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機関誌「俳句大学」

2023.04.20 11:52

https://blog.goo.ne.jp/mitunori_n/c/b888cc51f320961ce78b2d2b3a73574d 【機関誌「俳句大学」第8号よりのお知らせ!】より

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★総ページ数:156P

★会員の作品はもとより、特集「俳句大学」三賞授与式」関連、2021年下半期の「ネット句会」「席題で一句」の特選、並びに並選の作品、「一句鑑賞」に取り上げてられた方の作品(紙面の関係で一部)、「俳句界」のHaiku Column・華文俳句の作品などを掲載し、内容充実した紙面になっています。


https://blog.goo.ne.jp/mitunori_n/e/195112b97bf39f89dece2f5c4d6ba81b 【機関誌『俳句大学』第6号】より

巻頭言

俳句大学学長  永田満徳

現代は、インターネットの普及によって海外でのHAIKU作家との交流が格段に増えてきた。主にSNSを介したリアルタイムな交流も盛んになってきており、日本の俳句の原理への関心も非常に高くなっている。そこで、「俳句は何か」という、自明の問いを改めて考えてみたい。

本学の五島高資は一早く、俳句の本質である「切れ」に注目し、「俳句の詩的構造である『切れ』をまずHAIKUの必要条件とすべきである」と述べている。これは誰も異論のないことであろう。ただ、「切れ」があっても、「取り合わせ」でないことである。例えば、「大蛍ゆらりゆらりと通りけり 一茶」や、切れ字のある「白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝不器男」のように、切れ、或いは切れ字のある一物仕立ての二句一章はその内容から言って、二句があまり断絶していず、句意が一句一章とは大差がない。しかし、切れ(切れ字)があることによって、空間をもたらし、想像の余地を与え、余韻を残す。これが「切れ(切れ字)」の最大の効用である。HAIKUにおいて、二行俳句を推進しているのは、「KIRE(切れ)」を明確にするためで、KIREのない、単なる散文詩的なHAIKUの是正を図っている。

さらに、五島高資は「五七五(四拍子)定型という韻律は日本語の構造に特有なものであり、外国語の俳句(HAIKU)において5-7-5シラブルを適用するのは無意味である」と述べている。俳句の場合はどうかというと、「初蝶の遠きところを過ぎつつあり 山口誓子」という句のように、切れのない、一句一章の句を〈俳句〉と言えるのはひとえに定型であるからである。それほど「定型」は必要不可欠である。私が自由律を俳句と認めないのはこの定型の強固さを定型のないHAIKUによって思い知らされたからである。

 ところで、HAIKU連載中の『俳句界』において、「俳句は『切れ』を基本として、主に『季語』が重要な役割を持つ短詩型文芸である。」という標語で、より強く「KIGO(季語)」を取り入れたHAIKUを提唱している。Mohammad Azim Khanの「sunny spot/the push of a wheelchair」 というHAIKUを例にして、sunny spotに(in winter)を補ってみたらどうだろう。「車椅子」を「陽だまり」の中に押し出し、少しでも温まってほしいという気持ちは「冬」の季節でなければ伝わらない。それほど「KIGO(季語)」の喚起力は強いのである。五島高資のように、KIGOはあくまで詩語の一つであって、無季の句もKIREがあればHAIKUと言って良いとの考えもある。その考えは良しとして、今や、国際俳句学部の「Haiku Column」においては、はっきりとした四季のない国からもKIGOのあるHAIKUが数多く投句されてきており、俳句は〈KIGOの詩〉という認識が世界で広まっている。

 俳句大学は、実践的な俳句の取り組みを通して、俳句の国際化に対応するために、俳句あるいはHAIKUを定義し直し、俳句を国際文芸として位置づけ、ひいては、現今の現代俳句における真の俳句の確立の礎になりたいと思っている。

※参加者のお名前は2校次のままである。


https://blog.goo.ne.jp/mitunori_n/e/ee834f597c333d5f32e59c83b01a7f4d?fm=entry_spawp【特集「2021年、今年こそは」〜今こそ、インターネットを使った俳句を〜】より

永田満徳

俳諧連歌が成立した室町時代末期より、俳諧の発句を芸術の域に高めた芭蕉による蕉風俳諧、正岡子規による近代俳句改革を経て、今日、俳句の歴史はおよそ五百年を閲(けみ)している。そして、今や、俳句は、世界に開かれたインターネット時代を迎えて大きな転換期を迎えている。

七年前、私が学長を務める俳句大学はネット時代を見据えて、俳句の可能性を探ることを目標の一つに掲げて創立された。ネットの長所としては、県を越え、国を越えて、個人が自らの俳句を発表できるということだろう。Zoomを使ったリアルタイムなネット句会も魅力である。これは、新たな「座」(句座)の創出である。

折しも、コロナ感染症を回避するために、情報通信技術を使ったテレワークという柔軟な働き方が推奨されている。俳句大学は、SNS交流サイトFaceBook やインターネット、夏雲システム(オンライン)を使った俳句活動を行っている。コロナ禍の影響は少なく、むしろ、より積極的に、より活発に活動している。

具体的には、俳句大学ではインターネットの「俳句大学ネット句会」、あるいは、 Facebookグループ「俳句大学投句欄」における、①講師による「一日一句鑑賞」、②会員による「一日一句相互選」や③「週末は席題で一句」、④「連休は写真で一句」や、Facebookグループ「俳句大学初心者教室」など、ネット時代の俳句の可能性を探る活動を積極的に行っている。令和二年八月発行の機関誌「俳句大学」第四号は、その俳句大学が運営するネット句会、Facebookグループの活動は無論のこと、国際俳句交流のFacebookグループ「「Haiku Column」、中国圏の二行俳句のFacebookグループ「華文俳句」などを掲載し、俳句大学の取り組みの全貌を明らかにすることを目的に編集し、200ページに近い俳句誌になった。

一昨年、俳句大学を基盤として、ネットに特化した「日本俳句協会(japan-haiku-association)」が設立された。すでにインターネットの普及によって海外でのHAIKU作家との交流も格段に増えてきた。主にSNSを介したリアルタイムな交流も盛んになってきており、日本の俳句への関心も非常に高くなっていることから、今一度、芸術性のある芭蕉の俳諧精神に立ち返ることが必要である。日本俳句協会という新しい「場」は、世界に通用する俳句(HAIKU)における芸術性の確立に向けて、国際俳句交流協会をはじめ、既存の俳句協会と互いに協力し合うことによって世界俳句の発展に貢献していくことを目指している。

さて、俳句大学国際俳句学部では、六年前にSNSの国際俳句交流の場を提供するFacebookグループ「Haiku Column」を立ち上げ、私は代表として、また、向瀬美音氏は主宰として「Haiku Column」を管理している。現在、参加メンバーは2300人を越え、1日の投句数も200句に及ぶ。瞬時に交流できるFacebookという国際情報ネットワークの恩恵を受けているのも特色である。

国籍もフランス、イタリア、イギリス、ルーマニア、ハンガリー、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、アメリカ、インドネシア、中国、台湾と多様である。使われている言語は三ヶ国語で、フランス語、イタリア語は向瀬氏、英語は中野千秋氏が担当している。人種、国籍を問わず投句を受け入れていることから、人道的なグループということで人気があり、HAIKUによる国際文化交流が国際平和に繋がっていることを痛感する毎日である。

これらの国際俳句の試みは、機関誌『HAIKU』のVol.1からVol.6で紹介され、一昨年八月一日に朔出版から出版されたVol.5では、世界中から一五〇人が参加して、総ページ数は五五〇ページを超える。

二〇一七年四月に「俳句ユネスコ無形文化遺産協議会」が設立された。この運動によって、俳句が広く認知されていくことは俳句の国際化にとってよいことである。しかし、この運動を推進するに当たって、「何をもって、『俳句』とするか、そのコンセプトの共有に危惧を抱く」(西村和子『角川俳句年鑑』巻頭提言・二〇一八年版)という意見は重要である。俳句大学の〔Haiku Column〕ではHAIKUとは「切れ」による詩的創造による短詩型文芸であるとして、「切れ」が明確になる二行書きのHAIKUの普及に努力してきた。現在、三行書きのHAIKUが多いが、「切れ」の本質に立ち返る契機として二行書きのHAIKUの重要性は大きいと考えている。

日本の俳句の翻訳の場合であるが、はやくも俳句の構造上による〈二行書き〉の問題を取り上げていたのは角川源義である。角川源義は『俳句年鑑昭和四十九年版』(昭和四十八年十二月)において、「俳句の翻訳はほとんど三行詩として行われている。これは俳句の約束や構造に大変反している」として、「私は二行詩として訳することを提案する」と述べ、「俳句の構造上、必ずと云ってよいほど句切れがある。切字がある。これを尊重して二行詩に訳してもらいたい」とまで言い、「切字の表現は二行詩にすることで解決する」と結論付けている。角川源義が「切れ」(切字)による二行書き(二行詩)を提言していることは無視できない。俳句の本質である「切れ」と、俳句大学が提唱する「取合せ」は、二行書きにして初めて明確に表現できるのである。

日々の「Haiku Column」の二行書きのHAIKUの投句を見ても、日本人が発想しない「切れ」と「取合せ」を発見するたびに、俳句の国際交流が「俳句(HAIKU)」の解放と新しい現代俳句の展開に重要であることが痛感される。

今年は一層、インターネットの積極的活用によって、国内の俳句活動を始として、海外の俳人との交流を深め、真の「俳句(Haiku)」の在り方を探り、ウィズ コロナ、ポスト コロナ社会を見据えた国際俳句文化の更なる発展に寄与していきたいと考えている。

(ながた みつのり/日本俳句協会副会長・俳人協会熊本県支部長)