バカの問題は自分が〇〇である事に気づか無い事。をまとめておきましょう。

1、能力が低い人は自分の能力を過大評価し 能力が高い人は他者の能力を過大評価している。

2、それゆえ、自分の能力と世間一般の平均を比較した時、大多数の人は自分は人並み以上の能力を持っていると答える。

3、自分自身が平均以上は出来るだろうと思っている能力の殆どが平均以下何だと言う認識を持ち自分自身を客観視出来る様になる事が大切である。

第2章 バカ程声が大きく論破を喜ぶ本当の理由。

論破を喜ぶ本当の理由、話し合いの末に全くもって正解から程遠い結論が導かれて仕舞う皆さんもその様な経験があるのでは無いでしょうか?。

3人寄れば文殊の知恵と言いますが、賢い人が独断で決めた方が良い様に思える事が世の中には多い世の中です。

この事に付いて面白い実験を行った研究者が いました。

実験の詳細に付いては省きますが、その結果分かった事は2人とも一定以上の能力がある場合話し合いをする事でより正解に近づき易くなる事、

そして

二人の内1人の能力が明らかに劣る場合は話し合いによって結果はどんどん悪くなりコイン投げで選ぶよりも正答率が下がって仕舞うと言う事でした。

つまり、言って仕舞えば、賢い人と賢い人で話し合っている場合は何の問題も無く議論が進み正解に近付いて行く一方で、

賢い人とバカな人が話し合った場合何故かバカの論の方が尊重され易く間違って仕舞う傾向にあると言う事何です。

一体何故こんな事が起きて仕舞うのでしょうか?。

その秘密は旧石器時代の濃密な共同体にあります。

地位を巡って競争している時に高い地位に付く資格が無い事、

つまり能力が低い事を自ら認めると言うのは致命的だったんですよ。

その結果能力の低い人はその事実を、

相手に知られ無い様に自分の実力を無意識に過大評価する様になりました。

一方能力の高い物は相手も自分と同等の能力を持っているだろうと最初は想定します。

これは何の情報も無い時に相手を見くびると手痛いしっぺ返しを食らう事があります。

然も、共同体の中で目立ちすぎて仕舞うと多数派によって排斥される恐れがあるからです。

その結果、如何なって仕舞うでしょうか?。

そうです、

能力に大きな違いがある二人が話し合うと賢い人は自分の能力を過小評価して相手の能力を過大評価している、そうなると、賢い物が相手の能力を大幅に過大評価してバカを調子に乗らせ冗長させバカな人に引きずられ間違った選択をして仕舞うんです。

ゆえに話し合いではバカの人が賢い人を論破した形になって仕舞いバカの意見ばかりが通る様になって仕舞うんです。

実験では一方が他方の能力の40%を下回ると話し合いの結果は優秀な個人の選択よりも悪くなる事が示されています。

バカが過度な自信を示した事で賢い人は自分の自信が揺らぎその一部は決定を変える、

「何故此奴はこんなに自信満々に間違った意見を言うんだ。

いや待てよ、俺の方が何か気づいてい無い事があるのか?。

俺の自信は80%程だが此奴は話し方からすると自信が9割以上ある様に見える。

ふむそこまで言うなら此奴を信じて見様。」

これがバカに引きずられて仕舞うメカニズムです。

更に言えばバカな人程口、が達者で饒舌何んです。然も、声も大きいですからちょっと聞いただけの不確かな情報も断定的に言い切ります。

その根底にある心理は、優秀な人に対する妬みや嫉み優秀な人に対しての劣等感等様々な負の感情がバカな人にはあるからです。

ではこれを、バカに引きずられ無い様にするには如何したら良いのでしょうか?。

まず真っ先に思い付く事は、バカを排除する事です。

ですがこれは簡単な事ではありませんよ。

会社でも学校でも趣味のグループでも家族でも、バカを排除して要られる余裕何て無く遣って行ける集団は殆ど無いはずです。

つまり排除以外で方法を見つける必要があるんです。

その方法を見つける為には、まず何故バカが自分の能力を過大評価して仕舞うのか。

自分の決定に自信がある様に振舞って仕舞うのかに付いて真正面から考えなくてはなりません。

 先程、進化論的にその理由に付いて説明しましたが、

そう行った由来では無くバカの心理状態を予測する必要があるんです。

さあ、そこで登場して来るのが自尊心です。

社会心理学では私達は固有の自尊心メーターを持っていると考えられます。

この自尊心メーターの針が上がると幸福感を覚え針が下がると物凄い音でやばいやばいと自尊心が傷付いたとアラームが鳴ります。

ここで言う自尊心と言うのは要するに他者の評価の事です。

人は徹底的に社会的な動物ですので他者からの評価が自尊心や自己肯定感と結び付く様に設計されています。

その結果私達の脳は他者からの批判を殴られたり蹴られたりするのと同じ様に感じて仕舞うんです。つまり自尊心を傷付けて来る奴と言うのは殴って来る敵であり自尊心が傷付くと言うのは生命の危機でもあります。

人は数百万年かけてどんな事をしてでも自分の自尊心を高く保とうとする。

一方で自己肯定感が下がる様な事態を死に物狂いで避ける様に進化して来ました。

その結果、先程から言っているバカの過大評価が生まれたんです。

話し合いの場面で自分の能力を過大評価するのは、

暴力から身を守るのと同じで自尊心が傷付か無い様に身を守る極めて自然な反応何です。

能力が低い人程自分の自尊心が傷つか無い様にと、

自分の意見に過剰に自信を持って論破する事で自尊心を守り喜ぶんです。

さてここから分かる事は能力が低い人の自尊心が傷付くと言う事から始まり自分の能力を過大評価し過度に自信を持った発言をして皆を間違った方向に進ませて仕舞うと言う事です。

つまりですね、能力が低い人の自尊心が傷付く事それが一番厄介な問題何です。

だったら自尊心が無い様な形で皆の意見を纏める事が出来れば能力が低い人は自分の能力を過剰評価せず自分が分かっている範囲の事を正確に正直に伝えるはずです。

その方法は様々ありますが例えば、匿名投票等が良い例でしょう。

ただし重要なのは事前に話し合い等の場を設け無い事。これは、徹底して下さい。

話し合いの場を設けて仕舞うと結局そこでは、やはり

バカの意見が押し通り皆もその声の大きさに騙され、

間違った意思決定を下して仕舞うと言う事になりかねません。

会話無しの条件で匿名投票を行う。

またその際には自分の決定に対する自信度を記入してもらうと寄り良いかも知れません。

匿名投票の場では自尊心は脅威に晒されませんので自信が無い人は自分の自信のなさを正直に伝えるより自信がある人の決定に合わせる事が出来ます。

これで能力が低い人と能力の高い人等が様々に入り乱れる様な集団でも正確な決定を下せる様になるんです。

さて更に話を進めるとここからもう一つ分かる事があります。

それは話し合いの時にメンバーの自尊心を脅かしてはなら無いと言う事です。

自尊心が傷付いたメンバーと言うのは傷付いた自尊心を回復する為に形振り構わ無くなります。

その結果自分の意見に固執して過剰な主張を繰り返して決定の質が大きく下がって仕舞う様な事態になりかねません。

話し合いの場で人を煽ったり失言に付け込んだりする事は時間の無駄であり、

無意味所か、全体の結論を間違った方向に導いて仕舞う危険性があるんだ。

と言う事をしっかりと認識して下さい。

さてここまでは実際の生活に置いて使える様なバカと無知に付いての知識を纏めて来た訳ですが、

更に現代のテクノロジーに話を進めますと、

もっと恐ろしい事が分かって来ます。

それは、

このバカに引きずられるメカニズム、バカの自信過剰な思考は社会に破滅的な効果をもたらしていると言う事です。

その代表例がTwitterを始めとするSNS・Twitter等のSNSでは全ての発言が平等に表示されます。 

何処の誰とも分から無い見ず知らずの人の発言それを評価する時、

私達は、実績よりも自信を参考にして仕舞う傾向にあるんです。

つまりどれ程、馬鹿げた主張であっても相手が自信たっぷりだと思わず信じて仕舞うんです。

さあどうでしょう?。

最初の話と合わせるとこれが極めて恐ろしい事に感じませんでしょうか?。

何故なら、賢く熟慮して発言する人程、物事を断言する様な事はしませんし、勿体ぶった、自信が無い様な言い回しを選んで仕舞うからです。

また、賢い人と言うのは先程から見てきた様に周りの能力を過信しがちで自分の意見は取るに足らないと考え発言し無いと言う事もありえます。

一方で何も考えてい無い人は、ただ聞いただけの不確かな情報であっても断定的に発言したりします。

更には能力が低い人程、堂々と自信満々に饒舌に発言をするんです。

その自信満々の発言に多くの人は、この人が言っている事は正しそうだと、

直感して信じて付いて行いて行って仕舞います。

そして一度信じた事は自分自身の判断を過大評価する、

人間の性質によって間違い無いと言う太鼓判が押されて行きます。

これによってSNSでは確かでは無い情報の方がまるで、

ウイルスの様に蔓延し易くなっているんです。

皆さんも経験があるはずです。

正しい知識程、広まらず間違った知識の方が広まり易い、

何故こんな事になって仕舞うのか、と嘆き悲しむ方も多いと思います。

しかしこれは私達人間の脳の構造上仕方が無い事何です。

私達は日々膨大な選択を迫られ次々と判断を下しながら生きています。

そんな中で一つの事をじっくり考えて、何が正しいかを決めると言うのは、

物凄く手間暇掛かり大きなコスト何ですよ。

ですから熟慮するのは本当に特別な時だけ、

普段は相手の言葉を鵜呑みにする方がコスパ的に手軽何です。

自信満々に話をしている相手であればなおさらです。

人類は数百万年に渡って濃密な共同体で狩猟採集をして暮らして来ました。

濃密な共同体と言うのは誰もが隣人の私生活をしている超監視社会です。

その様な環境では、相手の言葉を取り合えず信じて見る。

これが最適戦略だったんですよ。

確かに良い人と言うのは騙されて酷い目に遭う事もあります。

ですが、その時は不正を大声で言い立て周囲の同情を買う事で相手に制裁を加える事が出来るんです。これは、超監視社会の利点です。

つまり相手を騙し悪い評判が立つ様な人は共同体から排除されて仕舞うんです。

この様にして正直に振る舞う事と相手を信用する事即ち性善説が報われる様に人間は進化したんです。素晴らしいです。

然し、今の時代は当時の濃密な共同体社会とは全く違います。

関係の薄い今の社会では他人を騙した人が罰を与えられ無まま、のさばっている何て言う事が良くあります。

隣に住んでいる人の名前すら知ら無いその一方で、

一生出会う事すら無い人の発言を毎日聞いて頭に、

その思想を叩き込んでその発言を信じ込んでいる。

そんな歴史的に見ても極めて異常な社会を私達は生きているんです。

その結果、悪意あるデマの投稿が断定口調と共に拡散されて行く事になります。

私達は昔からの脳の仕組みによってそれを一旦は無条件に本当だと信用する。

疑う事は面倒だから疑う為にはそのアカウントの過去の投稿を調べたり批判的なコメントを読んだりしなければなら無い。

だから疑うのでは無く、例えガセネタであっても、それをを信じる方に舵を切って仕舞う信じた意見は自分の中で消化されやがて自分自身の考えとして寄り強固な物になって行く。

そして自分の判断を否定する様な意見が見つかるとそれを個人攻撃と見なし自尊心が傷付か無い様に自尊心を守る為に必要に以上に誹謗中傷を繰り返す様になって仕舞うんです。

自分とは、反対の意見を言うとそれだけで過剰に敵視し批判や誹謗中傷を繰り返す人をSNSでは良く見かけますが、それはこう言う仕組み何ですよ。

この様にしてSNSでは何が事実で何がフェイクか、全く検証され無いまま異なる考えを持つ者同士が話し合いによって、解決策を探すのでは無く互いに罵詈雑言をぶつけ合う様になって仕舞いました。

