共育
Facebook相田 公弘さん投稿記事 「穴に感謝」
心を病んだ学生たちが私のもとを訪れます。自分を責め、自分が悪いんだと思い込んでいる。
私は言います。「ちっとも恥ずかしいことじゃないのよ。人間というのは弱いものだから、
自分ばかりを責めてはだめ。私だって心を病んで入院していたことがあるんだから」と。
自分が経験したからこそ、その言葉に重みが出てくる。優しい気持ちが伝わる。
そして「いつかきっと、今の経験がよかったと思える日がきっとくるわよ。私のようにね」
と言うと、皆救われたような表情になるのです。
人生には、思いもかけない穴があくことがあります。
病気だったり 大きな失敗だったりあるいは大切な人の死だったり。理不尽で辛いことがいっぱいある。でも穴があいてはじめて見えるものもあるのです。
はじめてわかる他人の苦しみもあります。そしていつか、穴があいたことに感謝する日がきっとくる。私はそう信じています。
※「いまを、生きる」渡辺和子著 PHP
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今日の1歩
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全ての出来事に意味があるのですね「苦しくなったら苦しみを味わえるだけ生きているんだと感謝した。うれしいときはまた喜べるんだとまた感謝した。」by有森裕子
※100人の一歩より
Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
ほかの人がいてくれるから
鳥語のおはなしを書きましたが、今日はチンパンジーの研究から。
霊長類学者で、主にチンパンジーの研究をされている松沢哲朗さんに子育てについてインタビューのかたちでお話を伺ったことがあります。
そのとき、人間は生まれながら、見つめ合い、声でやりとりし、自由な手でものを扱う存在だと言われていました。そして、「子を育てる」上で、ほかの動物と違うのは、母親以外も子育てをすることで、父親、祖父母、兄弟姉妹という血のつながる者だけでなく、近隣の人や保育園など、血のつながっていないものも手助けする、これは「共育」という人間だけの特徴だそうです。
というのも、人間は森から出て暮らすにあたって、いろんなものを採取する必要から、手のかかる子どもは地面に仰向けに寝かせておくのですが、それを安全にするのが、共育という子育てであり、その結果、仰向けの姿勢が手の発達(自由にものをつかむ)となって道具の使用に結びついたというわけです。
共育によって、人間らしい他者とのかかわり、人間らしいものとのかかわりが生まれたのですね。
そして、学習の基本は、「真似る」ということですから、親をはじめとする周りの大人の行動や行動規範が子どもたちに大きく影響するのは昔も今も変わりないことです。
チンパンジーも同じだそうですが、それはよいお手本だから真似るではなく、「真似たいから真似る」という純粋な動機による模倣だそうです。教育の基本は、大人のあり方となりますね。
偏差値教育は、突き詰めれば「私がよければいい」になりますが、私という存在を可能にしてくれているのは、私以外の人がいるということです。
うなずいてくれる、微笑んでくれる、褒めてくれる、愛してくれる、教えてくれる、認めてくれる・・・そういう人たちがいるおかげで、私は私として、なんとか立っていけるのですね。大人になっても変わりありません。子どもたちには、おとなの姿勢として、おかげさまの心を伝えていきたいものです。
Facebook船木 威徳さん投稿記事 【 僕らはもう一人じゃない 】
娘が小学1年の、初めての運動会で6年生が演じたダンスに感動し思わず涙が出てきたことを想い出します。
その時は、それきりだったのですが使われていた曲の「僕らはもう一人じゃない」と言う歌詞が、最近たびたび、頭の中で繰り返されます。
2013年発売のこの、「RPG」と言う曲ですが、まるでいまの社会を予言しているかのように
私には聞こえてならないのです。
「空は青く澄み渡り 海を目指して歩く 怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない
…「方法」という悪魔に とり憑かれないで 「目的」という大事なものを 思い出して
…「世間」という悪魔に 惑わされないで 自分だけが決めた「答」を 思い出して
…街を抜け海に出たら 次はどこを目指そうか 僕らはまた出かけよう 愛しいこの地球(せかい)を…
(抜粋して引用〜
曲名:RPG
歌;SEKAI NO OWARI 作詞:Saori/Fukase 作曲:Fukase)
私は、いまの、この苦しい時期を過ごしてきて、つくづく感じます。
なににせよ、「方法」は、目的を達成するための手段に過ぎません。
ここで、もしかしたら専門家を自負する人に多いのかも知れませんが細かい方法、その正しさにこだわってしまうと、時によってはうまくいかなくなってしまったり、かえって大きな目的に向かう、人の結びつきを壊してしまう。
だからこそ、私たちすべてが歴史的な危機に直面している今だからこそ、私たちが
「なんのために」やっているのか忍耐しているのかと言う「目的」を繰り返し確認して、一致して進まなくてはならないと思うのです。
「なんのために?」生き残るためです。
世界の人間たちが、絶対に、生き残る、生き延びることこそ私たちの努力する「目的」です。
ウイルスがどこから来たのか 誰が広めたのか、 私にはわかりませんし、おそらく全貌は、将来も、すべてが明らかになることはないでしょう。
いまやるべきは、互いを孤立させることなくなにがなんでも、生きること。
厳しく、終わりの見えない毎日が明日からもまた続きます。
それでも、私たちのやるべきは生きること、生き抜くことです。
「…空は青く澄み渡り 海を目指して歩く 怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない
空は青く澄み渡り 海を目指して歩く 怖くても大丈夫僕らはもう一人じゃない」
https://youtu.be/Mi9uNu35Gmk
〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり