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一緒に Around The World

田子倉湖

2018.06.03 03:00

2018.5.4

おそばを食べに行ったり、

温泉に行ったり…、

去年から只見に行くことが何度かありました。

40年ほど前も何度か尋ねたのですが…。

田子倉湖に行くのは初めてです。


湖畔に出ると、

視界が一気に開けて、

雄大な景色が広がります。


県内きっての豪雪地帯、

ゴールデンウィーク中でも残雪があって、

日が陰ると、身震いする寒さです。


湖畔のレストハウスは売店だけで、

食堂も、遊覧船も、

今年の営業はまだ始まっていませんでした。

写真に撮ると、小さく見えますが、

右側の堰堤の上の点が人です。


大規模な雪崩のあと…。

冬の厳しさがしのばれます。



只見に来て、

入叶津という地名を聞いて、

昔ここから浅草岳に登ったことを思い出しました。

入叶津からは傾斜は緩やかでしたが、

距離が長くて、歩きながら寝そうに…。


反対に、田子倉隧道からの道は、

一気に1000メートル登る短いけど険しい道だった記憶が…。


雲に隠れていますが、

たぶんこれが浅草岳

登ったのは六月から七月のはじめの頃だったと…。


このくらいは登れないと海外でのトレッキングは難しいかな…。

と想いながらも、

つらかった登りを思い出しています。

40年も前なのに…。

つらさが鮮明に…。



駐車場から少し行くと神社がありました。

八幡様です。



ダムの安全祈願で創られたものかと思いましたが…。

由緒ありげな狛犬の台座に明治35年の文字が…。


狛犬はシンプルで直線的な感じです。

表情も独特で、

小さい女の子を見ているようです。

お社の彫刻も立派で、


昔からの神社をここに移したようです。


湖畔川には小さい祠が並んでいて、

古くからの信仰の対象であったことが…。


そして、こんな記念碑が建っていて、

ここに、昔は豊かな集落があって、

人々が代々住み続けていたこと、

国益の電源開発のために、

泣く泣くこの地を離れたことが記されていました。


こういったことが、

昭和30年代、40年代には日本の各地で起こっていたのでしょう。

原発避難の方と、意味は違いますが、

国益の電源開発ということと、

地元を離れなければいけなかったというところで、

なにか通じるものを感じました。


便利さの陰で我慢を強いられる人がでませんように…。