こうして些細な対立が、収拾の付か無い大混乱へと拡大して行くんです。

如何でしょうか?。

身近な集団内では能力が低い人の自尊心をなるべく傷付け無い様に匿名投票等を取り入れる事によって正しい判断に近づく事が出来ました。

ですが、世界中を巻き込んだSNSの世界では、そう行った方法を取る事が出来ません。

本書ではこの厄介な問題を解決する方法として投稿者一人一人をマイナンバー等で本人と紐付けて、ルール違反を即座に処罰出来る様にする。

それに加えて投稿者の信用度を評価して公開し一定以下だとSNSからも排除する仕組みも必要と言う形が述べられています。

ただこれを、言論統制だと考える方が要るのも又事実でしょう。

皆さんは如何すればこのSNSの問題を解決出来ると考えますでしょうか?。

さあそれでは

第2章 バカ程声が大きく論破を喜ぶ本当の理由。を纏めておきましょう。

1、人間は自分を常に人並み以上だと思っていて能力の無い物が実力を大幅に過大評価する、

一方能力の高い物は第一印象では相手の能力を過大評価する為、結果としてバカと賢い人が議論すると必ず悲惨な結末になって仕舞う。

2、能力が低い人程自分の自尊心が傷付か無い様に自分の意見に過剰に自信を持ち論破する事で自尊心を満たし喜ぶ。

3、限られた集団の中で話し合う場合には、参加者の自尊心を下げ無い様な仕組み作りが大切である。

第3章 美男・美女は幸福じゃ無かった!最新研究が示す衝撃の真実

美男・美女は幸福じゃ無かった最新研究が示す衝撃の真実。

SNSに溢れる自撮り皆が自分を下降し少しでも良く見せ様とする。

これを見れば分かる様に現代社会に於いて外見の魅力は途轍も無く大きな価値があります。

外見が魅力的=大きな価値を持っているだから外見が魅力的な人は、自尊心も高いだろうし幸せに違い無い、この美男・美女は自尊心が高く幸福度も高いと言うのは議論の余地の無い真実だと思われています。

確かに、幸福だと自尊心も高くなると言う事は、大量の研究によって実証されています。

ただし幸福だと自尊心も高くなると言う順番がポイントで自尊心を高めれば幸福になれる訳では無いんです。

まあ、何はともあれ自尊心と幸福と言うのは強く結び付いている訳です。

でもそうなって来ると浮かんで来る疑問が魅力的な外見と幸福度や自尊心は結び付いているのかと言う事です。

と言う事で美男・美女は自尊心が高く幸福度も高いと言う事を確かめるべく、

とある実験が行われました 。

参加者はイリノイ大学の白人学生約200人男女は略同数でした。

参加者は幸福度を測るテストを受けた後自分が魅力的か如何かを1から10とても悪いからとても良いまでの10段階で評価しました。

これは主観的な魅力度を表しています。

次に写真やビデオ撮影を行いました。

それもすっぴんの場合やファッションが分かる場合正面の顔・横顔等を様々な角度とパターンでの撮影を行いました。

これは客観的な魅力度を測定するのに使います。

つまり、幸福度のテストと主観的な魅力度客観的な魅力度の3つの材料が揃った訳です。

まず、この作業で分かったのは3種類の評価素材の相関が高いと言う事です。

つまり、正面の写真が魅力的であれば横顔も魅力的で動画も魅力的だったんです。

またそれに加えて、客観的な魅力度評価は2.33から7.05の間でばら付きました。

これが。何を表しているのかと言うと第三者の目からは、外見の魅力度にはかなり大きな違いがある と言う事です。

あなたが、美人だと思った人も他の人から見ればそれほどでも無いかも知れません。

逆に他人が美人だと思った人をあなたは微妙だなと感じるかも知れ無いんです。

と言う事でこう行ったばら付きが多いと言う事は抑えて置いて下さい。

とまあ、ここまではそんなの当たり前だと言う話何ですが、

ここから本題です。

本題と言うのは外見の魅力と幸福度の関係は如何かと言う事、そして意外な事にその結果は一般的に思われているのとはかなり違っていました。

幸福度は生活満足度・全体的な幸福感・ポジティブ感情・の3つが計測されました。

そして、奇妙な事に女子学生では外見の魅力と幸福度は何の関係も無かったんです。

更に統計的に有意では無い物の全体的な幸福感は魅力的な程、つまり美人な程低くなると言う真逆の結果になったんです。

美人の幸福度が高く無いむしろ低いまであると言うのは驚きでだと思います。

それに、対して男子学生は生活満足度のみ外見が魅力的な程高くなりました。

然し、残りの2つ全体的な幸福感・ポジティブ感情は殆ど影響が無かったんです。

つまり、美男子だからと行って全体的な幸福感やポジティブ感情が高くなる訳では無いと言う事です。

外見の魅力はそれ程幸福度に影響を与え無い何とも素晴らしい話の様に思えます。

ただこの話一つ例外があるんです。

それは、男でも女でも魅力的である事が重要だと思っている、

学生は外見が幸福度に影響していたと言う事何ですよ。

つまり、女は美人じゃなきゃと思っている女性は自分が美人であれば、幸福に美人でなければ、

不幸に感じる男は見た目だと思っている男性はイケメンであれば幸福にそうじゃなきゃ不幸に感じると言う事です。

見た目に囚われる程、美男・美女が価値を持つ様になるんです。

何故そうなるのかに付いて本書には書かれていませんでしたが女は美人じゃなきゃと言う価値観を持っている人が自分が美人でモテモテで周りからチヤホヤされていたら、自己肯定感爆上げですから、幸福に感じるのもさもあり何と言う感じですよ。

逆にそれ程外見を重要視してい無い人が、周りの人から可愛いよねとか、美人だよねと褒められた。所でもっと他の所を見てよとなりますし仕事が出来ないのに美人だから、怒られなくてラッキーだよねと言ったイヤミすら言われて自尊心が傷つく事になりかねません。

つまり、外見を重視してい無い美人は外見ばかり見られる事で自尊心が傷つき易くなる結果幸福度が下がり易いのかも知れません。

さてこの様に外見と言うのは、諸刃の剣何ですが、ここまで見てきた外見と言うのはあくまで他人から見た客観的な魅力度と言う奴です。

客観的な魅力度は、自分が外見的魅力つまり、ルックスを重要視してい無い限りそれ程幸福度に影響を与え無いと言う事でした。

一方で先程の調査では主観的な魅力度も図っていました。

そちらと幸福度の関係は如何なのでしょうか?。

と言う事でこちらが、非常に面白い結果になって居まして主観的な魅力度が全ての幸福度に一定の影響を及ぼすと言う事が分ったんです。

つまり、客観的な評価は如何であれ自分の事を魅力的だと思っている、

学生は男でも女でも幸福度が高かったんです。

幸福に生きる為には美人か如何かとか、イケメンか如何かと言う寄りもあなたが、

自分自身を魅力的な存在だと感じているか如何かの方が大切だと言う事何ですよ。

結局はあなたの心の持ち様であなたの幸福度は決まると言う事何です。

更にですね、ルックスと恋愛が無関係と言うデータも得られています家族や友人等を身近な人が、

被験者の魅力度を評価する時には外見が、評価対象に入ら無くなると言う事が分ったんです。

長くいると外見はその人の魅力に関係無くなって来るんです。

更に、研究者は外見の魅力度を上位1/4つまり、美男・美女と下位1/4の2つのグループに分けて幸福度とデートの回数を調べて見ました。

幸福度に付いては先程説明した様に外見にかなりの差があってもその影響は殆ど無く女子学生では、外見の魅力が無い方が幸福度が高い傾向にありました。

一方でデートの回数には男女差がありました。

女性では確かに魅力的な方がデートをしていました。男と言うのはやはり小も無い生き物ですから顔とおっぱいばかり見ているんでしょう。

一方で男性ではデートの回数に殆ど違いがありませんでした。

これは、驚きですよね、外見の魅力度上位1/4に入るイケメンと下位4分の1を比べてもデートの回数に差が無いんです。

この奇妙な現象を解明すべく、研究者は更に幸福度の上位1/4と下位1/4の学生を比較して見ました。すると男子学生も大学生も幸福度が高い方がデートの回数が多い事が分かったんです。

さてここから分かる事は何でしょうか?。

例えば、幸福な人程魅力的で恋愛にも積極的だと言う説が考えられるでしょう。先程説明した様に、幸福度と主観的な魅力度には密接な関係があり幸福だと自尊心が高くなりますから自尊心が傷付く事を恐れずにデートに誘い易くなるのかも知れません。

ただそれでも、相手が応じてくれ無いと意味が無い訳ですが最初に説明した様に客観的な魅力度と言うのは見る人によってかなり、食い違い点数に差があるんです。

ですから、積極的にデートに誘う人であればその内何人かとデート出来ると言うのは自然な事だと思います。

有るいは、男子学生の場合は、外見寄りも運動能力やコミュ力・勉強が出来ると行った別の指標で評価されている可能性もあります。

何れにせよ、客観的な魅力寄りも主観的な魅力を磨く方が幸福になれるし、異性とデート出来るし、最高だと言う事が分ります。

主観的な魅力を磨く為には、勿論外見を磨くと言うのも良いんですが、それよりも、

自分が重きを置く場所で成果が出せる様に頑張ると言う方法もありでしょう。

自分が賢い人程魅力的だと考えているのであれば勉強を頑張るのが良いでしょうし、

料理が上手なのが魅力的だと考えているのであれば料理の腕を磨くのが良いでしょう。

そうして、自分が魅力的と感じる分野の能力を高めて行けば主観的な魅力度が高まって行き結果としてハッピーな人生を送る事が出来ると言うわけ訳です。

さてと言う事で、この実験は結果として、

美男・美女は幸福でもなければ、自尊心が高い訳でも無いと言う、

世間の常識と大きく違う結果になりました。

ですが人は、良い事にも悪い事にも慣れて仕舞うと考えれば、

この結果は不思議でも何でもありません。

皆さんも経験があると思いますがどんなに、良い事があってもその良い事にはすぐに慣れて仕舞うと言うのが人間です。

実際研究者が、幸運な人と、不幸な人の、その後を調べると、

どちらの場合も元の幸福度に戻っている事が分っています。

だから、例え宝くじで大金が当たったとしてもお金がある状態にすぐに慣れて仕舞うんです。

これまで、付き合いの無かった親戚や友人知人等から金を無心され人間関係が壊れる事だってあります。

交通事故で両足が動か無くなれば、絶望に打ちひしがれると思いますが、車椅子で自由に動ける様になる頃にはあんな大事故にあって命がある何て自分は運が良かったとポジティブに思える様になるらしいんです。

人生が激変する様な事が、起こったとしてもそれになれると言うのが人間何です。

だとしたら、生まれつきの能力や環境に対しては、慣れて慣れて慣れすぎているのが普通何ですよ。

外見と言うのは子供の頃から殆ど変わりません。

ですから、絶世の美男・美女もとっくの昔に自分が、イケメンである事を自分が美人である事に慣れて仕舞っているんです。

自分がイケメン、自分が美人である事は当然の事ですので、

それが得だとか損だとか考える事が無いんです。

非常に腹立たしい事ですがイケメンだからなんだよ、とか、美人だから何、と言う状態何です。

母子家庭の人にお父さんがいる何て羨ましい何て幸福な人なのと言われたとしても両親が共にいる家庭の人は、父親がいる何て当たり前すぎて幸福に思っていませんし、むしろ鬱陶しいとすら思っている事もあります。

当然過ぎる事は、幸福に感じ無いこれを覚えておきましょう。

例えば良く言われる事ですが、美人は平均寄り8%収入が多く美人は、

4%少ない男の場合は、美男は4%収入が多くデブな男子は13%少ないと言うデータがあります。

これを見るとやっぱり、美男・美女は得しているじゃん。幸せと思いがち何ですが美男・美女からしたらそれが当たり前何です。

もはや、そこに得をしていると言う意識は無いんですよ。

美人で優遇されると言う事は、幼少期から当たり前の事何です、

本人達はそれが日常なのでいちいち自分が幸福だとは思わ無いんです。

頭が良い人だってそうだと思います。

頭が良い人はこの知能社会において高い給料をもらい易いですが、

だからと行って頭が良くて得した幸せ何て思っている人は少無いでしょう。

自分が頭が良いと言う事は小さい頃から当たり前の事だからです。

足が無い人からして見たら足がある人は凄く羨ましいかもしれませんが、生まれ付き足がある人は、そのことを当然としか思いません。幸福にも感じません。

この様に人間と言うのは自分が当たり前に持っている能力や環境には慣れすぎてそんな事をいちいち幸福と感じ無いんです。

あなたが、羨ましいと思っている相手はあなたが思っている程では無い人類は意外と平等に幸福になる様に設計されているんです。

あなたにはあなたの人生、あなたの幸福があります。

他人には他人の人生、他人の幸福があります。

あなたの軸で他人の幸福を評価しても何の意味も無いんです。

あなたが幸福になる事だけを考えて今日から生きて見ましょう。

他人と比べる事もありません。

幸福を感じる物が違うんです。

あなただけの幸福を探す、それが幸せになる為には大切何です。

自分が価値を感じている能力を伸ばすと言うの良いいでしょうし自分が、得意な事に価値を置く様に考え方を変えると言うのも良いでしょう。

自分に取っての幸せとは何かをもう一度考えこれから先の 人生の方向性を決めて行きましょう。

さあそれでは。

第3章 美男・美女は幸福じゃ無かった!最新研究が示す衝撃の真実。を纏めておきましょう 。

1、女子学生では外見の魅力と幸福度には何の関係も無く全体的な幸福感は美人な程低くなると言う真逆の結果にそれに対して男子学生は生活満足度のみ外見が魅力的な程高くなったが全体的に幸福感にルックスが与える影響は小さかった。

2、モテに置いて重要なのはルックスでは無く自尊心の高さだと言う事が分かっている特に男性の場合はそれが顕著である。

3、美男美女に取ってルックスが良い事は当たり前でありそれに対して得だと思ったり幸福感を感じる事は無い、自分自身が価値を感じている分野の能力を伸ばす事で、その人に取っての幸せを手に入れる事が出来る。

以上橘玲さんのバカと無知を紹介させて頂きました。

今回の記事は以上となります

ここまで長らく読んで頂きありがとうございました。

そしてこの記事を読んでくれた読者に感謝します。

本間義昌でした。